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【連載短編】『白狐』9

 ホテルの駐車場を何周もして、ようやく空きが見つかった。
 どうして今日に限って、こんなに車が埋まっているのだろう。ホテルというのはどこでも金曜日の夜は人が多いものなのだろうか。
 徳島は車社会で、電車やバスもあることにはあるがそれを利用することはめったにない。私の住む、そして私の故郷でもある町に至っては、18を超えたら車がなければ生きていけない。車が多いこの土地では、ホテルの駐車場はすぐに埋まってしまうのかもしれない。
 車を停めてエンジンを止める。少し早く着きすぎた。
 同窓会の受付開始と開場は17時半、会が始まるのが18時半。現在の時間が17時。
 急に気恥ずかしくなった。50代も間近になって、遠足を控え気合の入った子どもみたいじゃないか。
 別に、楽しみじゃないわけじゃない。
 結婚する前は、いや、章斗が生まれる前までは、同窓会なんて行こうと思わなかった。高校を卒業してからも、たまに仲の良かった同級生と連絡をとって会ったり、年賀状を送り合ったりしていた。それで十分だと思っていた。同窓会なんか行って、少数の会いたい人と大多数の特に会いたくもない人とがないまぜになった場所に出かけて行って、覚えていない昔話や欠席者の虚実混じった噂話を囁き合うのは性に合わないと感じていた。それに家事も章斗の育児もあったし、妻として、親として生きていくことに何とか慣れていこうとしていた私は、高校生の時の私に戻っている場合ではなかった。
 章斗が4歳の時、息子が生まれてから初めて同窓会の招待状が来た。招待状の隅っこに、高校の時に仲の良かった川村郁美から手書きのメッセージが書かれていた。郁美は、高校を卒業してからもたまに連絡をとり合っていた中の一人だった。

 細川先生が11月にお亡くなりになられたそうです。今回の同窓会は、先生を偲んで集まりませんか。たまには同窓会に出て、お顔を見せてください。

 その返事を躊躇っていた私の背中を押したのは夫だった。
「午前で仕事も切り上げるし、章斗も幼稚園に迎え行くから、行って来いや」
 夫が私の同窓会に興味を示すことが意外だった。
「葬式でも何でも、人が死んだときの集まりは出来るだけ行っておけ」
 夫の発言の真意は汲みかねたが、彼は私が同窓会の出席を避けていた一番の理由を見抜いていたのだと思う。
 それまで色んな理由をつけて同窓会への出席を避けていたのは、そのことにある種の照れくささがあったからだ。
「仕事どうや?」
「え、結婚したん?」
「あれから何しよったん?」
「子ども?えー、可愛いやん」
「何も変わっとらんな」
 言葉の一つ一つに、20代半ばから30代にかけての著しい変化が滲む。そんな言葉にどう返していいのか、私には分からなかった。応じようとしても、何だか照れくさくなって、ちゃんと大人らしく返せないような気がしていた。
 でも、その時の同窓会は、細川先生の件もあって、そんな私の警戒していた言葉は交わされなかった。厳密に言えばそういう会話が交わされたが、それが孕むちょっとした圧を細川先生の件が緩和してくれた。みんなそれなりに挨拶や近況報告をした次には、先生の話題に移った。
 それから私は、同窓会に出来るだけ顔を出すようになった。もちろん、久しぶりに会う友人との間に流れる、独特の気恥ずかしさも少しある。でも、今ではそんな恥じらいが可愛い年齢でもない。
 だから、楽しみではあるのだ。
 車内の時計を見る。17時15分。エンジンを切ってしばらく経った社内が暖房の余力を失って寒くなって来た。荷物を持って車から降りる。外で待っていても寒いから、中で待っていよう。私はホテルの中に入っていった。
 受付の前に行くと、既に何人かの人が集まっていた。ほとんどが幹事もやっている。
「吉田さん?」
 男に声を変えられた。旧姓で呼ばれたから、一瞬反応が遅れた。
「はい?」
「ああ、やっぱり吉田さんだ」
 彼は安心したように頬を緩めた。私は、記憶の中から目の前の男を最も一致する顔を探した。短く切りそろえた髪、切れ長の目に薄い唇、細身ながらがっしりとした肩幅。
「俺のこと、覚えてる?」
「もしかして、川島君?」
「そうそう。良かったー、覚えてくれてて。前回の同窓会出てないから、忘れてるんじゃないかと思った」
 川島は高校卒業後、東京の大学に進学し、そこで就職をした。現在も東京に住んでいて、そこで結婚し居を構えたことも知っている。今ではすっかり方言も抜けている。
「旧姓で呼ぶんだもの。急には反応できないわ」
 彼と話していると、自然と標準語で話そうとしてしまう。私の口から出るのは、ものすごくいびつだけど。
「今はなんだっけ?」
「神谷」
「ああ。そうだったそうだった」
 私と川島はそんな話を続けていた。
 受付が始まって、会場にちらほら人が入り始めた時、川島が言った。
「そういえば今日八尾が来るらしいよ」
「え?」
 その名前を聞いて、思わず返答に窮した。彼が私にそのことを言う理由は何となく分かる。でも、急に高校時代に付き合っていた男の名前が出てくると、どんな言葉を返すのが適切なのか分からなかった。別に今更どうしようとも思わないし、だからと言って赤の他人のように接するのが最適とも思えない。
「ああ、何かごめんね。そういうつもりで言ったわけじゃなくて」
 川島は私の困惑を察した。
「ううん。いいの、別に。でも久々ね。八尾君」
「そうだな。あいつもなんだかんだ言って、同窓会に一回も顔出してないからな」
「そうなの?」
「うん。最初の同窓会から一回も。仕事柄色んなとこ飛び回ってるらしいからな。しょうがないっちゃあしょうがないけど」
 八尾君とは、私も高校を卒業して以来会っていない。進学で京都に出たのは知っているけど、その後どうなったかは誰からも聞いていなかった。前の同窓会で、結婚したとかいう噂を聞いたが、その時も本人はそこにいなかった。
「じゃあ。ちょっと俺、トイレ行ってくるから。また後で」
 川島は少し小走りで去って行った。年齢の割には綺麗なフォームで走り去っていくその背中を見ながら、私は考えていた。
 きっと私は八尾君と会うだろうし、話もするだろう。でも、何をどう話そうか。もちろん向こうにも(噂通りであれば)家庭がある。今更お互いに学生時代の恋愛感情が蘇るわけではないだろう。でも、元恋人に対して必要以上の嫌悪感をもって接するほどでもない。
 私たちの恋愛関係は、もう随分と距離のある思い出になっているが、それをどう扱えばいいのか見当がつかなかった。
 受付に段々人が集まり始めていた。年相応の落ち着いた色彩のフォーマルな格好の男女が私の前を通り過ぎていく。
 どうしよう。せっかく、同窓会にも慣れてきてたのに。


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