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求める答えがもらえないと…

人間関係がなかなかうまく行かない、と悩まれる方は結構多く、それらの問題の根本にはコミュニケーション不全があります。
ただコミュニケーション不全と一言で言っても、その理由にはそれぞれ違いがあります。

特に厄介なものの一つとして「求める答えがもらえないと、相手を責める」というモノがあります。
相手に対して何かを要求してそれが叶えられなかった時、その相手に対して怒りを爆発させるというモノです。

例えばこれが親子関係の場合、親の言うことを子供が聞かなくて親が子供を怒る、ということになります。
この相手が友人とか同僚とか、家族以外となってもそれと同じような対応をしてしまうと、相手は家族ではありませんからその人から離れて行ってしまいます。

何故このようなことが起こってしまうかと言えば、このようなコミュニケーション不全を抱える人は、相手を理解しようとしないという問題を抱えていると考えて下さい。

昔で言う「ガキ大将」のような存在を思い出してもらえれば分かりやすいかも知れません。
「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」というような考え方、自己肯定感100%といった感じでは、相手を自分よりも下に見たり、みんな自分の言うことを聞くものとしてコミュニケーションを取ってしまいがちです。

総じてこういう方というのは自己の間違いを認めません。
何しろ自己肯定感100%ですから、自分には何も間違いはない、問題はないと考えています。
それがどれだけいわゆる「世間の常識」と乖離していたとしても、こういう人は「間違っているのは常識の方」と考えることで自分を守ろうとします。

その間違いや問題を指摘されることは自分を否定されていることになり、否定する相手の方が間違っていると考えるところから相手を責める、という行動になります。

こんなことを繰り返しているうち、自分の周りにいるのはその人のご機嫌を取って自分を守ってもらおうとする人や、そこで何らかの利益を得られる人のみとなってしまいますが、それすらもやがては離れて行かれてしまうこともしばしばです。
いじめっ子とその取り巻き、というのは分かりやすい例ですね。

相手が家族であろうとそれ以外であろうと、人間関係において大切なのは「対等」であることを認識することです。
相手が子供であろうと、えらい肩書を持った年長者であろうと、立場においては対等であり、相手の言葉に耳を傾けることを忘れず、自分の意見はそれとしてしっかりと伝え、相手の考えとの相違があるならその相違点をお互いに話し合い、自分が間違っていたと理解したら「ごめんなさい」だし、どうしても自分として譲れない想いがあるのであれば、その主張を取り下げることはせず、相手の意見との妥協点を見出す努力をする。
これが「コミュニケーション」であり、自分を認め相手も認める、という人間関係の大切な基本となります。

自己肯定感というモノは「自分は完璧!」ではなく、自分にも出来ない事はあるし苦手なものもある、自分だって間違うことはあるし他人より劣っていることもある、と自分を認めることです。

そして出来ない自分、劣っている自分だからこそ、それが出来る人に助けを求めて、その分その人が苦手なところを自分が補助する、という関係を作っていくことが必要となります。

自分も相手も同じ「人間」です。
必要以上に自分を卑下する必要もないし、傲慢になることも必要ありません。

但し相手が子供の場合はより分かりやすい言葉で、年長者の場合は敬意をもって言葉を選ぶようにすることは必要かな、とも思っています。



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