もっとも完璧なSF映画「12モンキーズ」(ネタバレあり)
というわけで、ガッツリとネタバレがあるので
未見で、かつあらすじを事前に知りたくない人は
今回の記事の閲覧をひかえてください。
では始めます。
今回の話は私個人の実生活での経験とかぶってくる部分も
あるのだけれども
私自身、生まれは青森県なわけだが
青森に関する記憶は1997年で止まっている。
現在48歳なので
青森で暮らした時間より
青森以外で暮らしている時間の方がずっと長い。
青森で暮らしていた時の
数少ない幸せな記憶のうちの一つが
今回の映画の話である。
映画「12モンキーズ」が公開された頃(1996年)
日本国内の映画館経営は大きな曲がり角を迎えていた。
私が子供だったころ、映画館というのは
一日がかかりで行くところであった。
映画1本の上映時間が2時間だとして
2本見るとなると4時間かかる
3本見るとなると6時間かかる。
映画館で入場料を払うと
ずーっと一日中、映画館の中にいられる
という料金システムの中
二本だて、三本だて
というのは当たり前の世界であった。
すでに上映が始まったあとに入館しても
「一周まわってそれで話がつながったら、それでええやん」
という、おおざっぱなシステムであった。
今のような
・映画一作品だけ
・そのつど、観てる人を総入れ替えする
というシステムとは根本的に異なる。
また、映画館というのは
鉄道の駅から徒歩圏内で行けるところに
立地していた。
自動車がないと行けないような郊外に
「シネコン」という形で
複数のスクリーンを併設し
近くにショッピングセンターをつくって
というやり方が始まったのが
1996年前後であったと思う。
青森駅から徒歩圏内にある
映画館がのきなみ姿を消していったのも
この時だったと記憶している。
駅から徒歩圏内の映画館が
なくなって、いく
これは青森市だけに限った話ではなく
日本国内、全国で起きていたことであった。
青森駅から徒歩5分ぐらいのところに
青森松竹、という映画館があった。
建物はまだ残っている。
ここの建物の面白いところは
一階、二階が映画館なんだけども
一階の劇場の
ほっそい通路をはさんで
ラーメン屋さんがある、という点である。
青森市を代表するラーメン屋の一つといってもいい
「味の札幌 大西」が
そこにはあった。
今はそこから至近の場所に移転してるけど。
「味噌カレーバターラーメン」とか
確かに
味噌ラーメンで
カレー粉が入っていて
バターものっかってるけど
それぞれがケンカしないで
個性をたたせて
とてもおいしいラーメン
が、「味の札幌(通称 あじぽろ)」であった。
いや、今もおいしいんだけどね。
小学校に入学した年に
ミュージカル映画「アニー」と
スピルバーグの代表作「ET」が公開され
それを観て育った世代なので
「映画館
で育った世代」としては私が
最後の世代になるのではないかと思う。
インディ・ジョーンズも
エイリアン2も
スター・ウォーズも
グーニーズも
映画館で観てそだった世代である。
青森松竹に関して言えば
フォレストガンプを繰り返し観たのも
この映画館であった。
「郊外にできるシネコンのせいでここの映画館もなくなるらしい」
そういう噂をきいていた1996年当時
かろうじて経営を続けていた
青森松竹で観た映画が
今回紹介する「12モンキーズ」である。
さて、まえふりが、だいぶ長くなった。
これだけ前フリしてたから
ここからは映画のネタバレしてもいいと思う。
話は
「1996年 謎のウィルスが人類に襲いかかり
人類の99%がこのウィルスのせいで死滅。
残った人類は地下にもぐり生きることを
余儀なくされる。
このウィルスの原株をもちかえってワクチンをつくり
生き残ろうとした科学者たちは
一人の男をタイムマシンで送り込み
ウィルス、あるいはそれをばらまいた連中の
正体をつかもうとする」
というのが、おおざっぱなストーリーである。
「人類の99%を死滅させるようなウィルスがあったとして
しかもタイムマシンで過去にいける技術があったとして
じゃあなんで、その大惨事を未然に防ごうとはしないの?」
という素朴な疑問があるわけだが
タイムパラドックス(時間旅行で生じる矛盾)として
「過去に起きた出来事が、書き換えられて
仮に未来が根本的に変わった場合
それをやらかした未来側の人間は
そもそも『生まれてこなかった』ということで
存在そのものがなくなってしまう可能性がある」
というリスク(=危険)があるわけで
設定上では
「2035年の科学者たちが
1996年に被験者を送り出し
ウィルスの原株を奪取し
2035年にもちかえり
それをもとにしてワクチンを製造し
人類は生き残る
という
まぁ、人間の業というか
ロクでもない欲望が渦巻いてるのが
この物語のミソです。
タイムトラベルの話でも
