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水清ければ魚棲まず

先週末、私はあまりにも腹が立ってヒステリックになった。

毒家族Aが偉そうに強要してくるもんだから、私の心が大噴火し、それはもう盛大にヒステリーを起こしてしまった。ものすごい口調で怒鳴り散らかしブチ切れた。

これまでAには散々な目にあってきてその度に数々の尻ぬぐいをしてきた。何度もどん底に突き落とされてすごく苦しくてつらい思いをした。

それに私はAを許していないし貸しがある。その貸しをなかったことにするのは許せないが、下手に言うとまた変なことを起こしてしまうのではないかという恐怖心があった。

だから半ば諦めていた。諦めるという選択をしたのは私だけど、許せない人間から偉そうに強要される筋合いはない。自分がやってきたことを棚に上げて偉そうに言われるのは本当に腹立たしい。

私がヒステリーを起こしたとき、Aからは辛辣なことを言われた。とても傷ついたけど、私はあることに気づいた。

Aの考え方は母親と同じであるということ。
・自分の考えを強要する
・根拠なく勝手に思い込んでそれが事実であるかのように錯覚する
・自分のことは棚に上げ世間体という言葉を使用しこうあるべきとだと自論を押し付ける

そして考え方が両極端で白か黒だった。間のグレーが存在していない。これって私も同じだって思った。Aの考え方よりはひどくはないが、私自身の心にも同じような考え方が存在している。ゾッとした。

先日のカウンセリングでも白か黒の考え方の話になった。私は自分の存在に安心感を持ってもらってみんなが穏やかに過ごせてもらえたらうれしいと思っている。自分の信念みたいに考えているけど、相手が穏やかかどうか言葉で言わない限りわからないし、相手の反応ありきになってしまうと自分軸ではなく他人軸になってしまう。相手の顔色をうかがって反応を察知し続けて疲れてしまうのではないかと思った。

信念は自分軸で捉えたい。このことについて先生に相談したところ、以下のようにまとめてくれた。
・みんなが穏やかに過ごせる=自分も穏やかに過ごせるということ
・自分も周りも穏やかに過ごすには、私の思考グセになっている白か黒の考え方ではなく多少汚れているくらいがいいと捉えること

更にこのことわざで例えてくれた。
水清ければ魚棲まず

自らの身を正しくして清廉潔白なのは、よいことには違いないが、あまり度がすぎると、他人のあらを見つけてはとがめだてするようになり、しまいには友人を失い、孤立してしまうようになる恐れがある。

本当にまさにこの通りだ。私は自分の気持ちを抑えていつもクリーンな考え方をして誠実で謙虚でいい子でいなければいけないって思っていた。ゆえに相手に潔癖を求めてしまうところがあった。だけどもそれって周りの人はとても窮屈に感じてしまう。周りが窮屈に感じると私も苦しくなって人間関係が上手くいかなくなってしまう。それって私の信念の逆をいく状態だ。全然穏やかじゃない。

新しい環境では最低限のことができていればOKとする考え方をしましょう、できないと思うことはそれを周りに伝えましょうと先生はおっしゃった。

キレイで真っ白なテーブルクロスに黒いシミがあったらものすごく目立つけど、白っぽくて黄色みのある壁についている汚れはそんなに目立たない。人間もそう。真っ白で一切汚れがない状態よりも、多少ダークであるくらいのほうが無理しなくていい。愚痴を一切言わず我慢して抑え込んでいい子でいるより、日頃から愚痴ったりぼやいたりしている人のほうが意外にも好かれたりする。隙があるほうが周りも穏やかになれますよと先生がおっしゃった。

ものすごい気づきだった。目からウロコだった。とても内容の濃いカウンセリングになった。ありがとう先生。

Aのことと今回のカウンセリングを通して、改めて感じることや新たな気づきがあった。長年カウンセリングに通っているけど、これからも通い続けたい。自ら行動したり学習したりすることは生きていく上で大きな実りになると思う。