恋心を仕舞う小箱

25歳。
そんな歳になって人生で3度目の恋をした。大人になっても恋に落ちる瞬間があるのかと驚いている。

それは舞い上がるように、そして優しくマシュマロのように膨らんでいきどうしようもなく行き場がなくなるような感覚。なんでこんなに好きなんだろう。なんでこんなにあの人のことを思い出してしまうんだろう。答えは簡単、顔が好きなんだと思った時もあった。それは強ち間違いではなかったけど違った。答えはなかった。


学生時代、共学の学校に通うも所謂「夢」を抱いていた私は、恋愛なんて20代になってからでいい。言うなれば結婚する相手を探す時でいいとでも思っていた。さらに同級生の男子達が子供に見えて仕方なく、見下していた。恋愛なんてする気はなかった。年上の男性に憧れていた。そう、憧れていたのだ。

恋は「憧れ」でしかない。
どうあがいても何をしても憧れには変わりなくそして幻想でしかないのだ。私が恋に落ちたあの人は「私が好きになったあの人」でしかなく、「あの人」本人ではないのだ。「あの人」にとっては迷惑な話だ。その幻想、は本当のあの人とは程遠いものなのだから。恋煩い、とは良く言ったもので本当に病の様に幻想に取り憑かれたかのように頭の中があの人でいっぱいになる。それは脅威でもあり、自分を失っていく感覚をも伴う。恋は危険なものなのだとこの歳になってようやく気付く。
と、書きながら現在進行形で頭の中を冷静に保とうと整理しながらこれを書いている。まだ恋という脅威に侵されてしまっている。自分を見失いたくない一心でこれを書いている。


ロマンチックな恋というものもあるのだろう。だけど、大半は憧れ、幻想、そして脅威でしかないのだと思う。自分を天井から見下ろして恋にドギマギしている姿を客観視してみると、恥ずかしくなるくらい熱くなっている。ただ、何の根拠もなく憧れ、好きになり、恋に落ちた。恋に落ちる、とはまたこれも良く言ったものだ。落ちる感覚とはまさにそうで、どこかに落ちるように視界が霞んでいく。何の根拠もなく。

そう根拠がないのだ。理由がない。
ただ、その人と出会い、話をし、時間を共有して、好きになった。フィーリングと言えば簡単なんだろうけど、そんな言葉で片付けられないほど体験したことのない貴重な気持ちを抱いている。恋なんてただの憧れで脅威だと言ってはみたものの、恋をしているこの気持ちは大切にしたい。相反する気持ちがバチバチと火花を散らして私の中でぶつかり合っている。

だけども恋に落ちたことで自分を見失うのは衛生上よろしくはないし、この恋が実る可能性は今のところないに等しい。(恋が実るというのも相手側からすればおかしな日本語である。)だから私は一旦この恋心を小箱に仕舞うことにした。物理的に。紙に今の気持ちを書き出してその紙を小箱に入れて一旦冷ましておくのだ。


恋心とはいつまで経っても、恋心でしかないのだろう。だからそれはそれで仕舞っておくのだ。いつかそれを見返した時、けらけら笑い転げられる時を楽しみに生活していこうと思う。

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