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双極性障害、躁鬱病とは何か。筆者の体験した躁鬱病はどんな特徴があったか。

みなさんこんにちは。留年高校生のアオイです。

私は17歳の時に躁鬱病を経験しました。19歳の時には二度目の鬱を発症するのですが、そのときは躁鬱ではなく、鬱を発症しました。

現在は鬱病で闘病中なのですが、躁鬱は17歳のあの時から罹患してはいません。

少し時を経て、躁鬱は一体どんな病理だったのか、特に何が苦しかったか、あるいはどんな性質を持つ病気だったかをできるだけ言葉にして表現してみたいと思います。

現在闘病中の方、あるいは躁鬱を経験された方にとって何かの参考になれば、ありがたく思います。

ではまず躁鬱病とは何か、見ていきましょう。

①双極性障害とは何か。

双極性障害とは、明らかにハイになっている躁期と、明らかに気持ちが低下しダウンする鬱期を繰り返す精神障害です。

比較的躁期の方が短く、その後に長い鬱期が来ると言われています。

躁(そう)状態、つまりハイの時には、「自分は何でもできる」という万能感やアイデアが次から次へと湧いてくるといった頭が冴え渡る感覚、明らかな性欲の向上、また怒りっぽくなるといった症状が見られます。

私は17歳のときに躁状態に陥ったのですが、そのときは自身が神から寵愛を受けている、あるいは選ばれし人間である、自分はすごい!といった万能感や有能感がありました。

外出をすれば見知らぬ人に話しかける、なんてこともありました。(それ以前はそんなことはありませんでした)

このようにある種のハイの状態になり、活動が活発になりすぎている状態を躁状態と言います。そして私の場合、それらが一週間ほど続くと次に何もやる気がなくなるという鬱状態が現れてきました。

鬱(うつ)状態は、文字通り「うつ」であり、意欲がなくなり、何もしたくなくなり、いやむしろ何もやる気ができない、あるいは何事も不可能に思えるといった絶望感に襲われます。

そしてこの鬱期の方が躁状態と比べて長いことの方が多いようで、私の場合も圧倒的に鬱期の方が長かったです。

このようにハイテンションの躁状態、そして何もかもやる気を失う鬱状態、これが交互に襲う精神障害のことを双極性障害(そうきょくせいしょうがい)と言います。

一見矛盾した精神状態が、交互に現れてくるというこの病気は、周りから理解を得ることが難しい傾向にあります。

そしてこの病気には先天的な遺伝的要因は見つからない、などと多くのサイトで書かれており、未だハッキリとした原因がわかっていないとの説明を添えて文章が終わっている医療機関のウェブサイトが数多く見られます。

一つ言えることは、薬を飲んで療養期間を経ていると、症状は次第に落ち着くということが言えます。しかしまだその時点では再発の危険があるので、しばらく経過観察が必要です。

このように薬によって脳内の物質を整え、安静な生活をすることによって症状を抑え、そして社会復帰に向けて少しずつ動いていくというのが、医療機関で受けられる治療のようです。

私も、実際に療養期間を経たことで症状は治りました。

しかし何故、このような病気になるのか、何故このような意味不明な病気が私を襲ったのかについては説明はされませんでした。

そこで私の経験を踏まえてですが、もう少し躁鬱病の病理の内容に迫っていきたいと思います。

②実はそれまで自分のことを無価値で最低なやつだと思っていた。

躁鬱病の病理について、ここからは個人的な経験を踏まえてより詳しい内容に踏み込んでいきたいと思うのですが、簡潔に申しますと躁状態に陥る前私は、自身のことを徹底的に"無価値で生きる価値のないバカ者"と思っていました。

躁鬱病になったのは17歳のときなのですが、私はその一年前に不登校により全日制の高校を退学しています。

その一年後に躁鬱になってしまったのですが、実はそれまでの期間私は執拗に"学校に行けなかった自分"を責め続けていました。

そもそも学校に行けなくなったのは、もともと思春期に差し掛かった13歳頃くらいから感じていた疲労感が、高校に入りピークを迎えたことによることでした。

13歳の頃から一種の燃え尽き症候群のようになってしまっていて、部活も勉強も精力的に頑張ってはいるのですが、頑張れば頑張るほど、消耗していく毎日でした。

16歳のときに全日制の高校でそれがピークに達し、学校に行きたくても体が動かない状態となりました。

今考えてみると、もうすでに身体の限界だったんですね。

少し話がそれてしまいましたが、このような経緯があり、私は学校に行けなくなった自分は意思薄弱で、弱い、無価値な、とんでもない馬鹿者だと自身のことを本気で思っていました。

