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1回目のうつ病、本が読めない。

こんにちは、留年大学生のアオイです。

この記事では精神障害について触れていますので、トラウマやフラッシュバックの可能性がある方は閲覧をお控えください。




私は17歳の頃に1回目のうつ病を患いました。

実はうつ病と言っていますがその内実は"躁鬱"でして、明らかに双極性障害に分類される症状でした。

しかし病院では鬱期の状態しか私には見受けられなかったので、うつ状態と診断され、

しかも鬱病とは診断されずに、"不安抑うつ状態"という診断名がつきました。

要は単なる気持ちの落ち込みである、というような感じですね。

自殺未遂をした後にその診断ですから、私は長年疑問だったのですが、今でもその理由は分かりません。

一つ考えられるのは17歳の若者に鬱病という診断を与えないようにする、という医者の判断だったのではないか、という気がします。

というのも今の私の主治医はわりかし現実主義、なところがありまして、今では気さくに話しかけてくれて信頼してくれているような気がするのですが、(だから言えることなのですが)

その主治医はこれからの未来ある若者に精神障害の病名をつけてその病気に染まった人生を送ってほしくない、という願いがあったのかもしれません。

しかし私としてはあの時鬱病、と明確に診断してくれた方が、

今は休むときである、と認識できて、楽になったのではないかと思います。

それで今回のお話ですが、躁鬱が酷くなり自殺未遂まで病状が悪化した私は、当時"脳の炎症"状態にあり、ひどいときは3秒前に何をやっていたのかさえも思い出せない物忘れ状態、となりました。

明らかに脳が正常に機能していなく、異常をきたしている状態です。

当時閉鎖病棟で知り合った方から鬼滅の刃の漫画を借りたのですが、一巻を読むのに数時間かかっても読めないのです。

本が読めず、文字が入ってこなくなりました。

これは鬱期にある人にはよく聞く症状ですが、私はこの症状の従来の捉え方に少し疑問があります。

脳が炎症しすぎて、文字が入ってこないわけですから、その本質は"炎上"とも言いましょうか、思いっきり脳みそが燃え盛っている状態なわけです。

しかし従来の捉え方は"気持ちが落ちてしまって集中力が続かない"というようなニュアンスがどことなく含まれており、

それはエネルギーが枯渇するから、なくなったから、本を読む元気がなくなった。という捉え方がされている気がするのです。

しかしながら私の障害を振り返ると、たしかにエネルギーは枯渇しているのですが、そこに至るまでには実はとんでもなく「エネルギーを高めた」状態があるのです。

つまりあまりにも脳に負荷をかけたから、ドカンっと脳が爆発してしまって、煙を上げながらバチバチと放電状態みたいになっている状態(これは心象風景ですが)が、本が読めない、に起こっている現象なのです。

つまるところ私が言いたいのは、本が読めないの内実は、本が読めなくなるくらいまで頭で考えすぎた、あるいは本が読めなくなるくらいまで本を読みすぎた、ような"努力"があったのだ、と言いたいのです。

それをこちらの記事でも考察しているので、よければ見てみてください。

私はつまるところこういうわけで、脳の炎症状態になり、文字が読めなくなったのです。

そしてそんなことを思い出し、今よく本を読めているよな、と半ば不思議な気持ちになるのです。

本当にやばいとき、鬱のときは、本が読めなくなります。

それはもう脳が炎症を起こしているからです。それは患者さんの気力の問題ではなく、科学的にみて身体異常や病気の問題です。

なのでうつ病になったということは人から責められるべきものではありません。

し、それを責めることができる人間はいません。

そして私が言いますように、うつ病に至る前には必ずと言っていいほど"努力"があったわけですから、むしろうつを批判する人よりも"前を走っている"のが、うつの患者さんなのではないか、という気が私はずっと昔からしているのです。

躁鬱病についてはこちらでも考察していますので、何かの参考になればありがたく思います。

今回は文字が読めない、ということにだけ絞ってお話をさせてもらいましたが、躁鬱や他には強迫性障害や離人症など、別の病気について新たな角度からまたお話しできたらいいなと思っています。

17歳で躁鬱を罹患してしまい、19歳で二度目の鬱を発症してしまうのですが(今は比較的軽度に治癒しました)、ずっと精神障害と共に思春期を過ごしてきました。

ちょっとこういう記事を書くまではこんなことが誰かの役に立つなんて思ってもいなかったし、それが誰かにとって有益な情報になり得る、ということが分からなかったのですが、

それらのすべてを通り越して幸運にも生きていけてる現在において、自分は割りかし貴重な経験をできた人間なのではないか?と思わされることが多くなってきたのです。

貴重と言いますのも、その時にとっては地獄そのものです。そこはご理解いただきたく思いますが、精神病理を経験し抜いてきた人というのは、現代にとても求められている、という気がしてならないのです。

そういうことで「貴重な経験」と表現させていただきました。

とにかく、これからも精神病理について一経験者として発信していけたらと思います。

ここまで見てくださって、ありがとうございました。

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