こういう人にこそ「虐待」を学んで欲しい
※今日の記事は少々言葉が荒くなると思いますが、ご容赦ください
昨晩のニュースでこれを知りました↓
「子の留守番禁止 条例案に指摘次々-埼玉の虐待禁止条例、自民改正案可決も質疑は防戦一方 県執行部に「対応丸投げ」指摘も」(Yahooニュースより)
このニュースをご覧になった方も多いと思います。
どう感じられたでしょうか?
私は「こんなアタマが悪い議員が居るのか」と呆れてしまいました。
この議員を選んだ有権者は今、どんなことを思っているのでしょうか。
「児童の生命、身体などに危険がない。そして、児童のもとにすぐに駆けつけることができる。この2つが確保されない限り、『放置』に該当する」
これがこの条例の要旨のようですが、例として「ゴミ出しに行く際、子供を家に一人で残す」のも「虐待」になるし、「登下校時に子供を一人にする」のも「虐待」になるし、「公園で親の付き添いなしに子供が遊んでいる」のも「虐待」になるし、「子供一人ででおつかいに行かせる」のも「虐待」になるようで、そうなると今後「はじめてのおつかい」なんて番組は「児童虐待番組」となるようです。
(この条例には通常の虐待と同じように、通報義務が課されるそうです)
例え児童の兄や姉が一緒に居たとしても「未成年」であればそれは保護者に該当しないため、やはり「虐待」になるっていうのはもはや、親は子供から離れてはいけない、ということになりそうです。
果たしてそのようなことが可能なのかどうか?
恐らくアメリカの真似をしたいんだろうと思うのですが、その環境が違い過ぎることを考慮していない点に問題があります。
アメリカでは学校に行く際、スクールバスがあって登下校時に送迎をしてくれますし、親が学校まで送迎するのも普通になっています。
またベビーシッターの制度も充実しているので、両親が共働き出来る環境が整備されています。
(ベビーシッターによる虐待があることも事実ですが)
日本ではこのような制度の整備が遅れているため、この条例を実現しようとしたら、親の負担は計り知れないこととなります。
例えば放課後、子供たちが利用する学童や放課後デイサービスに行く際も親がついて行かなければならないとなれば、親は仕事を辞めるか、学童や放課後デイサービスが学校まで迎えに行くようにしなければならなくなります。
そもそも両親共働きを推奨しているのは政府・自民党でしょ?
言っていることとやろうとしていることがこれだけ乖離しているのも珍しいと思います。
ゴミ出しだって朝に出す家庭が多いと思うのですが、早朝であれば子供はまだ寝ている状況でゴミ出しをすることになっている家庭も多いと思うんです。
そう考えると一人親の場合はもう、どう頑張っても「虐待」する親として通報されてしまうことになりかねません。
他にも色々とツッコミどころはあるのですが、私が一番伝えたいのは「虐待とはそういうモノではない」ということです。
この条例案の中では「放置」という言葉を使っていますが、これはきっと炎天下の駐車場に子供を車の中に置き去りにして買い物したり、パチンコに興じることを言っているんだと思うのですが、そもそも虐待における「放置」とは、親と子供が一緒にいる状態での虐待を指している、というのをこの議員たちは知らないのでしょうか?
虐待における「放置(ネグレクト)」とは、親が子供と一緒に暮らしているにも関わらず、子供に食事を与えないとか、何日も同じ服や下着を着させたままでいるとか、子供に何を訊かれても返事もしないとか、子供に対して何の興味も関心も向けない状態、子供の成長を妨げる行為であることを、議員たちは知るべきです。
こういう親ですから当然の如く、子供を連れて公園などに行くはずもなく、こういう環境下にいる子供は唯一の息抜きになっているかも知れない「公園に遊びに行く(家から外に出る)」ことが実質上出来なくなります。
それは結果的にその子が虐待を受けているかも知れない、ということを周囲が知る機会も減ってしまうし、子供自身が「家に帰りたくない」ということを誰かに伝える機会も奪ってしまうことになることが考えられます。
つまりこの条例は、このような「そもそも虐待がある家庭」においては、その虐待を更に助長する可能性すらある、ということにならないでしょうか?
全くこのような馬鹿げた条例が数の暴力によって可決されるのだとしたら、埼玉で子育てをしている親御さんたちが気の毒でなりません。
中には必死に子育てをしているにも関わらず条例違反と言われて「毒親」というレッテルを貼られてしまうことでもあれば、それが元で本当にその人は「毒親」となってしまうかも知れません。
学校が終わって家に帰って、玄関にランドセルを放り出して、そのまま友達と遊びに行く。
今はそんな光景はないのかも知れませんけど、子供はある程度自由な環境の中で様々なことを学び、友達同士だけで行動することによって人間関係を学んだり、喧嘩をしたり仲直りしたりしながら友情を学び、時には羽目を外してしまって怪我をすることも大切ですし、親以外のオトナから怒られたりして社会の中にいる自分を学び、成長していくのも大切と考えます。
そこに常に親の目があって行動が制限されるようなことがあるのだとしたら、それこそ「親の顔色を窺う」ようになってしまい、「子供らしさ」を失ってしまうことだって考えられます。
果たして埼玉県の自民党県議員団の方々は、この条例は本当に子供を守ろうとしているのか、しっかりと考え、本当になくしていくべき虐待とはどういうモノなのかをしっかりと学んで欲しいと思います。
ほんと、アタマ悪いんじゃないの?
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