そしてそんな自分を変えようと、さらに無理をして自己啓発やポジティブシンキングなどを学び、さらに自分を強化しようと走り続けた結果、躁状態に陥ってしまいました。

ここまでお話しさせていただいて、なんとなく概要が見えた方もいるかもしれませんが、この躁鬱病に至る前には、

自身への無価値観があった

ということができます。ここで"観"と書きましたが、感じるの感ではなく観るという字の観を使ったのは、無価値感と言えるような生半可なものではなかったからです。

もっと大きな、自身を全てめったうちにするような、自己嫌悪感、あるいは自責感です。そこで観という字を使いました。

つまり、私の経験した躁鬱病は、それ以前まで自分のことを無価値だと考えていたからこそなった、ということもできると思います。

そしてもう一つ躁鬱病に関して私が実際に感じた感覚は、このように表現することもできます。

エネルギーが枯渇した心のタンクから、なけなしの元気を無理矢理出そうとする空(から)元気

このように私は感じました。

つまり自分が無価値であり、何もできない馬鹿者であり、その上もう何かをする気力も体力も残っていないけど、そんな自分は嫌だからもっと頑張って自分を変えようとした努力が、躁状態を引き起こしたと、私の場合では言えるのです。

これは私の場合の話ですが、おそらくですが、実はこのような仕組みで躁鬱が引き起こされている人は少なくないのではないか、と思うのです。

つまり何かの時点から、非常に無理をしすぎている状態、が躁鬱病ではないかと思うのです。

あくまで私の感想ですが、これらの感覚は病院の機能的に症状を説明するだけのウェブサイトでは書かれていないことではないかと思います。

と、ここまでは病理自体を書くことはできたのですが、ここから先は私には臨床経験がないので未知の領域が多いです。実際に、17歳では躁鬱であったのに、19歳の鬱では何故躁がなかったのかも、今のところはっきりしていません。

しかし一つ言えることは、やはり自身の無価値観がすでに元からあって、そんな自分を変えようとかけてはいけない無理をかけた、ということではないかと思います。

かけてはいけない無理をかけた、という表現をしましたが、私の場合はどんなことをしたのかと言いますと、まず自己啓発の類の本にハマりました。そしてポジティブシンキングを熱狂的に信じ、"思えば叶う"というような代表的な言葉を鵜呑みにして、ひたすらその本を読み続けたり、動画を見続けたりしていました。

もはや自分がどれだけ動画を見ていたかは定かではないですが、暇さえあればモチベーション動画だったり、ポジティブシンキング系の自己啓発本を漁って読んでいました。

そしてあるとき(その時は気づきませんでしたが)、躁状態に陥ってしまった、ということです。

今この記事を書いて、思い返しているだけでも、"可笑しさ"に気づけるのですが、当時は全く止める人もいませんので、気づくことができませんでした。不登校で1人でこもっていたので、誰も気づかなかったということです。

このようにして、私は躁鬱になってしまったのですが、もっと掘り下げて考えると、何故自分に対して無価値観を抱いてしまうことになったのでしょうか。

ここからは親が関係してくるのですが、正直言って私以外の人がみんなそうだとは断定できません。ですので一躁鬱病の患者の意見としてお聞きください。

③母によく怒られ、父には大きな期待をされていた。

私は自身の無価値観と表現した、自責の念を深めた理由に、親との関係が少なからず影響しているなと思わずにはいられません。

母親は幼少期の頃から怒りを我慢できないタイプで、なにかにつけ、よく私を怒りました。

父親はあまり笑わないタイプの人間で、ついぞ私の父が朗らかな笑顔を見せたことはありませんでした。

あるいは私が苦しんでいる時ですら、父はよく笑っていました。

その象徴的な例があるのですが、私が2歳から4歳くらいの頃でしょうか、父親と一緒に家の屋根に登ったんです。私は北海道に住んでいるので、その時期は冬であり雪が積もっていたのですが、そこからハシゴをかけて屋根に登っていました。

何故登ったのかは分かりません。雪かきが目的だったのでしょうか?

