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「役に立ちたい」アダルトチルドレン

誰かの役に立ちたい

生きづらさを抱えているアダルトチルドレンに、共通してある想いです。

この想いそのものはとても尊いモノですし、常に誰もが持っていて欲しいモノです。
ですがアダルトチルドレンは、誰かの役に立っていることを直接実感したくて、無理をしてしまったりしてしまいます。

誰かに喜んでもらうために本当の自分を隠してしまったり、誰かに褒めてもらうために必要以上に尽くしてしまったり。
そこには「認めてもらいたいからしてあげた」という想いに対する「報酬」が欲しい、というモノがあります。

何かを「してあげて」、「ありがとう」という言葉を報酬として受け取る。
そこで自分の承認欲求を満たそうとしてしまう訳です。

この一例として、私のところにカウンセリングを受けに来るお客様の約3割は医療・福祉従事者であることがあります。
看護師さんとか介護士さんとか、療法士さんやケアマネージャーといった方々です。
(看護師さんが一番多いかな?)
看護学生さんなんかもいらっしゃいます。

これらの仕事に共通するのは「ありがとう」という言葉を直接、患者さんや利用者さんからもらえることです。

こういうお仕事の方に「なぜこのお仕事を選んだのですか?」と訊いてみると「誰かの役に立ちたくて」と答える方が多いことからも、その心理が分かって来ます。

そこで「コトバ」という報酬をもらうため、頑張って頑張って、頑張り過ぎてしまって自分のココロもカラダも壊してしまうんですね。
先ほどもお伝えした通り、その想いはとても尊いんですけどそれで自分が壊れてしまっては本末転倒な訳です。

また依存傾向が強いという観点からいえば、夫婦や恋人といったパートナーからのDVに耐えてしまう、というケースもやはり「この人は私を必要としてくれているから」という間違った思い込みがあるためそこから離れられなくなってしまう、ということもあります。

これらは総じて自己肯定感が低いためそれを他人からの「承認」に頼って満たそうとしてしまっていることから、このような状況に陥ってしまっているわけです。

他に自分を犠牲にせずとも自分を認めてあげる方法ってないモノでしょうか?

先日、ラジオを聴いていて、日本には「寄付」という文化が根付いていない、という話題をやっていました。

寄付というと○○募金とか、コンビニのレジにも募金箱が置いてあったり、最近ではふるさと納税なども寄付のような扱いになっているようですが、本来は何も見返りを必要としない、ただ役に立てて欲しいという想いからするものです。
(ふるさと納税は返礼品がありますけど)

そう考えるとお金だけではなくて、献血も寄付だし、ヘアドネーションもそうですし、フードバンクも寄付先になる訳です。
お金の寄付にしても最近は、100円単位から出来るモノもありますし、その時の自分に出来ることを出来るだけのことが出来ます。
私も年間で10,000円~15,000円を福祉施設や福祉事業に寄付しています。
(本当はもっと寄付したいんですけど、私の収入ではこの辺が限界だったりするモノで…)

先日のニュースでは某TV局が長いこと放送しているチャリティー番組にされた募金を横領したTV局員が逮捕された、というものもありましたがそういうモノを避けるために私は直接、福祉施設や福祉事業を行なっている団体に寄付するようにしているわけです。

どんな形でも誰かの役に立てるし、自分に出来る範囲で行なえるし、直接のお礼はもらえないかも知れないけど、必ずそこには助かっている人がいるわけです。

そういう行動をしている自分を認めて、自分で褒めてあげるようになっていけることで、自己肯定感も上がっていくようになります。

頂いたサポートはカウンセリング普及活動などに使わせて頂きます