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誰も弱者で援助不要 悪を叩かない罪 権力者の擁立権 新聞妄信の原因 訂正 謝罪

1、誰も弱者で援助不要
神は、貧困者・未亡人・孤児だけを助けろと言っている。
旧約時代だと、それなりに弱者を助けるように書かれている。
新約時代になると、イエス・キリストも使徒も弱者を助けろと言わなくなった。
旧約時代でも弱者だから裁判で依怙贔屓してはいけないとも書かれている。

誰でも弱者の立場になれるから、神は弱者を助けろと言わなくなったのだろう。
生まれ付きの家柄・知能・体力・精神・才能・発達障害などでも、誰でも弱者と言えば弱者になれる。
全てが揃っている人など存在しない。居たとしても孤立するから、人間関係が脆弱である。同じ立場の者同士で仲良くなるかと言ったら、むしろ敵対関係になる。そもそも、神に立ち帰っていない時点で情報弱者である。

弱者に対してマウントを取る人間が出てくるから、神は弱者の定義そのものをなくしてしまったのか。
弱者を救済しなくても、貧困者を救済したら十分フォローできる。

弱者偽装の問題。
旧約時代は、弱者を偽装するのはプライドが許さなかったのだろう。
新約時代は、弱者を偽装してもプライドが許すのだろう。
プライドよりも不当利得が欲しいのだろう。弱者でもないのに大声で叫んで税金を盗む奴らが存在するだろう。
偽装弱者のせいで本当の弱者が恨みの対象になるから、神は弱者を助けろとは新約で言わなくなった。
貧しい人だけを助ければ弱者も十分に助けられる。
金持ちの弱者なんか助ける必要がない。

旧約時代は、弱者でも弱者だと言うのはプライドが許さないだろう。
今でも貧しいのに弱いと言いたくない人が居る。俺も、極貧だったのに、生活保護を受けようと思わなかった。
逆に、強者なのに弱者を自称して不当利得を貪る奴も存在する。
自分が強者なのに弱者だと思い込んでいる奴も存在する。

弱者の定義の問題もある。
弱者が他人にマウントを取る訳の判らない思い違いをする。
経済力は劣っていても、知能は優れている場合があるから、マウントが取れてしまう場合がある。

努力できるのも才能というから、努力の自己責任を言う人間は傲慢である。

自力で年収を数百万円以上を稼げるなら強者の部類だと思うけど、その仕事を創出してくれなかったらまともに稼げないから弱者とも言える。

強者の癖に弱者に誹謗中傷する奴らは、そんな性格を見透かされて出世できなくて不遇になって、また弱者を誹謗中傷する。タダの自業自得。
いつ暴言で不祥事をやらかすか判らない奴を出世させない。
サタン側がいつでも社会的地位をはく奪できる状態にするのが、サタン側の目論見である。勝手に暴言を吐いて自滅する奴は、いつでも権力をはく奪できる状況にならない。

2、悪を叩かない罪
人々の悪心を糾弾しないと、人々の悪心の罪を負う事になる。

水商売の金銭トラブルで警察のマニュアルが激昂させるような方法で結果的に殺人事件を誘発したけど、警察はマニュアル通り優秀に実行したからマニュアルを作った者が悪い。
そのマニュアルを採用した者が悪い。
採用した者に権限を与えた者が悪い。
権限を与えた人事部が悪い。
その人事部を認めた政府が悪い。
与党が悪い。
投票した者が悪い、となる。
この世の命令系統は、神、人、サタン、サタンの手下、表の操り人形の順番になる。
神は間違えないから、人々の悪心が諸悪の根源になる。
人々の悪心をサタンが読んで手下に命令して表の操り人形の権力者が実行する。
こうやって、さかのぼると、最終的に人々の悪心が悪い事になる。

人々が人命無視だから、この世の命令系統を下っていくと、最後は官僚も人命無視になる。
人々の人命無視を糾弾しなければ、人々の人命無視の罪を負う事になる。
死後に天の主の裁きを受ける事になる。

自分の悪心も含めて、全員が人々の悪心を糾弾すれば、この世の悪は全て消滅する。
悪心を糾弾しないから、悪行が激増する。

人々の悪心を糾弾しないと、人々の悪心の罪を負う事になる。

歴代誌下 19:10
あなたたちの兄弟が自分の住んでいる町からあなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない。
エゼキエル書 33:6
しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。

悪を叩かないと罪になる。
しかし、悪人を叩いても自分の別の悪は赦されない。
自分が悪をしないで、他人の悪も叩く必要がある。
その悪とは、人間社会の善悪の罪ではなくて、聖書の神のルールで違反している罪の事である。

