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選挙 愚か者は有益 空の鳥は天使

1、選挙
元銀行員の候補者は、好都合な情報だけ出してボロが出るから、珍しい。
そのボロとは、政治家になる前の人間関係が悪いというところだ。
俺は、一回だけ、全く関係のない人の批評を見て、何となく疑問が浮かんだけど。
銀行時代の顧客・上司・同僚・部下が出てこないのは、難癖ばかりで相手にされなくなったのだろう。
相手には付き合う義理はないから、無視されたら終り。
銀行は仕事をする場所であって、口論をするところではないからだ。銀行が何をするところなのか分別が付かないのだろう。
銀行は成果を出すところであって論破するところではない。

相手に乗り気にさせる能力が欠落している。
話をしないといけない相手にだけ難癖を付ける。市長と市議会議員の関係なら、相手しないといけないから難癖を付ける事ができるだけ。でも、自分は逃げる。こういう自己中なところが銀行員時代で無視される原因。
普通の人間関係なら、排除されて終わり。
鉄砲玉みたいに使われるだけ。
議会を闘技場みたいにする有権者に鉄砲玉として投票されるだろう。

言い詰めができる職業に就職した方が良かったのではないか。
警察の取り調べ・弁護士・批評家とか色々あるだろう。

世の中のルールが正しいとは思わないけど、世の中のルールを理解できなければ、生きるのが難しくなる。
神に立ち帰れば、世間に迎合しないから、世の中のルールに従わないで生き辛くなっても、神に従っているから満足できる。

やっぱり、悪人を叩くからには、自分の悪心も含めて、一番に悪い奴を叩かないと詰まらない。
この世の命令系統は、神、人、サタン、サタン側、表の権力者の順番になっている。
神は間違えないから人の悪心が原因である。サタンが人の悪心を読んで手下に命令する。
表の権力者でも、強いのは金持ちとかであって、政治家や官僚やマスコミなんて三下もいいところである。
そんなのを相手に難癖を付けるだけの人生は詰まらない。時々、人々の悪心を咎める下地として、必要があるならやってもいいけど、まずメインは一番に悪い人々の悪心を糾弾する事である。

俺は、道徳や中国古典で自分の生き方の良し悪しについて、色々と考えていたから、自分の悪心が諸悪の根源だという考え方は、割と楽しく受け入れられた。
ほとんどの人は、自分が悪いとなると逆上する。

この候補者は、悪を叩くというよりも、勝てそうな相手が悪をやっていたら叩くだけで、勝利したいだけの自己顕示欲に支配されている。
勝てそうな相手でも悪をしていないと、攻撃したら周りに袋叩きにされるから、そういうのだけは学習できるのだろう。
勝てそうな相手に難癖を付けて逆にボロ負けしたら、恥ずかしくて、まともな神経をしていたら二度と表に出ない。

サタン側が既に計画しているから、議会で何をやろうが何の意味もない。
なぜ、ワザワザこんなのを政治家にするのだろうか。何らかの思惑がサタン側にあるのだろうけど。

東京に限らず、町が腐敗で悪化するのは、人々が町の平安を主に祈らないからだ。

わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。

エレミヤ書 29:7

町の平安を祈らないのは、町に住む他の神の信者を殺すも同然だから、そんな殺人犯は天罰で人生が破綻しても当然である。
主に祈らないのが最も悪い。命令系統は、神、人、サタン、サタン側、表の権力者という順番なのに、人が神に対して祈らないから全てが悪化する。

故郷に仕事がなくて上京するしかなかった都民は、東京を恨んで平安を祈らないから、人生の平安もなくなる。
東京を恨んで変な候補者へ投票しようとするから、東京だけではなく、日本中の町が悪化する。
こういう東京を恨んでいる上京民が、こういう変な候補者を鉄砲玉として議会へ送り込もうとする。
ただ、サタン側が当選者を決めるから、投票は意味がなくて、精々、行動すると意思表示する程度。
サタン側に好都合な候補者の中で、誰が当選してもおかしくないという雰囲気をサタン側が作っているだけ。

平安を祈らないから、候補者もロクでもないのばかりになる。
主に平安を祈らない非信者が諸悪の根源である。
人々が東京を恨んでいるのが言動からにじみ出ているから、サタン側が感じ取ったのか。
それともサタンが人々の悪心を読み取って、部下に命令したのか。

神に立ち帰ればサタンは逃げる。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

ヤコブの手紙 4:7

信者になれば、平安で幸せな人生になり、死後は天国へ入れる。

2、愚か者は有益
不思議な話だけど、無益無害な人間を排除すると、無益有害な邪魔者が大きい面をする。
だから、能力がない無益無害な人間だからといって排除してはならない。
聖書でばかものとか愚か者とか言ってはならないというのは、有用だからだろう。

しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

マタイ福音書 5章22節 新共同訳

無益有害な邪魔者は、有益無害な人から利益を盗み取る。
そのため、無益無害な人だらけになると、無益有害な奴は、利益を盗む相手が居なくなって、干からびる。
ただ、有用だからといって無条件で持ち上げると増長するから、差別してはいけないという言い方になる。

愚か者は愚か者だけど、愚か者と言ってはならない。
愚か者が愚か者ではないとは、イエス・キリストは言っていない。
愚か者に「愚か者ではない」と評価すると愚か者は増長する。
愚か者を有能だと評価すると「俺は有能だから優遇しろ」と思い上がる。
愚か者を愚か者と言うと、愚か者は逆上するから言ってはならない、という言い方なら受け入れられる。豚に真珠であり、豚に真珠を与えても踏みにじって歯向かってくる。

神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

マタイによる福音書 7:6

愚か者に対して「お前は愚かだ」という価値のある金言を与えても、踏みにじって逆上する。
神であるイエス・キリストが「愚か者と言う人は地獄へ落ちる」と言うのは、愚か者を叱るような言い方だと愚か者が逆上してくるから、正しい人の信者に身を慎むように忠告している。

世の中の聖書解釈をする人は、こういう解釈をしないで、ただただ愚か者に対して我慢しろと言うだけだから、ムカついてくる。
裏で二人きりでこういう解釈を言ってくれるならいいけど、そんな事も言える関係性でもないなら、ムカつくだけだからワザワザ言うなと思う。
腹を立ててはならないと聖書に書いてあるけど、他人を腹立たせるだけの奴は、どうしたものだろうか。

箴言18章6節は「愚か者の唇は争いをもたらし、口は殴打を招く」とあるから、愚か者は勝手に自滅して殴られるため、ワザワザ愚か者と言ってやる必要性はない。

欧米の偽装キリスト教団は、ただただ我慢しろと言うから、人々がウンザリして離れて悪魔崇拝へ行ってしまう。これが狙いなのだろう。
こういうのを散らす者という。

マタイによる福音書 12:30
わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
ルカによる福音書 11:23
わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」

神の教えから外れたやり方をするのは散らす者である。

聖書を読む前から、我慢だけを強いる聖書解釈をする人間に対してムカムカしていた。
偽装キリスト教団だと無意識で気付いたから、ムカムカするのだろう。
直感は9割正しい。

蛇のような聖書解釈をしてくれたら、かなり素直に受け取れた。

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

マタイによる福音書 10:16

一応、俺も気を付けていたけど、前々から愚か者と言った事は謝る。申し訳ありませんでした。
聖書を引用する時に愚か者と書いてあると、愚か者という単語で説明しないといけないから難しい。
愚か者という単語を使わないで、聖書で書かれている愚か者について、定義や説明をしろと言われても、かなり難しくなる。
俺は忘れっぽいのもあるから、愚か者と言ってしまう事がある。
神や神の代弁者である預言者が人を「愚か者」と表現するのは、神だから大丈夫なだけ。

我慢を強いるだけの聖書解釈は、タダの思考停止になっているから、ムカムカしてくる。
聖書に限らず、思考停止の人間を見るとムカついてくる。
蛇のように賢くなりなさいとは、思考停止にならず、物事を賢く考えなさい、という意味でもある。
愚か者は自滅するから、ワザワザ愚か者だと忠告しなくていい、という意味なら、素直に受け取れる。他の背教行為を警告するだけにしなさいと言われているようなものだから、やりやすい。

多分、ムカムカするのは、相手の思考停止に気付かない自分の知恵の足りなさに対して、無意識に気付いて、無意識に怒っていたのだろう。
だから、神は怒ってはならないと言っているのだろう。

人の怒りは神の義を実現しないからです。

ヤコブの手紙 1:20

怒っている時は、必ず自分に何らかの落ち度がある。
ただし、直感は正しい。

3、空の鳥は天使
前も書いたけど、何で「空の鳥」「海の魚」なのだろう。
海の魚だけではなく、川にも魚がいるし、湖にも魚は居る。何で海の魚だけ限定なのだろう。
空の鳥にしても、空は虫だって飛ぶし、タンポポの種みたいに飛ぶモノもある。
前に、空の鳥・海の魚は天使・堕天使・悪魔も含めていると説明した。
ワザワザ鳥に「空の」と言葉を付ける意味がない。鳥なら鳥と言えば良いだけであって、ワザワザ「空の鳥」なんて言うのは、何か意味があるはず。

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