バックトゥザフューチャーとは
えらい違いです。
なので、この時点で
タイムマシンで過去に飛ばされて
仮に主人公が自分に与えられた課題を
すべてこなして成功したとしても
1996年に謎のウィルスが出現し
人類の99%が死滅した、という
過去は変えられません。
科学者たちのもくろんでる
2035年以降の人類が助かる、というのが
目的なわけですから。
なので、ネタバレになりますが
この映画は
・こうして人類はほぼ、全員が滅亡した
・こうして人類は生き残った
という全く正反対の意味をもつ可能性を残して
話が終わります。
タイムトラベルの話として見た場合
バックトゥザフューチャーは娯楽作品として
まちがいない大傑作ですし
笑って、元気になれる作品ですが
12モンキーズは陰鬱です。
たとえるならば
風邪をひいて高熱で
しかもセキがとまらなくて
風邪ぐすりのんでる上に
咳止めシロップものんでて
意識が朦朧としているときに
寝ていたときにみた悪夢、
うん、このたとえが一番ぴったりあてはまります。
冒頭で
ピアソラの
プンタデルエステ組曲
https://youtu.be/AegUFLTBNxM?t=38
この曲を選んだ時点で勝利は確定していました。
この映画でこの曲を知ったことにより
私はピアソラ、という作曲家兼プレーヤーを知ることになり
私の人生が大きく変わるわけだが
ピアソラについては改めて書くから
最小限にとどめておくけども。
話の流れとしては
・未知のウィルスの蔓延で1996年からスタート
・最初は風邪とおなじ類のものだと思ってた
・けどウィルスは変異を繰り返し
・人類の99%が死亡
・かろうじて生き残った人類は地下にもぐる
・主人公はタイムマシンで過去にもどされ
ウィルスの「もと」を
奪取して未来に戻る任務を背負わされる。
こうやって書き起こしてみるとわかるのですが
「そもそもウィルスの拡散ふせいだほうがよくね?」
って話なんですけど
そこはタイムパラドックスというか
自分たちが生きてるエゴというか
そういうのでスルーされます。
ここが他のタイムトラベルの話の映画とは
一線を画している理由ですね。
主人公のブルース・ウィリス演じるコールは
昔から
幼いころ、過去におきた出来事が
トラウマ(精神的外傷)となって
たびたび悪夢にうなされていた
という描写がある。
それは、
自分の目の前で人が射殺されるのを
目撃したせい
なんだけども
ネタバレすると
この時の少年が目撃して
射殺されたのは
大人になった自分自身であった
というオチがつく。
物語のラストちかくで
人類の99%を殺すことになる
ウィルスをまき散らそうとする
犯人がわかって
主人公はそれを止めようとするのだけれども
空港で射殺される。
やるせない気持ちにはなるのだけども。
その
人類の99%を死滅させることになる
ウィルスの拡散を防ぐために
主人公は命をかけて頑張るわけだけども
地球に隕石がぶつかりそうで
その隕石が地球にぶつかったら
まちがいなく人類滅亡だから
なんとかしてくれ、っていう
映画「アルマゲドン」
とは全く正反対の内容である。
話の内容としては
ウィルスをまきちらした犯人グループとして
「12モンキーズ」という
テロリスト集団が犯人らしい、
彼らの情報を集めてくれ、
というのが発端であった。
たしかに
秘密結社「12モンキーズ」というものが
存在して
街中に「We did it. (俺たちがやった)」と
足跡のこしてるわけだから
コイツらが犯人だろう
と皆が皆おもうわけである。
おまけに12モンキーズの一員である
ブラッドピット演じる男の父親は
世界的な権威ある細菌学者
(実験所に人類を滅ぼしかねないようなウィルスを保有している)
という設定なので、もう、これは、となるのが普通である。
実のところ
本当の真犯人は
ブラピ演じる世界的、細菌学者の父親の部下であった。
エコロジーとか
「地球にやさしく」とか
「持続可能な世界」とか
いわれてるけども
地球の生態系を維持していくために
環境のために
なにが正解か?となると
実は人類が滅亡するのが
最適解だったりするわけである。
私はこの手の破滅理論には賛同しかねるけども
この映画の真犯人は
「地球にやさしく」という理論で
人類の99%を死滅させるウィルスを
世界中にバラまく。
この映画は極めて矛盾している
一方で
人類のたびかさなる愚かな所業に対して
・だから滅んだのだ
という主張と
・それでも人生は素晴らしい
という
正反対の主張がなされている。
ルイアームストロングの
What a wonderful world
(あぁ、世界ってなんでこんなに素晴らしいんだろう)
を作中に用いてくるあたり
この監督さん、相当なタマである。
アンビバレント、相反する感情という意味なんだけども
人が生きる、ということに関して