匿名でも良いから悪を糾弾したらいい。
実際、ネットなんて匿名に見えて住所は把握されているため、匿名で書いても実名で書いているようなモノだ。

3、権力者の擁立権
旧約時代は権力者を擁立するのは天の主だった。

主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」

歴代誌下 16章9節 新共同訳

「ご自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」と書いてあるから、神は異邦人だろうと神に立ち帰れば権力を与える。
イスラエルの王だけではなく、イスラエル以外の権力者も神が擁立した。

しかし、新約になると、サタンが権力者を擁立する権限を神から与えられた。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

だから、新約以降の権力者は、全員がサタンに魂を売って、サタンから権力を与えられた存在である。
権力者は、直接的にサタンに魂を売ったのか、間接的なのか。

そもそも、旧約の出エジプトでファラオの心をかたくなにしたのは神なのだから、権力も与えるかどうかは神が決める事である。

では、なぜ、新約になったらサタンに権力者の擁立権限を与えたのか。
イマイチ、判らないから保留しておく。

権力者の役割は、神に敬虔な者を助けて、背教者を殺す事だ。
基本的に旧約も新約も権力者の役割は、背教者を殺して、神に敬虔な者を助ける。
神の信者を殺すと、神が怒って、この世をソドムとゴモラのように亡ぼして、最後の裁きを前倒しにして、サタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消す。
だから、権力者になったサタン側は、神の信者が死なないシステム作りをして、神の信者ではない人間を殺すようにする。

サタン側が善い事をしているように見えるのも、神の信者が死なないようにするためであって、人々を幸せにしたいわけではない。
そんな事も判らない非信者は、自分が幸せだからエリート層が善い事をしていると頭がお花畑で呑気な発言をする。
こういうお花畑な人は、観察力がないから、創作とかでもロクなモノが作れない。売れてないのが何よりの証拠だ。
サタン側は信者が生きられるようにインフラ整備・社会福祉・経済政策をしているのであって、背教者を生かすために善い事をしているわけではない。
確実に神に立ち帰らない人間だと判れば餌食にする。薬害などで殺す。
サタン側は、人々を地獄へ道連れにするのが目的だから、金持ちになれば傲慢になって道連れにできるなら金持ちにする。
先進国に成れば傲慢になって地獄へ道連れにできるなら先進国にする。

4、新聞妄信の原因
非信者が新聞を妄信する。
非信者は自分を信用していないから他人を妄信する。
自分が神に背いている悪人だと無意識で感じ取っているから、悪人を信用できないから、自分を信用しないのである。

では、どうして、マスコミは非信者の癖に自分自身を信用して自己嫌悪にならないのか。
それは、自分が悪人でも罪悪感を抱かない性格だからだ。
世の中には、自分が悪人だと自分を信用しない人と、自分が悪人だろうと開き直る奴が存在するし、悪人の癖に他人に自分を信じるように洗脳する奴らも存在する。

だからと言ってネットもマスコミと同類だから、信用に値しない。
自分で情報を集めて、取捨選択して「真実を探す意識」があるなら、ネットは使いようはある。
しかし、新聞やテレビが嫌いだからネットを見るような人間は、ネットでも騙される。

自分で「真実を探す意識」がないと、偽物の偽装キリスト教団が本物だと騙される。

5、訂正
昨日、書いた自己嫌悪について。
神の信者は自己嫌悪に陥らないと書いたけど、訂正する。
正しくは、神の信者は、自己嫌悪の原因が自分の背教にあると認識できるから正しい生き方ができるようになる、と言い換えておく。

非信者は、自己嫌悪の原因が自分の背教にあると認識できないから、軽挙妄動して訳の判らない屁理屈や価値観に洗脳されて人生が潰れる。
非信者は、自己嫌悪の原因を背教以外に擦り付けるから、永遠に納得できずに苦しみ続ける。
神の信者なら、自己嫌悪の原因が自分の背教にあると認識できるから、軽挙妄動しないし、訳の判らない屁理屈に洗脳されないし、偏屈な価値観に固執しないし、苦しまない。

非信者は、神に背いている自分の悪行を無意識で感じ取っているため、自分は悪人だから、自分が好きに成れない自己嫌悪に陥る。

6、謝罪
「中国人は自分の出身地にしか帰属意識がないから、中国全体を叩いても悪行を辞めないから、故郷や家族を叩かないと犯罪を辞めない」という感じの事を書いたけど、親の罪は子に被せてはいけないと聖書に書いてあるから、謝罪する。
申し訳ありませんでした。

書いたかもしれないし、書いてないかもしれないし、頭の中で考えていただけかもしれない。
しかし、読んだ人が過ちを犯す方向へ誤導しそうだから、謝罪した。

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