六送会について思う事徒然(信頼できる先生の存在って大事編)
この数日、久しぶりに子育てについて悩んでおりました。
ことの発端は、小学校で行われる「六年生を送る会」、所謂「六送会」に、娘(小6)が「絶対出たくないから当日休みたい」と私に言ってきたことでした。
え?だってあなた六年生じゃん。主役でしょ?
だってさ、あと1ヶ月で卒業なのに、ここに来て何で??
ホントに青天の霹靂でした。
結局、いろいろあって、娘は六送会に出席しました。
先生といっぱい話して、気持ちがちょっと落ち着いたのかな。娘が「やっぱ出よっかな」という気持ちになれたのは、先生との話し合いが大きかったように思います。
今日はそれらの出来事について思う事をツラツラと書いてみようと思います。
長くなるので、2回に分けます。
今回は「信頼できる先生の存在って、やっぱ大事だな」と思った事について書いていこうと思います。
あと、私は「学校を休む事=悪い事」だとは思っていません。様々な理由で学校に行けない、行かない選択をしているお子さんがいる事も知っていますし、我が子も、特に娘は、いつそうなっても不思議じゃないな、と感じています。
ただ、そうなった場合、親としてどうするのがいいのか。私はまだ自信がありません。
私の中に「学校に行ってほしい」と思う気持ちがあるのもまた事実です。
学校に行けない、行かない選択をしている、いわゆる「不登校」の子たちの受け皿について、親の立場で思う事もあるので、それについてもいつか記事を書きたいと思います。
イジメられてるとかじゃないのだ
六送会では、娘は合唱をやる予定でした。
今まで練習してきたのに「出たくない」とまで思うなんて。
「何で出たくなくなっちゃったの??」と本人に理由を聞いてみましたが、明確に「こういう理由だ」とはうまく言語化出来ないようでした。
でも、とにかくいろいろ思うところがあるようでした。分かったことは、娘の中でいろんな小さな不満が積み重なって、「何でだ!?」とか「やだ!!」とか「怖い」とか、いろんな感情が入り混じっているということでした。
どうやら、イジメられてるとかではなく、合唱の練習で、そしてリハーサルも兼ねたビデオ撮影で、いろいろ思うところがあったみたいでした。それについては、長くなるので、また次の記事に書こうと思います。
娘の性格
娘は、自称「陰キャ」です。
でも、負けず嫌いで、ちょっと目立ちたがり屋なところがあると、私は思っているんです。
人とちょっとだけ違う事がしたいんですよね。ちょっと個性を出したいという感じでしょうか。
他のお友達が習い事にピアノやバレエを選ぶ中、娘は地元の太鼓の保存会に入っています。息子も「ネーネとやる」と言って、小学校入学と共に太鼓を始めました。
娘が保存会に入った時は幼稚園の年長さんでした。地元のお祭りで太鼓に一目惚れし入会。同級生のお友達が2人一緒で、3人で当時最年少で頑張っていました。
3人とも「難しくてもやる」と言って、大人の練習に喰らいついて、負けん気を発揮していました。太鼓の本番では常に「センターで叩きたい」と言っていて負けず嫌いです。
今では1人退会しましたが、娘とそのお友達がチビっ子組を引っ張り、大人に混じって練習しています。
だから、確かにちょっと引っ込み思案なところもあるけど、負けず嫌いだし、芯もある子だと、母親として思っています。
母親である私の気持ち
とりあえず、まだ当日まで日数もあるし、
「まだ何日かあるし、ちょっと様子を見ようね」という事になりました。
でも、そう言いつつも、私は動揺していました。
卒業式まであと一か月ちょっとなのに。
これはいわゆる「ワガママ」なのかな。
いや、そうじゃないよね。違うと思う。
「ぐちぐち言わず、シャンとしなさい」と言えば済むのだろうか。
いや、それも違うよね。
何て声をかければいいのだろう。
正解が分からないから難しい。
「これはワガママだ」と決めた方が、大人は気が楽なんですよね。それで大人にとっては問題が解決するから。
