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思い出す

稲盛和夫さんの「心」を18歳の頃から読んでいます。それと同時に松下幸之助さんの「素直な心になるために」も読んでいます。18歳の時に読み進めた本質的な書物は、同じく松下幸之助さんの「道をひらく」と、見城徹さんの「読書という荒野」、合わせてこの4冊くらいだったかな、と思います。

19歳から仏教に興味を持ち、いろいろありましたが今も学んでいます。一緒に学んでいた友人がいたのですが、宗教団体や現代の自愛不全の病理、禁欲主義、機能不全の問題などが複雑に絡み合い、ともかく様々なことを考えさせられました。その友人とは離れ離れになってしまいましたが、今も元気にしてくれていたら、私にとっては救いになります。

カフェで本を読んでいたのですが、横にいるおばちゃんたちがお話をしていて、世間話というか愚痴みたいなことを吐いていました。別の席では噂話のようなものを話している別のおばちゃん達がいました。この前は保険か何かのセールスの若い女性社員と、その保険についてどうしようか迷っている男性のやり取りがありました。その前は会社の同僚なのか分かりませんが、お互い敬語で話している20代後半であろう男女が話していました。

お互い敬語で話している男女の会話感、雰囲気が、どこか見たことがあるものでした。それは大学に入学した時の身体検査の待ち順で後ろに並んだ男女と同じ雰囲気でした。そこでの男女は初対面で、お互い敬語で話していました。男の子が23歳なんです、公務員をして大学を出れてなかったので学びたくて工学部に入りました、と言っていて、女の人は相槌が上手で、多分いい友人を持っているタイプの女性でした。この男女とカフェで見た男女の雰囲気が合致し、そこから抽出されたのはお互い敬語で話している男女がいて、そこに友好的な雰囲気が漂っている場合、その男性はなぜか社会人を何年もやっていて、うまく社会適合している、ということが分かりました。私は社会に馴染めないタイプなので、4年事務職をやっています、とか、4年公務員をやっています、とか、そういう話を聞くと素直に、すごいな、と思いました。

大学でできた友人にナヨナヨしてるのに何かすごい才能を感じる子がいて、陰ながら尊敬している人がいたのですが、その子がゲームの動画をYouTubeにあげていて、視聴数を稼いでいる、と聞いて、俺もブログで似たことやってるんだよ!と思って感動しました。しかももっと感動したのは、その子がとても情報発信に積極的だったことです。私はよく思うのです、勉強は全くできない人がいる、でも生き抜くということを誰よりも考えている人がいる、と。

私は過去生き抜くことがド下手人間でした。ああすれこうすれという指示のもとで生きていたから、自分の主体性なんてまるでなかった。そして真面目にやってくれない嫌なやつ(その時の同級生)と思っていた人物は、見事うまいこと社会に適合したのです。私は学校の勉強なんて、嘘っぱちなんだ、と思いました。

私の歳では就職活動を終えた同級生がいますが、その人たちが就職の内定を2個も3個もとったと聞くと、とても感動します。私が好きなのは、その就職先のリストや、何時〇〇分集合、とかいう箇条書きの日記です。それを見ると感動するのです、何か生きるということを、その繊細で危ういながら奇跡のバランスを保っているその心を、何か一つ全く綺麗なシャボン玉を見つけたかのようなあの独特の感覚を。就活って綺麗だ、って思います。

見上げた雲がかなりのスピードで動いています。万物流転、この世の法則に逆らうから、この世の諸問題は起きるのだ、と思います。人は1年経てば全くの別人のはずです。もし別人ではないその人の原型(私はこの言葉について詳しい意味は分かりませんが)なるものがあるとするならば、それは変化をした人間のみに起きた、あるいは残った、その人のアイデンティティでしょう。

万物流転の流れに逆らう、1年経っても同じ話をしている人がいるのです。またはもっと言えば、30年経っても同じ話をしている人がいるのです。無論、同じ話をするには二つの道があります。一つは真実を説くとき。もう一つは過去に捉われたときです。そして世の中の9割の人たちは後者に分類されるのだと、思うのです。

夢を鮮明に見るのです、そしてその夢を見て様々なシチュエーションがあるのですが、共通しているのは"孤独だ"ということです。夢の中の私は真に孤独なのです。どうも孤独です。これだけが共通して認められます。毎日毎日違った夢を見るし、起きた時にはその夢の内容を覚えています。数日経てば忘れてしまうのですが。しかしその夢はいつも私が孤独なのです。でも、それが"当たり前"なのです。夢の世界の中では。

大学に行く意味を真剣に考えてみたものの、辿り着いた結論は女の子がいるからじゃないか、でした。キャピキャピした女の子を間近で見ることができるから。勿論私には彼女がいますし、手を出そうなどとは思っていないのですが、ただこの世界の新鮮な中心部を生きている彼女らを見れることが、案外大体の大学生の大学に行く意味ではないか、と思ったのです。

感受性もやはり、生産性から解脱したものではないか、と思います。生産性に頑張って適合するうちは、どうも感受性が眼を開かせない。でもその感受性を開かせるには、地獄と死を見つめなきゃいけないから、それを怖くて誰もやらないのだと思います。だから尊敬する精神科医の方はまず自分が向こう岸に跳んでみせて、お手本を示さないと、絶対に患者さんはできるようにならない、と言っているのだと思います。

宗教の問題に出会したことがあります。宗教の問題は宗教への嫌悪感を弾劾としてすればするほど、皮肉なことに宗教味が増長される、というところにある気がします。故に宗教が悪、無宗教が善、というような二分法的なものの見方を超克しない限り、宗教の問題はなくならないのだと思います。

母の運転する軽自動車のクーラーが壊れて、その修理が今日終わりました。家の近くにある自動車屋さんなのですが、その人のお家に自転車を貸していた(小さなお子さんがいるため)こともあり、なんと修理をただにしてくれました。私は、心がとても温まりました。地域で助け合う、それを20数年ぶりに目撃したのです。

小学四年生のころ、私は友達と喧嘩になってこの世の終わりの形相で怒っていました。怒っていることを思い出すのです。その理由は簡単です。私の母が狂気的に怒っていたからです。私に。私は小学四年生でこの世の終わりの形相で怒っていました。その時点で将来精神障害になることは決定していたと、私は確信するのです。あるいはもっと言えば、幼稚園で私が花瓶を割ってしまった時、それを先生からの伝言で聞いた母がこれまたこの世の終わりのような顔で遺憾の涙を流し悲しんでいたこと、あの時に私の一度の自殺未遂は決定していた、と確信するのです。確約するのです。なぜなら、怖かった、これを封じられるからです。

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