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「意味」とか「価値」とか

生きる意味とか価値とか考える必要はない。
あなたはあなたがしたいことをして、あなたが好きなことをして、あなたが生きたいように生きれば良い。

私がこの単純明快なことに気付くに至った経緯を、長々と書きます。
(これは私の短所で、簡単なことも難しくしたいがために文章が長くなります)
※あくまでも個人的な見解です

生きている意味ってあるのだろうか?
生きる価値って何だろうか?
私は生きていて良いのだろうか?

始めにお断りしておきますが、これらに対する答えを自前で持っている方はそれでOKです。
あなたのそれを信じてください。

さて、カウンセリングを受けるとか受けないとかに関わらず、これらの事は誰もが一度は考えたことがあると思います。
実際にカウンセリングの場面では、このような問いかけがよく来ます。
さて、もしあなたが誰かからこのような問いかけをされた時、あなたは何と答えるでしょうか?

私の10代半ばから30代を目前にしてうつ病を発症するまで、このことばかりを考えては「死にたいなぁ」と思うこともありました。
学校でもいじめられ、社会に出てもなかなかうまく事が進まず、楽しいこともありましたけどその大半は苦しくつらいことばかり。

自分は何で生まれて来たんだろう、自分は何で生きているんだろう、自分は何で生きていかなければならないんだろう…
そんなことばかり考えながら過ごしていました。

人がこの世に生まれ出でて様々なことを感じ、考え始めて以来の難題です。
科学だったり哲学だったり宗教だったり、それぞれの側面や考え方からこの問いに対する答えを出そうとしてきました。
ですが未だにその答えは出ていません。
それは、これらの問いに対しての明確な「答」は無いからです。

ただそれは「あなたが出す答えが正解」とも言えます。
統一された正解がないのなら、それぞれの個人がこの問いに対する答えを持っていて良いし、この問いに対する答えは個人に委ねられているとも言えます。

「こんなにつらく苦しい毎日。
何も楽しいこともない。
これからもこんな日々が続くのに、なんで私は生きているんだろう。
こんな毎日を耐えながら生きることに意味はあるのだろうか?
そこまでして生きることに価値ってあるのだろうか?」

言葉遊びのようになってしまいますが、私はこのようなことを訴えて来られる方には、こんな風に伝えています。

「生きる意味って何でしょうね? それは自分が死ぬその瞬間に分かるんだろうって考えています」
「生きる価値って、あなたが今、私の目の前に居る。 そして私と話をしてくれている。 それは私にとってとても価値があることで、私はあなたの価値を認めています」

意味と価値。
同じようで違う受け止め方を、私はしています。

意味は自ら見出すモノ。
価値は自分以外の「誰か」が見出すモノ。

株式市場で日々、売買が成立しているのはその一つの株式が誰かにとっては欲しいモノだし、誰かにとっては手放したいモノだからで、それぞれの価値が折り合った時に値が付きます。
つまり価値とは、自分以外の人が自分に見出すモノであって、自分で決められるものではないんです。

さらに言えば「価値」と「価値観」は違います。
価値観とはそれぞれが各々に持っているもので、似たような価値観を持っている人はいたとしても、まったく同じ価値観を持っている人というのはいません。

それぞれの価値観によって目の前にいる「あなた」をどう評価するか。
それはそれぞれに違うし、違っていなければその方が問題なんです。

だからあなたを好きになる人もいるし、嫌う人もいる。
世の中すべての人に好かれることもなければ、すべての人に嫌われることもあり得ません。
いずれにしろそれは「あなた」以外の人が、あなたの価値を見出すわけです。
生きているだけで価値がある、と言われるのはこういう事なんだろうと思います。

あなたが生きているだけで勇気付けられている人がいる。
あなたが生きているだけで癒されている人がいる。
あなたが今「生きている」ことをうれしく思い、大切に思ってくれている人がいる。
あなたにそういう「価値」を見出している人が必ずいます。

