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自己肯定と自己否定

昨日は「子供の自己肯定感を上げるためには大人も自己肯定感を上げておくことが必要」という投稿をしましたが、今日は自己肯定感と自己否定感そのものについて少しお話しようと思います。

自己啓発系のブログや動画配信サイトなどを観ると「自己肯定感爆上がり」みたいなタイトルをよく見かけます。

私もたまに観るのですが、確かに伝えていることは正しいんですけどちょっと片手落ち…と感じることもあります。
(上から目線で申し訳ありません)

ですが実際に上記のような自己啓発系の記事やサイト、本やセミナーなどを利用しても一向に自己肯定感が上がらないと訴え、カウンセリングに来られるお客様が多いんです。

中には何十万円、何百万単位のお金をそのために費やして来ているお客様もいます。
挙句、占いやスピリチュアルに嵌まり込んでしまったり、カルトに入信した方も居ました。
そういったお客様に私は「まず問題の根本を見つけましょう」と伝えています。

自己肯定感は独立しているモノではなく、自己否定感との相対関係にあると考えています。
自己肯定感が低いということは、自己否定感が高い(強い)と言い換えることも出来る、ということです。

自分が出来ない事があってそれについて他人から批判されたり、出来ない事を悟られないために「出来る振り」をしてしまって、余計に自分を貶めるような結果になってしまう。
そこに気が付き、その問題を向き合うことが出来て初めて、上記のような自己啓発が役に立つ。
そんな風に考えてみて下さい。

「出来ない事がある=悪」 「完璧な自分で居る=善」
こんな図式がありませんか?
これってあり得ない事であり、それぞれの方々もアタマではそれを分かっているんです。
けど、そうでなければいけない、と思い込んでしまっているため出来ない事がある自分を許せなかったり、完璧でない自分を責め、否定してしまうんです。

ですが現実的に自分には苦手なことがあって、出来ない事があって、でもそれを受け入れられずに「自分はダメな人間」と自己否定を繰り返すばかりでは自己肯定感は上がりませんし、その状態で自己啓発をしたとしてもそれは「その時の自分」にはアタマでは理解出来ても実際には出来ない事ばかりなためうまく行かず、余計に自己否定感を強めるだけになっているんです。

そこで考え方を少し変えてみて下さい。
今の自分に「出来ないこと」はたくさんあります。
ですがそれは、今の自分にとっての「伸びしろ」だと考えます。

そしてその伸びしろを伸ばしていくために、他人の力を借りる自分を許す、と意識してみて下さい。

自分には出来ない事を「出来る」人は身近にいるはずです。
そういう人が身近にいるから、その人と自分を比べて「私には出来ない」と自己否定しているはずです。
そういう人に「助け」を求められる自分になっていく、ということが、自己肯定感を上げるために大切なこととなります。

自己肯定感が上がらない人の多くはこれが出来ないんです。
出来ない自分を知られるのが恥ずかしいとか、出来ない自分をさらけ出すのを自分で許せないとか、そこには間違った思い込みや誤ったプライドがあって、結果的にそれが自分の成長を邪魔している、と考えて下さい。

つまり自己否定感は自分にとって伸びしろの「材料」であって、それを克服出来れば自動的に自己肯定感は「上がる」んです。

そして人は死ぬまでに「完璧」に「すべてのこと」が出来るようになるわけではなく、死ぬまで「出来ないこと」があってこれは逆に言えば「死ぬまで伸びしろがある」「人は死ぬまで成長出来る」ということだと考えてみて下さい。

そうすると自己否定感と自己肯定感それぞれは、人が成長をするために必要なものであり、そのバランスをとることが出来れば常に自己肯定感を感じながら生きることが出来ることになります。

もっとも自己肯定感が高い人というのは、自分ではそんなことすら意識していません。
それがその人にとって「当たり前の生き方」になっているからです。

つまり「出来ない事があってもそれは出来るようになれば良い」と理解出来ていて、その行動として「出来ないことは出来る人に訊く・教えてもらう・手伝ってもらう・やってもらう」ことで「自分も覚える・出来るようになる」ようになれば良いと、無意識に出来ているんです。

自己肯定感が高いというのは「出来ない自分が居ることを認め、一度はそれを否定してもその否定を自分の成長材料と出来る」こと、そんな風に考えてもらえたら、まず自分の大元にアプローチする必要があることも分かって頂けると思います。

自己肯定感と自己否定感、半々くらいでバランスが取れていることが大切。
私はそう考えます。

頂いたサポートはカウンセリング普及活動などに使わせて頂きます