それだけは言いたくない。それで解決なんかしないから。でも、言えたら楽だろうな、とも少しは思う。でも、言わない。言っちゃいけない。言ったら、娘が何でも話してくれなくなっちゃう気がする。
もしかしたら、この何日かでお友達と遊んでいるうちに気持ちも変わるかもしれない。
ここは「心の休養」だと思って休ませてあげても良いのかな。
でも、乗り越えて欲しい気もする。
人生まだまだ長いし、頑張りすぎても走りきれないよね。
でも、ここで「頑張った」っていう経験が、長い人生で娘の支えになるのかもしれないよね。
ホントに、何が正解なんだろう。
そう悩んでいるうちに、だんだん六送会当日が近付いていました。
娘が大好きな担任の先生に相談してみることに
何日かが過ぎて、六送会の二日前。
娘が担任の先生に「六送会、休みます」と宣言したと言って学校から帰ってきました。
まさかの展開。
まさか宣言するとは。
もし休むとしたら、当日しれっと病欠する事になるのかな、とばかり思っていたのに、まさか「私、休みます」と言うなんて。
娘は担任の先生が大好きで、とても信頼しています。去年も受け持っていただき、2年連続で担任の先生だったので「やった~!」と大喜びしていました。
だからかな。学校で、先生と雑談していた中で、「私、休みます」と打ち明けた様でした。信頼できる先生だったからこそ言えたという感じでしょうか。先生といろいろと話したみたいでした。
ちょっと端折りますが、その後、私も先生とお話をする時間を作らせてもらって、いろいろと情報共有をしました。
そこで、私としてはコロナ禍での学校教育が子どもたちに与える影響について、少し思うことがあリました。長くなるので、娘が「行きたくない」と思った理由と共に、次の記事に書こうと思います。
話をもとに戻しますと、その話し合いで、先生から六送会出席について提案がありました。
先生からの提案
先生が娘に提案してくれたのは
学校に来る、学校に来ない、だけではなくて
「学校に来て、六送会だけお休みする」という第三の選択肢でした。
「皆とステージに立つだけでも良いよ」
「歌えそうなら歌っていいし、歌わなくても大丈夫だよ。マスクしてるから、歌わなくても分からないよ」
「どうしても無理そうなら保健室や別室で休んでもいいよ。先生に言ってくれれば、発表前にぴょん子ちゃんと保健室に行くよ」
「もしステージで具合が悪くなったら、その場でしゃがんでもいいよ」
娘としても、
自分が休んで周りに迷惑をかけないか、とか
他の学年の子の出し物を見たい、とか
体育館に皆で付けた飾りを見て「卒業おめでとう」の雰囲気を味わいたい、とか
そういう気持ちがあったんですね。
なので、この第三の選択肢はとても有り難くて、「学校行こうかな」とボソッと言ってきました。
「ダメそうだ」と思ったら逃げてもいい、という選択肢が、担任の先生に許されているということが、娘にとってとても安心材料になったみたいでした。
結局、当日は弟と共に元気に登校して行き
夕方にニコニコして帰ってきて
「出た」
「マジでシンドかった。けど、出た」
との事でした。
その日、先生から連絡帳で
本番直前に「頑張れそうだから出ます」と本人が言ってきたこと。
表情は固かったけれど頑張って皆とステージで歌った事
他の学年の出し物を、お友達と楽しそうに見ていた事
などが書いてありました。
「他の学年の出し物が可愛かった~。低学年、めっちゃ可愛い。癒し」と娘。
当日休んだら、きっと見られなかっただろう他の学年の演目。
見れてよかったね。
先生、娘にもう一つの選択肢をくれて、ホントにありがとうございました。
「たるんでる」「気合が足りない」とか言う先生だったら、絶対欠席しただろうな、と思います。
ホントに、この先生が娘の担任の先生で良かった。
ホントにホントに、この先生がずーーっと娘の担任の先生だったら良いのにな。
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