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幸せな世界

おはようございます。気だるい月曜日に、のほほんと、うっかり出てきてしまったアラフォーです。

私は、障害者だ。精神の。

障害者は、身体障害者、知的障害者、そして、精神障害者、に分類される。

私は精神のみ、だが、例えば、精神と知的、のように、2種類、3種類と合併している方もいらっしゃる様だ。

私は、精神疾患を発病してから数年して、精神障害者の認定を受けた。

理由は、母が、姉と私の世話に疲れ果てていたからだ。

姉からは家庭内暴力を受けており、母は、限界だった。

そこで、精神障害者の認定を受けると、ヘルパーさんを派遣して頂けることが分かり、障害者認定を受ける事となった。

精神障害者の手帳を初めて手にした時は、複雑な思いだったが、それで母が助かるなら、良しとした。

私は、パニック障害、強迫性障害、うつ病、を患っており、外出時は、パニック発作を起こす時があるので、ヘルプマークを鞄に付けている。
周囲の人を、私の発作で、驚かさない様に、と、思って付けた。
この人、何か障害がありますよ、と分かっていれば、ご迷惑をお掛けすることも少なくなるかもしれない、という思いだ。

私は、障害者の権利は、守られて当然だと思う。

障害者というだけで、差別を受けたり、不当な扱いを受けるのはおかしい。障害者だって、人間だ。

ただ、障害者の権利ばかりを主張するのも、如何なものか、と思う。

忌憚無く言えば、この社会は、健常者が作った社会だ。障害者は、その恩恵に与っている、と言われても、過言ではあるまい。

だがしかし、世界の偉人を見る時、障害を抱えていた方々もいらっしゃる。健常者ばかりが牽引している訳でもない。

そこで、私が障害者になって思ったことは、余りにも、社会が、冷淡である、ということだ。

弱者に対して、厳しすぎるのではなかろうか?

生産性の無い人間は、無用の長物なのか?

忘れないでほしいのは、障害者も、人間なのだ。

そこに、人権が発生するのは、必然的ではなかろうか?

権利ばかりを主張するのは、好きではないが、蔑ろにされるべきでは無いと思うのだ。

権利は、義務を果たして、手に入れられるものだと思う。

このルールでは、障害者は、健常者の果たしている様な義務を果たせない。

言い方に問題があるかもしれないが、義務を果たせない様な弱者だからこそ、守られるべきなのだ、と思う。

障害者にだけ優しくしろ、とは言わない。

お互いに、優しい社会であってほしいと思うのだ。

誰だって、明日は、我が身だ。

今日だって、交通事故に遭って、下半身付随や、脳性麻痺、片脚切断等の障害を負うかもしれない。

うつ病になって、働けなくなり、回復まで、長年月かかるかもしれない。

今の社会を生き抜くことは、難しく、大変だと思う。

弱者に優しくなれない、ということは、きっと、人々に、精神的な余裕がないのだろう。

恒産あれば恒心あり、というけれど、物質的には豊かである今の日本で、果たして、心は、豊かなのだろうか?

結局は、障害者に優しくない社会は、健常者にとっても優しくない社会なのではなかろうか?

お互いを思いやる心が、人間の最も尊いものではなかろうか?

人間が、ヒト科ヒト目ではなく、人である所以は、そこにあるのではなかろうか?

YouTubeのコメント欄を見ていても、人の粗探しや咎め立ては、醜い。

体は健常者でも、心が障害者なのでは?と思う。

私は、障害者への理解を通して、社会が、人の心を、取り戻してほしい、健常者も、障害者も、お互いに、生き良い社会になってほしい、と、願っているのだ。

この心が、共通して、拡大していく社会になることを、私は祈っている。

稚拙な文であり、又、表現に問題のある箇所が多々あったと思いますが、お許し頂きたい。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

素敵な一日でありますように。










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