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愛する人の選び方


「愛する人」と「選ぶ」という言葉はあまり相性が良くない気がするけれど。

あえて組み合わせさせていただきました。


今までどうやって愛する人を選んできましたか?

容姿?優しさ?包容力?食べ物の趣味?


きっと人によっていろいろな基準があると思います。


でも結局はタイミングだと思っていて。

条件がぴったりと当てはまる人でも、その人に恋人がいるタイミングであればうまくいかないかもしれない。

逆に条件には当てはまっていないのに、どうしようもなく寂しさを抱いたときに出会った人に愛を感じるかもしれない。


アラサーにもなると、正直ある一定の基準を満たしていればズルズルと恋愛関係を続けられたりするもので。

容姿が好きでなくても慣れるし、優しさはそれなりにあれば良いし、包容力も特に重視しないし、食べ物の趣味は合わなくてもどうにかなる。

「大好き!!!!!!」という情熱が少しくらい冷めたって、あまりに酷い人でなければ一緒に居られる気がするんです。


じゃあ、誰と一緒に居ればいいんだろう。

誰を愛すればいいんだろう。


ふと考えることが何度かありました。


答えが見つかったわけではないし、答えなんてどこにもないのかもしれない。

これが答えだと思ったものが、数年後にはどんがらがっしゃーんと崩れ落ちているかもしれない。

でも、今の私に考えられる唯一の回答を見つけた気がするのです。


それは、「誰と居る自分が好きか」ということ。


人はそうそう変わることが出来ません。

しかし、一緒に居る人によって態度やキャラが変わることってありませんか?

仕事仲間といるときはテキパキした自分、親といるときは愚痴ばかりの自分、キラキラした女子会にいるときは前向きな自分。

人はそうしていろんな自分を操りながら生きているのだと思います。


それは好きな人といるときも一緒で。

ある元彼と過ごしていた自分と、その次に付き合った彼と過ごしていた自分、まったく同じでしょうか?

きっと彼への態度や接し方、話し方、癖、デートの過ごし方……

様々な部分で違いが出てくるものだと思います。


では、「誰と一緒に居る自分が好き」ですか?


私は元彼と一緒に居るとき、毒づくことが度々ありました。

彼も仕事の愚痴をすべて私に吐き出したい人だったので、私も彼に対してそうしていたのです。

互いに毒を吐ききって、すっきりするのが日課でした。


でも今はまったく逆。

旦那は後ろ向きな発言が嫌いで、人の愚痴を一切言いません。

どんなに嫌なことがあっても、口に出すときは前向きな言葉に変換しないと嫌なのだそうです。

その姿勢に感銘を受け、私もそうするようになってから物事の見方が大きく変わりました。


毒を吐くことが悪いわけではありません。

そうした方がストレスをうまく排出できる人もいるでしょうし、それが悪い行為だとはまったく思わない。

けれど、私は旦那といる時の自分の方が心地よく感じていることに気が付きました。

毒を吐いていなくても、前向きな発言をしている自分に酔いしれることが出来たのです。


とても極端な例を挙げさせていただきましたが、些細なことで構いません。

なんとなく、という曖昧な感覚でも大丈夫。

誰かと一緒に居る時の自分を愛せたら、相手のことも愛せるのではないでしょうか。


これは恋人に限らず、友達や仕事関係の人でも一緒。

愛する人を選べるのであれば、「誰と一緒に居る自分が好きか」と自分に問うてみてください。

自分よがりが、時に幸せをもたらしてくれることもあると私は思います。

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