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あなたの感度だいじょうぶ? 「わかりやすさ」は鈍感さかもしれない話し

こんにちは。心月です。
今回は、フォトグラファーから聴いた視覚的経験の危機について考えたこと。 

現代人は五感が鈍っているとはよく言いますよね。
特に視覚への刺激は良くも悪くもますます増加しています。

街中の人工的な光、コンビニのLED、スマホ、PCなどから受けるブルーライト。
これらを避けることはできないかもしれません。

でも、知らず知らず網膜がダメージを受けつづけ、デリケートな光を感じられなくなっている、としたらどうでしょうか。

特にブルーライトは可視光線の中でもっとも波長が短く、強いエネルギーを持っていることはご存知のかたも多いと思います。

そもそも、現代人は、生まれたての赤ちゃんのころからカラフルな世界に対面しつづけてきました。

その代表がテレビCMや広告。
家庭のなかで育つうちに、長い時間をかけて大人たちと一緒にそれらと接触し、五感を刺激されていています。

色や光の発色の良さというは、気持ちが明るくなるような心理作用もあるし、それ自体は悪いわけではありません。

でも、アップテンポな音楽と同じで、聴覚が「そればかり」に慣れてしまうと、偏った音だけで満たされてしまいます。

ポジティブでわかりやすい世界にはない複雑な音楽や、しっとり繊細な音質を聴き分けられなくなったりするとイメージするとなんだか単細胞なひとになっている気がして。

視覚も同じ。
鮮明な色彩表現だけに慣れてしまうと、デリケートなグラデーションや淡い光に鈍感になるのだそうです。

なぜそれが危険なのか?

ボクたち人間の情動って、本来、矛盾していて複雑きわまりなく、じつに多様に満ちみちていてるモノです。 

傷つきや、葛藤、悲しみ、せつなさ、淋しさなど実にさまざまな感情で構成されている。

なのに、ポジティブなこと“だけ”

わかりやすい表現“だけ”  にしか反応しない人は

人間が持っている痛みをともなうような感情から逃避してしまう可能性があるのです。

言いかえれば、人の失敗、弱さ、脆さ、悔しくて辛い気持ちに鈍感になってしまうということ。

すなわち、他者の痛みを想像できなかったり、自分の思うがままにいかないことを受け容れることが苦手になったりするのだそう。

キラキラと鮮やか過ぎるメディアに慣れてしまった目に、真冬の朝のデリケートな光や、日増しに春めいてくる季節を感じられない危険性を帯びています。



ボクが愛してやまないモノクローム写真の世界は
与える印象が静かで、一見わかりにくいかもしれません。

いつでも「わかりやすさ」を求め、ハイテンションななにかに刺激されていないと落ち着かない人にとっては、退屈に写るかもしれない。


一方、僅かな光に触れたときの、あたたかな気持ちに似た、
淡いグラデーションから放たれるグレートーンは

なんとも離れがたい、こころの奥に引っかかる感覚がある、
とボクは想うのです。

それは、人間の視界を遥かに超えた存在を感じることができる極上の感度、ではないかなと。

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