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ひきこもりだった僕を救った母の話は「参考にならない」そうです。

こんにちは。カッコイイ親研究所です。

僕は以前、保健所主催の家族会などで、
ひきこもりのことで悩みを持つ親御さんたちに、
「ひきこもり体験談」として、

僕がひきこもりから抜け出した経緯を
話したことがあるのですが、

僕が変われたのは、母のおかげなんですね。


自己紹介の記事にも書きましたが、
母の変化があったからこそ、今の僕があるわけです。
(その記事が気になる方は、こちらからご確認ください。)

この話をすると、ひきこもりのことで
悩みを持つ親御さんのほとんどは、
僕の母がどう変わったのかが気になるようです。


そりゃそうですよね。

藁をも掴む思いで、
今の状況をなんとかしたいと思っていたり、

同じ親という立場の者として、
自分と何が違うのか、

そして、

自分が変わることで
状況を変えられるのであれば、

そこをぜひ知りたいと思うの当然なことだと思います。


なので、今回は、

常に腫れ物を触るかのような
扱いをしてきた母の変化について
触れていこうと思います。

ひきこもりや不登校などで悩みを
もっていない方にとっては、
とても退屈な内容かもしれませんが、
最後までお付き合いいただけると幸いです。




母が目にしたある親子


僕が今の活動(ひきこもりの相談)を始めるにあたり、
常に腫れ物に触るような関わり方しかしてこなかった母が、

ある時期から、突如、
腫れ物に触るような空気感がなくなったことについて、

その頃、母に何があったのかについて聞いたことがあります。


母は、僕がひきこもったまま変わろうとしないことや、
親子関係がどんどん悪くなっていくことに、
買い物に出た時など、車の中でよく泣いていたそうです。


そんなある日、信号待ちで停車し、
信号が変わるのを待っていると、
横断歩道を渡る親子を目にしたそうです。


その親子というは、何かの重い病か障がいにより、
自分では体を動かすことも困難に思える、
僕と同い年くらいの年齢、
もしくは、もっと上の年齢の子どもが車椅子に乗り、

背中の曲がった母親が、
その車椅子を押しながら
ゆっくりと目の前の横断歩道を渡っていたそうです。


その光景を目にした母は、
まるで自分ごとのように感じたそうです。

それと同時に、自分の愚かさにも気がついたと言います。

(以下は、その時母が口にしたことをほとんどそのまま記載します。)


「私は、トイレの世話をしていなければ、
 風呂の世話もしていない。
 あの子(僕)は外に出たがらないだけで、
 自分で考える頭もあれば、体も自分で動かせる」

「あの親子と比べるのは、本当に失礼な話かもしれないけど、
 〇〇(僕)がこの状況だからって、
 何か特別な苦労をしているわけでもない」

「自分がどれだけ恵まれているのか」

「私にできることは、親として、
 この子を死なせないことだけなんじゃないか」

「お金が無くなれば、自分で稼げばいいじゃないか」

「そう思ったら、働こうとしないことや、
 何時まで待ったらいいのかとか、
 そんなのどうでも良くなったというか、
 この子が死ぬまで面倒をみると、
 腹を括ることができた」


と、思ったそうです。

念のため、誤解がないように加えておきますが、

母は、目にした親子と自分を比べて、
幸か不幸かを判断したわけでもなければ、
自分の置かれている状況を楽観したわけでもなく、

自分の甘さや愚かさを痛感してのことだということをご理解ください。


僕はひきこもって親に負担をかけていた身なので、
こんなことが言える立場ではないのかもしれませんが、
母のこの言葉を聞いて、親としての覚悟というのは、
こういうことなんだと思いました。


趣味を活かした店をはじめる


母は、そう思えてからか、
趣味でやっていた社交ダンスの衣装を扱う
お店を始めるようになりました。

このお店をはじめた理由は、
もともと何でもいいから自分の店を持ちたかったのと、
僕がこのまま働けないままでいるなら、
自分が働けなくなった時に、
その店を継がせようとも思ったそうです。