ここまで否定的にも肯定的にもなれる
そのブレ幅の大きさが
この作品の醍醐味である。
「未来から来ました、もうすぐ人類のほとんど全員は死滅します」
↑
まぁ、仮にそれが万が一本当だったとしても
そういうことをおおっぴらに言ってたら
頭のおかしい人扱いされるのは当然でして
主人公は精神病院に入れられます。
その精神病院の中で知り合ったのが
ブラピでして
彼も相当ヤバいキャラ設定です。
これがあるので12モンキーズは
未来永劫、テレビ地上波で
放送することはできません(笑)
映画の設定上、あるいは演出上
必要があったのはわかりますが
精神病院の閉鎖病棟内で
ブラピがいきなりケツまるだしにして
暴れまわるシーンは
もう放送コードからいって
放送するのは無理です。
ブラピがケツまるだしにして
とびまわって
精神科閉鎖内で
枕からとびだしてきた羽が
病室内を舞う。
ベッドに横たわってるだけの
患者たちは
「あー」
「うー」
と呻いてるだけ。
作品の演出上
やりたかったことはわかりますが
よく、あれが
公開できたなぁ、と思います。
2023年の今なら
絶対に無理ですね。
より良い方向へ
未来を変えるために
頑張る
努力次第で
未来は
より良い方向へ
変えることができる
という、確固たる
前向きな信念で
タイムトラベル
過去と未来とを
行き来する
というのが
バック・トゥ・ザ・フューチャー
という作品であり
確固たる名声を手にいれ、
個人的には大好きな
三部作である一方
12モンキーズは
同じタイムトラベル作品でも
スタート地点で
ハッピーエンドはのぞめない
状況である。
それでもこの映画は大好きである。
この映画をみたとき
青森市内の映画館は
もうほぼ全滅状態で
この映画を上映していた
青森松竹も
閉館は時間の問題であった。
実はこの映画の上映中
機材トラブルで
上映が一時中断した。
「なにやってんだよ!」
ってイラつくより
「続き、早くみたい」
という気持ちのほうが強かった。
無事、復活して
上映が再開されたのは
良い思い出だし
そのあと
味の札幌でたべた
味噌カレーラーメン
(味噌カレー牛乳ラーメンとかあるけど、僕は、これ)
が美味しかった。
これが青森に関する記憶で
最後の幸せな記憶だった
と思う。
翌年、私は弘前大学を
退学し
横浜国立大学に
入りなおすわけだけども、
青森市では
以前から進んでいた
シネコンの計画により
映画館は奈良屋劇場(いまはシネマディクト)以外、すべての映画館が廃館
となった。
もう四半世紀まえの話か。
郊外にシネコンができた
そこには一度もいったことの
ないまま、シネコンは
つぶれた。
・上映は一本のみ
・毎回、入れ替え制
・そもそも車ないと劇場に行けない
という
利用者からしたら
マイナスでしかない
シネコンだったのだけども
それも昨年
つぶれたそうだ。
そりゃそうだと思う。
だって
施設の名前が
「コロナワールド」
あきませんわ、これ。
事実は小説より奇なり
と申しますけども
コロナウィルスだけでも
大変な話なのに
たまたま
施設名が
「コロナワールド」
だったせいで
シネコンが
つぶれました。
いわゆるショッピングモール
イオングループの
サンロード青森に
若干の映画館、スクリーンは
ありますけど
青森市の映画産業はもう
死亡確定です。
シネマディクトが
頑張ってますが
それぐらいですね。
あ、なぜ
12モンキーズが
完璧な映画か?というと
この監督さん大の親日家
なんですよ。
日本大好きだから
甘やかしてる
とかではなくてですね、
この映画のタイトル
「12モンキーズ」
からして、すでに完璧なんですよ。
理由を述べます。
映画の作中では
「人類を破滅に追い込んだテロリスト集団、それが12モンキーズだ、だからヤツらの動きをとめろ、潰せ」
で
話は進行するんだけども
実際の犯人は彼らではなかった。
ここに面白さがあるわけです。
12モンキーズ
つまり
12人の猿たち
ここに
監督テリー・ギリアムの意図が
明確に出てるわけです。
まだわからない?
では、種明かしをしましょう。
日本の文化には干支(えと)というのが
あります。
オリジナルは中国らしいですけど。
ヒツジ年であれ
ウマ年であれ
トラ年であれ
人間、人類は
しょせん
サルじゃねーか
自分も含めてやけど
そう思う
という
監督の強烈な意図がみてとれます。
まぁ、これは
今にして思えば
という類の話ですが。
12モンキーズを観てから数カ月後
力を使い果したかのように
青森松竹は閉館します。
僕も弘前大学を退学して
青森から離れました。
その後釜として
できたシネコン
の名前が
コロナワールド
で、昨年つぶれました。
この御時世で
施設名が
コロナワールド→つぶれた
は、「あー(察し)」
です。
生きてると
そういうこともあるんですね。