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利用者の意見を尊重すると他者のごり押しを聞くことになっちゃう、というお話

どうも、モンジャです。

僕はケアマネなんですが、普段は利用者さんとあーでもないこーでもないって言いながら世間話や介護のプランやらの話をしているお仕事なんですが、たまに「ケアマネって本人のことわかってないよねー」みたいな話に巻き込まれたりするんですよ。
今日はそんなお話です。

まぁ実際利用者さんの事ってよくわからないことが多くて、口ではこう言ってるけど実は、、、とか、本当はこう思ってるけど言えないとか、いつもはこうやけどケアマネの前では、、、とか、いろいろあると思うんですよね。

自分のことは自分で決めたらいい

基本は自己決定ですし、サービスやプランはご自身で決めてもらうしかないんですよ。ケアマネ都合でごり押ししてるって思う人もいてるかとは思いますが、そんなことする方が面倒なことになることくらい想像できますし、実際ごり押ししちゃうと後でやっぱり嫌とか、他にするとか言われちゃうんですよ。もっと言うと紹介したところがハズレやったら文句言われちゃうんですよ。

担当してる間ずーっと文句言われたこともありました。
デイサービスがいいところができたと思って探してた人に体験に行ってもらって、気に入って利用となってもそのあとサービスが思ったのと違ったって文句言われて結局そこのデイは利用しなくなったんですけど、その後もずーっと「あんたが紹介してくれたところは最初はよかったけど3回目からサービスが悪くなったわ。」って言われ続けたこともありました。

なのでサービスやったり方向性はご自身で決めてもらうしかないんですよ。

自己決定について

この話は別の機会にしようと思います。
決めてもらうことが「どっちか決めて」って決定を迫ったり、「自分で決めたんやから」って過去の決定をずーっと引っ張っ足りすることはよくないよねって話は下のリンクです

本題に戻ります。

第三者が決めてしまうこと

よくあるのは、第三者の意見が通ってしまうことですよね。
例えば、ケアマネやったり、介護関係者や医療関係者、家族や親せき、友人知人など。
押しの強い意見が通るのは、介護保険だけの話じゃなくて職場でも一緒やったりしますよね。
一応付け加えると、これも常に悪意があるわけじゃないし、良かれと思ってということだって多々あると思うんですよね。

それを他者から見た場合

本人の普段言うてることと違うことを違憲として持った場合に「あの人に言わされてるんやで」って思うこともあると思います。
いや、実際僕もそう思うことは多々あります。

デイサービスに行きたくないのに、誰かと話した後に、やっぱりデイに行きたいって言ってみたり、
ショートステイに行きたくないのに、、、以下同分。

もちろん逆に、行く言うてたのに、、、ってパターンもあります。

それは本人の意見なのか

実際、本人の言いそうにないことを言った場合に、第三者としては疑いの目は向けてしまいがちなんですよね。これはあの人に言わされてるんじゃないかとか、本当はそんなこと思ってないのに、とか。

ただ、それって確認のしようがないんですよね。
「ホンマはそんなん思ってないやろ」とか「○○に言わされてるだけやろ、正直になりや」って本人に言ったところで涙流しながら、わたしの気持ちわかってくれるのはあんただけやって抱き合ってオイオイ泣くことってそうはないと思うんですよ。

仮に言わされてたとして

仮に本当にそれを誰かに言わされてたとして、行ってるのは本人やし、
そう言ってしまったのは本人なんですよ。
嫌々でもそう言ってしまったのは本人なんですよね。

その嫌々でも言ってしまった本人の気持ちはどうしましょう。それも含めて本人の希望と受け止めるしかない気がするんですよね。

これだって実際どうやって確かめるのかもわからないですし、もちろん関係性の中で本音を聞き出せるのなら聞き出したらいいけど、どんな気持ちか言わされることに乗った覚悟っていうのもある種尊重すべきじゃないかと思ったりするんです。

どう受け止めるか

結論ですが、受け止められるだけ全部受け止めるしかないのかと思います。
その人の発言、本当はこうじゃないのかなっていうこちらの気持ち、見え隠れする誰かの気持ちの想像、そう言わされたと推測する環境面の問題、総合的に受け止めていくしか僕らの仕事はできないのかなと。

今はそうでもいつか本音を聞き出せる日も来るかもしれないし、その選択が間違いじゃない日が来るかもしれないし、選択が修正できる日が来るかもしれないし、その先に期待するしかないと思って仕事をしています。

それではまた―。

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