⑮~研修や講座の報告資料の作成~

昨年12月の全国ピアスタッフの集いでぼくの報告を聴いてくれていた精神科訪問看護の事業所の代表をやっている方(福岡移住に至る物語でいうところのMさん)から10月14日(土)に川田さんの経験談を是非、職員に語って欲しいと依頼が正式にきた。

職員の研修の講師をして欲しいということらしい。
そして、職員から来ている要望がざっと以下のような感じ。

・幼少期から病気になるまで(家庭環境など)
・疾患になってから現在まで
・疾患の乗り越え方・付き合い方・向き合い方
・今後どんなことをやっていきたいと考えてるか
・リカバリーに必要だったこと、又はどんな社会資源があれば良いと考えるか
・治療に対しての思い
ex. 役立つのは診察?入院?薬?就労?頼れる人?どの順番か?
・希望や幸せを感じる時
・支援者に望むこと
ex. 話をきいてもらうなら、どんな人がよいか?

Mさんからはとても一度では語り切れないと思うから複数回に分けて依頼させてもらいたいと考えていると言われている。

欲を言えば、3回(=3時間)位時間が欲しいとはたしかに思う。

他にも来月の10月20日(金)には、福岡市の精神保健福祉センターで行われるピアサポート講座の講師という大役も控えている。

今日の職場で利用者の何人かと、来月の講師業の話をした。

「研究も報告の準備とかも順調ですか?」

あ~…、いや、研究はもちろん来月から休学する体たらくですし、報告資料も全然準備できてなくて~…(笑)やばいっすよね笑笑

「なにやってんですか!?ちゃんとやんないと~!」

うっす…、頑張りまっす…!

研究や報告について、激励をされてしまった…。

その後何人かを交えて、来月の報告、自分が足りもあるよ!とか言っちゃってるんだけど、どんな話をみんな聴きたいですかね~?と質問をした。

「それはほら、あなたが話したい内容を語ればいいし、それでついていく人はちゃんと話を聴くし、ついていけない人も出てくると思うけども…」

そうだね。ちゃんと「自分が語りたいこと」位、自分で決めないとだよね。

そして今、レモンサワーとビールをそれぞれ500㎖ずつ飲みつつ、これを書いている。

プロフィールやら現在の職場の数々、保有資格やら大学院生であることを最初に名乗ろうとは決めている。

そして、自分語りというか自己物語を提示する段では、ハンナ・アレントの『人間の条件』にも引用されているこの言葉をまずは最初に引っ張りたい。

「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる」イサク・ディネセン

そう信じればこそ、ぼくは当事者研究者として自己物語の再構築を通して、自分自身の「過去の制作」をしてきた。

今後、どんな風に生きていきたいかを語る時、ぼくは間違いなく、ダニエル・フィッシャーを引くだろう。

「当事者にとって、リカバリーとは、生を取り戻すこと、あるいは、『自分の生をリカバーする』こととして解釈されるのがより適切である」
「私がリカバリーについての自分自身の物語を語ることが重要である理由は、それが希望を与えるからだと。私の物語は、人びとはリカバーしないという神話に対抗するものだとその人たちは言う」
「私はこの本を希望についてのものにしたい。私たちの生が粉々にされているような状況において、私たちは希望の船を造るのだ」

願わくば、ダニエル・フィッシャーのように自らの自己物語を不特定多数の他者に差し出すことを通じて、ぼくは「他者に希望を与え得る存在」になりたい。

このぼくの願望…

『傷ついた物語の語り手』の表現を借りるなら、探求の「物語の語り手の責任は、過去に起こったことの記憶を証言し、後に続く者たちに少しでもよい実例をもたらすことで、この記憶を立て直すことにある」(p. 187)とでもなるだろうか。

あるいは、『当事者は嘘をつく』の表現を借りるなら、「この本が公刊されることは、新しい語りの型を、次に生き延びる人のために提供することでもある。それは、もっと自由で流動的な誰かの自己物語を、狭い型にはめてしまうことかもしれない。(改行)でも、その窮屈な型を破って、新しい型を生み出すサバイバーがきっと出てくる。私の語りの型は、誰かの生き延びるための道具となり、破壊され、新しい型の創造の糧になる日を待っている」(p. 199-200)とでもなるだろうか。

ぼくは言葉が好きだ。

「言葉はわれわれの経験に形を与え、それを明瞭な輪郭をもった出来事として描き出し、他者の前に差し出してくれる。本人にのみ近接可能な私秘的『体験』は、言葉を通じて語られることによって公共的な『経験』となり、伝承可能あるいは蓄積可能な知識として生成される。『語る』という行為は、人と人との間に張り巡らされた言語的ネットワークを介して『経験』を象り、それを共同化する運動にほかならない。」『物語の哲学』(p. 80-81)

20代前半の頃から、漠然と将来「公共財になりたい」と思っていた。

「一生続くと思われていた『精神疾患』からリカバリーした私たちは、軽蔑された被追放者としてではなく、資源として見られるべきである」(ダニエル・フィッシャー)

昨年12月の全国大会での報告の際には、ぼくはまだまだ闘争的だった。

闘争的な生き方からかなりの程度降り、「楽しく、幸せに」生きようとしているぼくに今、何を語ることができるのだろう??

Mさんは、「川田さんが福岡移住した決断にしても、とても大きなモノだったと思うし、そういう決断に至った話とかを利用者さんに語ってもらうだけでもなんらか力になると思うんですよね~」なんて言っていた。

なるほど、たしかに切り取り方を変えればぼくが福岡移住に至った物語はそのような「自己物語」として他者に差し出すことも可能なのかもしれない。

闘争的ではなく、かつ言葉を鎧として身に纏う生き方からもだいぶ降りてきてしまっているぼくが今、人前に出て、かなり無防備な状態で何を語ろう。

怖さが伴う。

一方で、いつか、こんな報告したいなという願望もある。

たとえば自分が生きる上でとても励みになった影響を受けた文学作品や音楽やその歌詞を紹介したい。そしたらぼくは、吉本ばななの『キッチン』や真木悠介の『気流の鳴る音』、住野よるの『君の膵臓をたべたい』、『生の技法』、『母よ!殺すな』、『いのちの女たちへ』、『こんな夜更けにバナナかよ』などをまず挙げるだろう。そして好きな音楽としてゆずやMr. Children、19、Official髭男dismなどを挙げるだろう。

影響を受けた作品やフレーズ、生き方、思想、哲学を自分がどのように受け取り、自分のものにしようと足掻いて来たかをいつか語りたい。

最近、自分は自分の専攻を「関係性」だと思っている。
いろんな関係性の中を生きてきた。

他者に「自己物語」を差し出す際には、その自分が生きてきた「関係性のエッセンス」を提示したいと思っている。そして、伝達する身体として、自己物語を語ることを通して、「新しい関係性」の中に入って行きたいと思う。


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