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友人 山 ドライブ

小学校の頃からお互いを親友と言い合った友人とドライブに行った。その友人はワーカホリックになってしまったが、その鬱を治癒してまた仕事を始めたらしい。以前自分は創作で「地元の人には興味はないわ」という作品を作ったけれど、鋭い読者の方にはあれはうつの人に向けた作品だと伝えておきたい。

友人と自分の町の数少ないカフェでお昼ご飯を食べ、最近の状況を語り合った。友人の仕事の内容や、私のブログのことなどを話し合った。自分の創作内容は聞かれなかったし、まだ秘密にしておきたい気持ちもあったので深くは話さなかった。それと友人も鬱になっていたのもあり仕事の悩みも大きく友人の話の方に比重が置かれたため、私のブログの内容はまた次に話そうと思う。

親友と昼ごはんを食べ終わった後、少し都会の隣町(それでも田舎だが)に出かけ、漢字で表記されている蔦屋書店を巡った。そこももう何度も行っており、もはや自分の憩いの場である。カフェテリアと雑貨と食事処が棟ごとに展開され、一つの大きな施設となっている。もちろん本もある。私はそこで中2と中3の数学の参考書を買った。(塾で教えるのに必要なため)

スターバックスもあるのでそこでダークモカチップフラペチーノを頼み、友人が町のカフェでご飯を奢ってくれたことから今度は友人のフラペチーノを私が奢った。私の方が安いが、以前から私は友人に何かを買うことが嬉しいと本気で思う。買ってもらうのもいいが、買ってあげるのはもっといい。

あまりに店が混んでいたので、ダークモカフラペチーノごと車に持ち帰り、甘いそれを飲みながら友人と会話した。

友人が言うには趣味が見つからない、と言う。それもそのはずで私はかねてからその友人の親が過干渉気味であることを少し理解しており、昔はつきっきりでバスケの自主練習を見られた、なんて話を聞いていたから、そうかおそらくこの友人も私と同様主権がなかった、あるいは薄かったのだと思った。それはもうずっと前から理解していた。

私もうつが治るまでは趣味がなかった。そもそも他者の評価で自分の価値をすべて測っていた私にとっては「自分のやりたいこと」なんていうものを持ったことがなかった。それと同様、友人は仕事はできるけれど、それもやりたいかと言われればできるからやっている、だけで、本当にワクワクするわけではないのだ、ということだった。

働けているだけ、偉いと思った。けれど仕事がやりたいと思えないことの苦痛も私にはよく分かっていた。私はそんな説教くさくはなれないから、「何か小さいときから見てるものはないか」ということを話した。そうすると友人は困っていたが、ジブリだ、と話していた。

私はジブリこそあの作品たちは世の喧騒や社会的規範を打ち崩す、あるいはそれの超克を現した作品であり、友人の深い部分でその"奥深さ"が理解されていやしないか、と思った。宮崎監督がそもそも社会のあり方を真摯に問い続けた人物だからだ。

友人にはまだ少し時間がかかりそうだった。上からというよりも一個の人間として、まだこれからということを思った。

フラペチーノも飲み終わり、友人と海を見に行こうという話になった。海を見に行くためには、一つの山を乗り越えなければならない。しかも夕方にその山を乗り越えていくため、時間を追うごとに闇を深くする山々に恐怖の念を覚えた。それに友人は友人のお兄さんのランサーエボリューション(スポーツカー)で来ており、あの山の急斜面と急カーブをスポーツ車の馬力で走るのはなかなかにスリルだった。というより怖かった。私はうつを抜け出して自然に一度還ったつもりではあったが、まだ死にたくないんだということに驚く自分がいた。

友人に「怖くね?」と言ったら、友人は「死ぬ時は2人もろともよ」と言ったので、心配するなと念を押された。死ねば一緒だと。私は「いや俺は死んでも死んだ後は別々の道を行かなくてはならないことを個人的に信奉しているから」なんてことを言い「やめてくれ〜」と叫ぶ私を横目に、友人はハンドルを捌くのだった。

