感情をのせない、と決める。
思春期の娘が、担任の先生への不満を募らせ、
いよいよピークに達している様子。
娘はさまざまな形で私にサインを出します。
まずは、不満を言葉にしてぶちまける。
1人で部屋にこもって泣いて
お風呂で泣いて
泣いたことを私に告白する。
悩みを話してくれるということは
娘は私を信頼してくれているのだと思います。
同時に、
私に何かしらの期待をもしている、そう思います。
ちょっと前の私は
そんな娘のために何かしてやらなければ!
娘を救ってやらねば!
そう思って
私に何ができるだろう?
何をすれば娘に笑顔が戻るだろう?
と私自身が悩みました。
結構しんどかったです。
その時期を通り越した今、少し考えが変わってきています。
娘はおそらく
これからの人生で同じような状況に多々陥るでしょう。
そのたびに2人で頭を抱えて泣くのは生産的でない。
少なくとも大人の私は、
娘に感情移入しておろおろするのではなく、
冷静かつ客観的に対応しなければならない。
そう思うようになりました。
「共感」はとても大切なことだと思います。
娘の立場になって考えることは必要ですが、
娘と同じように腹を立てたり、憂いたりしていたのでは、
この先ずっと同じことを繰り返すだけで、
困難を克服することはできそうにありません。
それはきっと娘にとっても私にとっても不幸なことです。
娘に伝えました。
「きっと乗り越えられると思うよ。」
「あなたにはその力があると思う。」
娘は何も言いませんでしたし、
あくる朝はいかにもしょんぼりしながら、
学校に行きました。
娘は学校に行きたくなかったかもしれません。
私に失望したかもしれません。
学校を休ませるという判断や
親から一言、担任にメモでも渡して配慮してもらう
というような判断もできましたが、
今回はただ送り出しました。
娘の力を信じたかったからです。
言葉にするのは簡単ですが
私にとっても容易なことではありません。
まだ小学生の娘が大人の先生に意見を言うことは
なかなか難しいだろうから
大人の私が代弁したいという気持ちは大いにありますし。
でも、先生との問題は、基本的に娘の問題。
私が介入するのは良くない気がします。
娘自身が考えて、対応しなければ、
まだ今年度は始まったばかりですし、
これからの数か月、今のクラスで過ごすことが難しくなるでしょう。
娘はこれまで学校で
意見が対立した場合には
お互いの意見を聴き合う
ということを国語なり道徳なりで学んでいます。
先生だろうが児童だろうが
人としては対等ですから
これまで学んだことを実践すれば落としどころは必ず見つかるはずです。
教える立場の先生が実践を放棄して、
力関係でねじ伏せようとする可能性がないわけではありませんが、
現時点では判断しようがないので様子を見るしかないですよね…
難しいです。本当に難しい。
でも、今、私にできることは、
娘と先生を信じて見守ること。
そう言い聞かせています。
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