ただそういう「存在」を身近に感じられなかったり、その人たちがあなたにくれる言葉を「そのまま」受け取れていないから、自分には生きる価値がないと思ってしまうんだろうと思います。
生きている価値がないんだから、生きる意味もない。
このように短絡的に考えてしまうのも、仕方ないのかも知れません。

生きている意味は死ぬ時に分かるのであれば、普段はあまり考える必要はない。
生きている価値は自分では無く他人が決めるのであれば、それは他人に任せておけば良い。

つまり、生きる目的ってのはほとんど無いけど、生きる価値はあるんだよ、と言って良いでしょう。
そんなことを考えて思い悩んでいる時間があるのなら、これから何をして楽しもうか、誰と話して楽しもうか、どこへ遊びに行こうか、誰と過ごそうか、そこを考える時間に充てる方がよほど有意義な時間の使い方にもなるはずです。
あなたにとっての「幸せ」を考え、想像し、求め、追いかけながら日々を過ごす事こそ、生きる目的にすれば良いのではないでしょうか?

あなたがいてくれるから、私がこの世に存在出来ている。
あなたが私に生きる価値を与えてくれているし、私が生きることで誰かがそう思ってくれるなら、私にも生きる意味がある。

あなたを好きな人もいるし、あなたを嫌いな人もいる。
私を好きになってくれる人もいれば、嫌いになる人もいる。
ただ、世の中のほとんどの人はあなたも私も知らないんだから、これから出会う未知の人たちとの出会いは「同じ日々」が続かないことを意味している。

宇都宮市の人口が約50万人。
そのうち、私が知っている人はどれくらいいるだろう。
私を知ってくれている人はどれくらいいるだろう。

これはその個人によってその数は全く違います。
知り合いが多い人もいれば、そんなに多くない人もいる。
仕事だけの付き合いの人もいれば、友達とか、恋人とかという付き合いの人もいる。
けどどんなに知り合いが多い人でも、49万9,999人と知り合いという人はいないでしょう。

つまり誰かしらがあなたとつながりがあって、私の事を知ってくれている人がいて、それぞれがまたどこかでつながって…というのが「世の中」です。
物理的な「一人」の状況はあっても、精神的な「独り」はあり得ないのが世の中です。

あなたが楽しければ、誰かも楽しい。
あなたが苦しめば、誰かも苦しい。
あなたは「独り」ではないんだから、生きているだけで誰かの役に立っている。
少なくとも私は、私と何らかの形で関わってくれる人たちがいるから「私」が存在出来ている。
それは「あなた」も同じなんです。

だから私は「笑いながら死ぬ」ことを生きる目的にしています。
日々を笑って過ごせるわけではないですけど、少なくともそうしようと意識し続けることで、他の人にもそれは伝わる。

誰もがいつかは死ぬわけです。
それは明日かも知れないし、何十年後かも知れない。
だったら明日笑いながら死ねるよう、今日を楽しく過ごした方が良いじゃん、となります。
楽しく過ごすためには多少、苦しかったりつらかったりする時もあります。
けどそれは自分が「楽しむ」ために必要だったら、頑張れるでしょう。

やりたいことをやりたいようにやるために、やりたくないことをしなければならないこともあります。
けどそれも「楽しみ」となるし、何かをすることは必ず「誰か」のためになっている。

だから目的とか価値とか考えず、今を精一杯楽しめば良いんです。
また、その楽しいことや好きなことを見つけるために生きていると思うのでも良いんです。

それが出来ないから、分からないから悩んでいる、と言われる方もいるでしょう。
そういう時のために「他の誰か」がいるんです。

あなたを大切に思い、愛してくれている人に悩みをぶちまければ良い。
そういう人が必ず居ますから。
それであなたが楽になれたら次は、他の誰かの悩みを聴いてあげられる人になれるんです。

他の誰かのためにあなたはいるし、あなたのために他の誰かは居るんです。
だから死ぬまで生きてみませんか?

私のために、あなたのために。
私も、あなたも。

う~ん…
やっぱり私はカウンセラーより教祖様の方が向いているのか?(^^;

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