朝井リョウ『正欲』
今話題のオーディブルで読了しました。
もともと気になっていて文庫化されるまで待っていたのですが、お正月休みで暇になりどうしても待ちきれずという状況でオーディブルで見つけてイッキ聴き?しました。
読む前から「今までの『多様性』の自分の中の概念が覆される」と各メディアから情報を入れていた。しかし、そもそもそういった話題を意識した生活をしてきていないので、自分の中には『多様性』の定義や概念が確立されているかも分からないので「覆されるというよりかは定義される」のかなと思いながら読み始めていった。
構成は「2019年5月1日、登場人物名」で章が構成されている。この年月日は、令和に年号が切り替わる日で「新時代」の象徴であり、この登場人物たちは、マジョリティやマイノリティの象徴である。それぞれの登場人物の視点で話が進んでいきゆったり他の登場人物に関わっていく。
ここで言うマイノリティは世の中ですでに理解の進んでいるLGBTQよりさらに少数派のこと。
まずマジョリティの象徴である寺井啓喜の視点に立って読み進める。若干排他的な高圧さにうーんと思うところはあれど共感はできる。一方、マイノリティの登場人物たちの中には水が吹き出すことなど水に対して性的興奮を覚えるという設定。そんな感覚自分にはないはずなのにだんだんと主観はマイノリティ側に移っていってしまうはずだ。それは寺井啓喜たちのマイノリティへの極度な嫌悪表現によると感じた。「それは言いすぎだろ」と感じる箇所が多々あるはず。
そうやって読者をマイノリティ側へ誘ったら後は彼らの思考を読者に披露していく。ここでその思考が「本物の思考」に感じる表現がなされていることが朝井さんの凄いところだと感じる。
マイノリティがゆえに彼らは欲求を満たすのに苦労をする。しかし、その特性をマジョリティに理解してもらおうとはそもそも思っていない。諦めのような、共感への無欲のような何かが常にドロッと彼らの周りを取り巻く。
特に印象に残ったのは物語後半マイノリティの諸橋大也がマジョリティの神戸八重子へ向けた発言。
これ読むと多様性、多様性って言えなくなります。もし自分の周りにマイノリティがいて、これを読む前にその事実を知ったら「差別はよくない、その人の痛み苦しみを理解しよう。しかもそれがその人のためになるからと理由付けするかもしれない。」しかし、これを読むと「その対応はただの自己満足だし、『その人のためになる』は大間違いだ!」ということに気が付く。なぜならマイノリティにいない自分たちは彼らの思考を理解することは不可能だからだ。
自分には「多様性」の定義が無意識的に根付いていて、それが覆った瞬間だった。
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