そこまではいいのですが、父は私を屋根上から突き飛ばして、下は雪ですが地面に落下させました。私は突然突き飛ばされ、上半身から落っこちたので、非常に怖い思いをしました。そしてそれから怒りが湧いてきて、泣きじゃくりながら父に対して激昂しました。

その時なのですが、父はおそらく笑っていました。"悪かったって"今のは冗談だよ、というような体で、笑っていました。

ここからも読み取れるように、私の父はどうやら私を子どもと見ているのではなく、友人として見ていたのではないか、というのが私の21年生きてきた上での考察です。

以前の記事で機能不全を抱えていたという話をしましたが、それは父が悪ふざけとして子どもを屋根上から突き飛ばして、それで面白がって笑っているという共感性の欠如と、また、怒りをあらわしてしまう母親を情緒的な面でサポートすることができない、といったことに象徴される、一種の社会性の欠如です。

そして話が長くなって申し訳ないのですが、父はまだアイデンティティを捜しているのではないか、という実感を私は日に日に強くしています。

アイデンティティとは自分がかけがえのない自分である、という感覚を持つことで、それを父はまだ持っていない、

つまり、そういう自身の姿が見えていないから、その自身の姿を言葉にして表現してくれる友人を求めている、しかしその友人がいないので、子どもである私に無意識的に友人として接してしまったのではないか、という考察です。

話は長くなってしまいましたが、おそらくこの機能不全が、私の無価値観、根底の私はダメな人間なんだという精神の土壌を創ったのではないか、と思うのです。

それもそのはずで、毎日怒られ、そして子どもを子どもとして扱われなければ、自然に子どもは「生きる意味って何だろう」「私のやりたいことが分からない」「私は生きていていいのかな」と思うようになりますよね。

ここは誰でも冷静に考えれば、想像に難くないかと思います。

このようなこともあって、まとめますと、まず最初に私が出会う人間である親を信じることができなかった、それゆえに自分も信じることができなかった。そして自分を信じることができないので、何とか自分を価値あるものにしようと強迫的な努力を重ねた(ここが部活や勉強にあたります)、しかし身体はすでに限界を迎えており、最早動くことができなくなってしまった。しかし、その自分が真っ当な人間であるとは当時は思えずに、さらに自身に鞭を振い続けてしまった、そして結果として躁鬱病になった、と言えるかと思います。

ここまで長くなってしまいましたが、まとめると最初に親との問題が発生していて、それに追随して学校教育、詰め込み型の学校教育が横行した、そして自身の無価値観を深めてしまい、はたからみておかしな無理をかけてしまった、ということです。

ここまでが、私が躁鬱病を経験してみて分かる出来事の詳細です。

この病理自体には複雑な環境要因が絡まっていて、シンプルに図解できたらいいのですが、なかなかうまくいきません。

しかしただ一つ言えることは、
無理がかかっていること、と
理不尽に晒されていること、
だと思います。

私はどこかで、鬱病の患者さんは病気にはなっているけども、どこかで実に真っ当な価値観を持っている人だ、という医師の主張を見たことがあります。

鬱病の患者さんは、実にこの世の問題点、あるいはこの世の中の理不尽や倒錯を見抜いているというのです。

つまりは、鬱や精神障害にかかる人たちは、努力が足りないのではなく、むしろ執拗な理不尽に晒されて、そこにある種の厭世観が働いてしまっている、という状態なのではないかという考察です。

これは私の経験をもとにはしていますが、私がかねてから精神病理の理解において参考にしている泉谷閑示(いずみやかんじ)先生も言われていることでもあります。

このように理不尽にさらされ、あるところで身体の限界を迎えてしまっている、そして不運にもその限界を越えることによって、精神的な障害が現れてしまう、ということは私だけの問題ではないと思うのです。

どうかあなた自身を大切にしてあげて。

最後にですが、この結論として言いたいことはあなた自身を大切にしてあげて。ということです。

まずそもそも他の人が大切にしてくれないのだから、あなたがまずあなた自身の味方になってあげるしか現時点では方法がありません。

こんな消去法な対策になってしまって申し訳ないのですが、しかし何より病理に悩んでいる方自身が、自分を大切にしてあげることによって、症状は違った方向へ歩み出します。

躁鬱病の方は、何かおかしな病気にかかっていて変な奴でも、努力が足りないのでもないんですね。

むしろ努力のしすぎ、なんですよね。

私の実感としてはそう思います。

しかしそれを世間は理解する目を持っていません。おそらくそのような病理に悩まされた人が少ないし、おそらく医療機関でも自身の経験と実証によって、患者さんの精神の闇まで見抜ける人がいないのでしょう。