ですが、そのお店は、
店舗の家主とのトラブルにより、
一年と満たないうちに閉めることとなります。

このトラブルにより、
気持ちが折れてしまったのか、
その後、新たにお店を持つということは
ありませんでした。


以上が、主だった母の変化です。


「参考にならない」という親たちの声


この話をすると、
子どものひきこもりで悩んでいる人の大半は、
何かしらの店を始めることが解決策だと思ったり、

中には、「全く参考にならなかった」
「あなただからできた話」という意見が返ってきます。

実際に、保健所主催の家族会で、僕の経緯を話したとき、
母の話が聞きたいとのことだったので、
翌月母を連れて行ったら、
このような感想が返ってきたことがあったり、

ひきこもり関連のイベントで、
母がどう変わったのかについて話した時も、
「参考にならない」という声をもらったこともあります。


正直な話、ひきこもりだった子どもを変えた、
実際の話を聞いて、

今現在悩みを抱えている当事者が、
「参考にならない」「あなただから」と言い切るのは、

一体どの目線で言っているんだと、
当時は憤りを感じたこともありましたが、

これは、ある意味仕方のないことだと思います。


解決策がお店を持つことだと思ってしまえば、
なんの店を出すのかにしても、
お店を出すにもお金がかかります。

なので、現実的じゃないと感じるのもよくわかります。

ですが、

母の変化の話で最も重要なのは、
何かしらのお店を始めることでもなければ、
将来的に子どもに継がせるためのお店を持つことでもなく、

親としての在り方の部分でもある、
親としての覚悟や親としての姿勢です。


とは言っても、ひきこもりに悩む多くの方は、
自分の子どもを死なせないことは当たり前の話であって、

皆、そんな覚悟は持っていると思っていたり、
親らしいことはすでにしていると思っているからこそ、
母の話は、「参考にならない」と言い切るのだと思います。


「参考にならない」と口にする親たちの勘違い


母が口にした言葉や行動で、何が重要なのか。

多くの方は、「子どもを死なせないこと」という部分を切り取ります。
『子どもの死』という強烈なワードに多くの方は引っ張られがちです。

そして、
母のとった具体的な行動として、
お店を始めたことにも引っ張られがちです。


「子どもを死なせないこと」は、
親として重要なことには変わりませんが、

そんなのは当然の話であって、
本当に重要なのは、そこではありません。

そして、
お店をはじめたことも重要ではありません。


母の変化で最も重要なのは、

『心境の変化』と
『チャレンジする姿勢』です。


母が目にした親子を通じて、母が強く感じたものというのは、
上述にあるように、自分の甘さと愚かさです。

ですが、それは同時に、
悲観していた現状が、
感謝に変わったことです。


僕が、アトピーで辛い思いをしている、
働こうとせず、外にも出れずにいるとはいえ、
自分で考える力もあれば、自分で体も動かせる。

それは、五体満足であることを意味します。


世の中には、母が目にした親子のように、
自分(親)がトイレや風呂、食事の世話をしなければ、
生活するのも困難で、
どんなに願っても、その子は不自由を強いらるなど、

そういった子を持つ親としては、その子を置いて先立つことは、
本当に不安でしょうし、気苦労も絶えないかと思います。


そういった方々が、世の中にはたくさんいる中で、
子どもが外に出ない、働こうとしないというだけで、
全ての不幸が自分にのしかかっているように感じるのは、
あまりにも贅沢な悩みなんじゃないだろうか。

親子関係が悪くなっているなら取り戻せば良い。
お金がないなら、稼げば良い。

私は、この子を死なせないために、
自分にできることに集中する。


母が口にした「腹を括った」というのは、
こういうことなんだと思います。

上述で、僕は、母の言葉に、
親としての覚悟を感じたと言いましたが、
それと同時に、親としての強さを感じたのを覚えています。

そして、

年齢が幾つであろうと何かを始めることは出来る、
やり直すことができるという、
母が見せた、『チャレンジする姿勢』
僕を変えたんだと思っています。


母が見せた変化は、
「あなただからできた話」なのではなく、
物事の見方を変える、何かにチャレンジするというのは、
何も特別な状況や環境がなければ出来ないという
ものではないと思います。


まとめ


母の変化を一言で言い表すと、
『何を手放すか』だと僕は思っています。

常に腫れ物に触るような接し方をしてきた頃の母というのは、
世間体や周囲からどう思われるか、
「親として」という、様々なしがらみのようなものがあったからこそ、
一人になった時はよく泣いていたんだと思います。


あの親子を通じ、親として本当に必要なこと
気がつかせてもらったからこそ、
余計なものを手放すことが出来たんだと思います。

余計なものを手放すことが出来たことで余裕が生まれ、
新たな視点や自分が何をすべきかが見えたんだと思います。


とは言っても、やはり、
「参考にならない」と思う方もいるかと思います。

そういった方はきっと、

  • それで、子どもが自立するとは思えない。

  • 子どもを自立させるのは、親の責任だろ。

という、思いがあるからだと思います。


この部分に触れていくと、さらに長くなってしまうので、
『親の責任』については、次回にしたいと思います。


長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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