山の中腹あたりで見事に夕陽と山の稜線が重なるところがあり、そこで一度車を止めた。友人が「これやばいな」と言っていて、私もその景色に感動した。死にたくない恐怖と美しい景色とで複雑な心境ではあったが、効率主義の仕事をしている友人に自然を心底美しいと思える感性が宿っていることに私は深い感動を覚えた。

海に着いた頃はもはや夕陽が沈んでいる時だった。潮の香りが全体に漂っており、車を駐車場に止め景色を見た。斑点のように浮かんだ雲と、沈んだ夕陽の残した朱い夕焼けが、深い海の地平線の彼方にぼんやりと広がっていた。

友人の彼女さんの家がその海の見える町にあるので、友人は帰り道は分かると話していた。「すべてわかってるんだ」と話したら「譜面が見えた」と話していて、鬼滅の宇髄さんここに健在という感じだった。

帰りは私が勘弁してくれということで来た山道を戻ることはしなかったが、それにしても別の山道を通らなくてはいけなく、もはや暗闇と化したその後ろに山という黒い巨体が潜む悪い夢のような空間を、私の携帯を大音量に設定した音楽を流しながら帰った。米津玄師のRED OUTを最初に流したが、恐怖心の方が勝ち曲に集中できなかった。途中でBTSをかけたが、この北海道の辺境にある山奥の電波も届かないような太古の自然の中で、BTSのFAKE LOVEが流れていることにこの時代はなんていう時代なんだという驚きと哲学的思索が止まらなかった。

空には月が浮かんでいた。月は明るく、闇を照らしていた。そもそもなぜ月があるのか、と思った。なぜ月というものが存在するのか、そして月というものは太陽というものの反対に太陽の光でもって自らが発光せずに光る。なぜエネルギー放散の太陽だけではダメで、エネルギー受容の月もなければいけなかったのか、私はひどく疑問に思った。

山を抜け街の夜景が見える海沿いの道をただ走るだけになった。もう暗くて海は見えないが、ナビには大きな水の塊が右側に果てしなく続いている。暗い中でも海は鼓動を繰り返し、私たちに見えないところで海は私たちを誘っているような気がした。一瞬そんなことを考えると恐ろしくなり、私はただ遠くに煌めく街の夜景を見ることにした。

友人はBTSもよく聞くらしく、一緒にBTSを歌った。それと同時に思った、ああこれはあの頃の小学時代のやり直しなんじゃないか、と。私も友人も今も現在生き、そしてドライブしているということに、私は驚きと何かの因縁を感じ続けた。もし私があの時死んでいれば、あるいは友人が鬱の途中で諦めていれば、このBTSは聴けなかった。それが12歳頃の私たちの小学時代の情景を郷愁と共に思い出させ、それでいて22歳になった私たち大人(といっても何もかも足りない)の姿を克明に浮かび上がらせた。

この山奥で一度死を経験した。友人のおかげで。暗い深い巨体の山から生き返った私は、生きたのだという感慨となにか自分は幻想を見ていたのではないかという不安と共に家へ帰った。町に戻ってきた時、家の前に着いた時、町の自然と家の周りを囲む木々は「僕たちの側」にいるのではなく、あっちの「暗い巨体の側」にいるんだということを、感じさせられた。私が家と思っていたものは家ではなかったのかもしれない、そんな妄想が部屋に戻ったあとも頭から離れなかった。

友人に山を乗り越えた先にあった夕陽の写真をLINEで送り、その日の感謝を綴った。友人は「こちらこそ」と言っていた。それは本当にそのように感じていることを、その日の経験と友人の笑顔から私は実感した。

私が行ってきた深い山に入れば、皆の経済原理は忘れ去られるだろう。中には山の中でさえも街に生きているような人もいるかもしれないが、そんな人は心が強いんだと思う。

少なくとも私にはあの山の暗闇を思うには、この家を建てていることの自然への申し訳なさと、その孤独を伴走してくれる友人とに感謝しかできない。私は私の存在の稚拙さを感じると同時に、またその裏でだからこそこの世界で自然を伝えなくてはという信念とに燃える思いがした。

孤独な夕闇にか細い心の私は、また明日街に帰れることを祈って眠りについた。

リビングでは母がバラエティ番組を見てゲラゲラと笑っていた。

自分なりにいい作品ができたので、よづきさんのこの素敵な企画に応募したいと思います!

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