自分を大切にする、と言いましたが、できそうなことを具体例を持ってあげていきます。

心の吐き出しノートをつけてみる

まずは心の吐き出しノートをつけてみる、ということです。ノートか、紙でも構いません。そこにどんな罵詈雑言でもいいから書いてもよいことにします。

そしてそこにあんなことが悔しかった、あんなことが辛かったと、自分の感情を書いていきます。そうすることによって、自分だけで抱えていた怒りや憎しみが外に吐き出されるので、気持ちが落ち着きます。

もしそれによってさらなる怒りが湧いてきたとしたら、相当あなたには過去からの無理が溜まっていたのかもしれません。

そういう時はあいつがムカつく、あいつが嫌い、という感情よりも、
あいつに何をされて嫌だったのか、
あるいは、あいつにされたことによって、あなたが"怖い思いをした"のだという自身の感情を確認してみてください。

怒りは二次的感情と言われ、怒りを感じる前には恥をかいた、怖かった、悲しかった、などの一次感情が眠っていると言われています。

ぜひその感情を紙に書いて見てほしいのです。そうすることによって、あなたがまずはじめに"怖かったのだ""あの時のあれが底知れなく怖かったのだ"という感情を確認することができます。

それはおそらくずっと過去から誰にも見向きされなかった感情ですね。誰も応えてくれないから、しまっていた感情とも言えるでしょう。

ぜひそんな気持ちを受け止めて、泣ける時には泣いて、心が静まるのを待ってほしいと思います。

心のおもむくままにやりたいことをやる、あるいはそれが思いつかないのならひたすら何もしないでみる

次に、ありきたりですがやりたいことをやってみましょう、ということです。

やりたいことって実は昔からあるもの。しかし世の喧騒や理不尽によって自身の心の声が打ち消されると、何をやりたいのか分からなくなってしまいます。

ですので何もやりたいことが思いつかない場合は、逆説的に"何もやらない"のです。何もやらないことによって、逆にやりたいことが出てくるだろう、という考え方です。

私はよく私生活の中で、やることがないとやるべきことを探してしまう癖があります。これはもう幼少の頃から根付いた癖みたいなもので、なかなか消えるものではありません。

しかし"やるべきこと"をやっていても、心が全然喜ばないんですよね。やるべきことはやっている、だけど全然楽しくない。こういう状態になります。

やるべきこと、とは世間が望むものです。しかしあなたはもうすでに世間についていけるような状態ではありません。それはいい意味でです。

なのであなたがやりたいことをやってほしいのです。それが、自分を大切にするということです。

自身への無価値観は、自分を大切にできていないところから来ます。今言った心の吐き出しノートも、やりたいことをやるということも、すべて「自分の思いを大切にする」ということですね。

自分を大切にできるから、人も大切にすることができるのです。

私はそれをこの記事で少しでもお伝えできたらなと思います。

まだ他にも色々なことができると思いますが、よければコメント欄なんかでも皆さんが自身を大切にするためにしている行動や習慣などがあれば教えてほしいです。私も試してみようと思います。

このように、長くはなりましたが躁鬱病や精神障害にはそれが起きる理由があります。私の場合は躁鬱病でしたが、他の方は違う病気かもしれません。

しかし病気が起こっている、ということは身体が自身に何かを訴えかけていると見ることができると、精神科医の泉谷閑示先生は言います。

私もその通りだと思います。

何故自分には病気が起きたのか、あるいはこの病気はどういうメッセージを自身に告げているのだろうか、こういうことを考えるのは変じゃないと思うんですよね。

私もまだ完全に躁鬱病のメカニズムを解明できたわけではありません。この記事ではむしろ病気の構造自体を説明しただけかもしれません。

しかしそれだけでも私が、真剣に病理と向き合って、その構造を理解しようと努めた甲斐があります。

同じく病理に悩む方、あるいは病気を経験した方、その方たちにとって何か参考になりましたら幸いです。

ここまで見てくださってありがとうございました。

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