見出し画像

古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン』展 in トーハク  その2

上野の東京国立博物館(トーハク)・平成館で『古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン』展が開催中。

開催期間:6月16日(金)~9月3日(日)
休館日:月曜日、7月18日(火) ※ただし、7月17日(月・祝)、8月14日(月)は開館

巡回情報
福岡会場:2023年10月3日(火)~12月10日(日) 九州国立博物館
大阪会場:2024年2月6日(火)~5月6日(月・休) 国立国際美術館

TV番組情報:
①    7月17日(月・祝)午前9:30~10:59 NHKーBSプレミアム
生と死、古代メキシコの世界へ! 過去最大の中米古代文明展 徹底紹介

②    8月10日(木)午後7:30~8:42 NHK
解明! はるかなる古代文明 マヤ

展覧会の全体は4章に分かれ、第1章では全体像が、第2章~第4章では、「テオティワカン」「マヤ」「アステカ」がそれぞれ紹介されている。

前回の記事では、
第1章           古代メキシコへのいざない
第2章           テオティワカン 神々の都

について書いたので、

今回は、その続き、第3章から。

第3章  マヤ 都市国家の興亡

マヤは前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立しました。都市間の交易や交流、時には戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成しました。
王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させました。
本章では、マヤの文化的発展と王朝史に注目します。特に王朝美術の傑作と名が高い、「赤の女王のマスク」をはじめとする王妃の墓の出土品を本邦初公開します。

サイトより

3-1 世界観と意識
3-2 マヤ世界に生きた人々

<支配者層の土偶>
<貴婦人の土偶、戦士の土偶、捕虜かシャーマンの土偶>

3-3 都市の交流 交易と戦争

<猿の神とカカオの土器蓋>
<トニナ石像171>


3-4 パカル王と赤の女王 パレンケの黄金時代

パレンケは、古典期マヤを代表する都市の1つで、洗練された彫刻や建築と碑文の多さで知られます。その最盛期は、615年~683年のキニチ・パナーナ・パカル王の治世です。
他国の侵攻を受け、荒廃したパレンケの王位に12歳で就いたパカル王は、王宮をマヤ地域有数の壮麗な建築物にするなど、建築活動に取り組み、40歳代以降には、戦争と外交により、周辺都市への影響力を取り戻しました。
ここでは、パカル王とその一族を中心とした都市パレンケの足跡ともに、パカル王妃と考えられている赤の女王の出土品を紹介します。

会場での説明文から
<パレンケの地図>
<パカル王と見られる男性頭像(複製)>
<葉の十字の神殿の南わき柱>
<太陽の神殿の北の石板>

赤の女王関連。

パレンケ13号神殿で真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていた「赤の女王」。
このマスクをはじめとする品々を身に着けていた墓の主は、パカル王妃であった可能性が指摘されています。

サイトより
<赤の女王のマスク・冠・首飾りその他>7世紀後半 

赤の女王>は、発掘時の様子が再現されている。
はじめは、レプリカも入っているのかな、と思ったが、全部本物!

3-5 チチェン・イツァ マヤ北部の国際都市

チチェン・イツァのククルカンピラミッド(ネット画像)
<トゥーラのアトランティス像>
<チャックモール像>

チャックモール、かわいいなあ、なんて見てたら、実は怖いものだった。

チャクモールは死んだ戦士を象徴し、神へ生贄などの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓が太陽への捧げ物として置かれたといわれる。

wikiより


第4章  アステカ  テノチティトランの大神殿

アステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明です。
首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市であり、中央に建てられたテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿にはウィツィロポチトリ神とトラロク神が祀られていました。アステカも他の文明の伝統を継承し、王や貴族などを中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行なわれました。
本章ではアステカの優れた彫刻作品とともに、近年テンプロ・マヨールから発見された金製品の数々をご紹介します。

サイトより
テノチティトランのミニチュア。中央奥がテンプロ・マヨール(wikiより)

4-1 大国への道

1325年頃、テスココ湖に浮かぶ島に、メシーカ人が築いた首都テノティトランは、やがて人口20万人以上の大都市へと成長しました。
メシーカ人は、近隣の都市と同盟を結び、1430年には、アステカ王国としての体制を整えます。
制覇により、現在のメキシコとグアテマラ国境までを領土とし、その広大な領域における貢納税が王国の基盤となりました。
しかし、制覇された都市民の不満が高まる中、スペインが到来すると、多くの都市が自主独立を取り戻す好機ととらえて、スペイン人に見方、1521年には、首都が陥落し、アステカ王国は滅土に到るのです。

会場での説明文より


<マスク、耳飾り>
<鷲の戦士像>1469~86年

この<鷲の戦士像>は、ものすごく大きくて、迫力がある。

テンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった等身大とみられる戦士の像。
王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、もしくは戦場で英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の魂を表わしているといわれます。

サイトより

4-2 神々と儀礼

<エエカトル神像>
<ウェウェテオトル神の甲羅型土器>


<トラロク神の壺>1440~69年

雨の神であるトラロクメソアメリカで最も重要視され、多くの祈りや供え物、生贄が捧げられた神です。
水を貯えるための壺にトラロク神の装飾を施すことで、雨と豊穣を祈願しました。

サイトより


展示数140点以上で、見ごたえのある展覧会だった。
お土産売り場もまた魅力的だったが、おとなしく、<トラロク神の壺>のマグネットだけ。

ただ、展覧会に行く前に、すでに買ってしまった本がある。
公式テキストとかではないけど、予習や復習に、あるいは展覧会に行けなくても雰囲気だけ味わうのにもお勧め。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?