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ヌトミック『SUPERHUMAN 2022』とケンドリック・ラマーのライブストリーミングを観て思ったこと

これまで知らなかった文化圏に接すると一旦脳内がぶっ壊れる。その後、その「未知」を包摂する過程で「既知」が再構成され、脳がでっかくなる。良き出会いとは、こういうものなのではないだろうか。

 2022年10月22日19時

東京タワーの真下にある芝公園にて行われたヌトミックという”演劇カンパニー”による『SUPERHUMAN 2022』を観に行った。

ヌトミック|Nuthmique
2016年に東京で結成された演劇カンパニー。
「上演とは何か」という問いをベースに、音楽のバックグラウンドを用いた脚本と演出で、パフォーミングアーツの枠組みを拡張していく作品を発表している。俳優のみならずダンサー、ラッパー、映像作家などとのコラボレーションも積極的に行う。

https://nuthmique.com/tagged/profile

舞台芸術というものに興味あるかもな~、観てみたいな~、とぼんやり思いつつも、これまで一度も劇場に足を運び観劇したことはなかった。なんとなく自分の触れている文化領域と関連し近接しているとは感じていたが、積極的に調べて観に行くような行動力や瞬発力を僕は持ち合わせていなかった。「興味がある」とは思いつつ、せいぜい美術館とかで良さげなフライヤーを見かけたら手に取り、家に着くころにはリュックの中でクシャクシャになっている...という、どこを取っても生来の怠惰さばかりが思い知らされる、これが「舞台芸術」と僕の長年の関係性である。ロクなもんではない。

それに今回観劇するに至ったのは、大学の同期に会場ボランティアとして誘われたからだ。本来は初日にお手伝いに伺うはずが、あろうことか17時の集合にすら間に合わないほどの大寝坊をし、1日遅れの2日目に参加させていただいた。怠惰な上に生活リズムが完全に狂っている。ロクなもんではない。

しかも、一体どのようなことが行われるのか、全く知らない状態で現場に向かったので、正確には「観に行った」というよりも「その場に居合わせた」という感覚に近かった。

上演45分前の18:15ほどから、公園に人が集まり始めた。真っ暗な公園とその奥で輝く東京タワー。暗がりの中で灯台のもとに集う人々の光景は美しいと感じた。

写真は撮り忘れたので出てから撮っタワー


劇の感想は、率直に言って最高の体験だった。次々と発せられる言葉の数々、その発信源である身体とその運動、地面に配置されたフラフープ、バケツ、岩、脚立、スクリーン、トラックに乗っている演奏者、都市という背景、その背景に意図せず映り込んでしまう通行人。その全てが魅力的に見えた。しかし、一体何を観たのかと問われるとどうにもこうにも形容し難い。それについては本公演の初演である以下の動画(2分弱)を見ていただくのが手っ取り早い。

以下、演出家(演劇では映画でいう「監督」の立ち位置に「演出家」がいるということを、誘ってくれた大学同期に教えてもらった)のコメントを引く。

本日はご来場いただき誠にありがとうございます。
『SUPERHUMAN 2022』は、舞台をとことん遊び尽くそうと思いつくった作品です。意味のある言葉はもちろん、意味のない言葉も、日常の動きも、公園の景色も、一見“パフォーマンス”にはならなそうなものを、たくさんの人の手により“パフォーマンス”にしていく。舞台の面白さの根源は、そんな人と人が協働し何かを立ち上げる瞬間だと思っています。

当日配ってたプリントに載ってたヌトミック主宰・額田大志さんによるコメント

このようなパフォーマンスが肌寒い屋外で約75分間行われていたのだ。気温は15℃ほどまで冷え込み、「防寒着をお持ちください!」というアナウンスを特に重大なものとして受け止めず薄めのセーターにしか着て来なかった僕は寒さに凍えながら、もっと寒そうな白い衣装に身を包んだ俳優たちが躍動するのを目撃し続けた。

備忘録的に具体的な感想を記しておく。

まず、ピンクの髪色をしたAokidさんが、ステージの奥(というか公園)からやって来た。ジグザグに坂を下って近づいてくる景色は、キアロスタミのジグザグ三部作みたいだった。「上向きに100キロ飛んで宇宙、って、意外と近い、、、」というセリフも印象的だったが、何よりもその身体表現に魅せられた。あんな綺麗な側転、生で見たことない。めっちゃかっこよかった。

次いで赤い棒を持って地面をなぞりながら登場したのは原田つむぎさんという方。黄色い鳥の可愛いパペットで「ピヨ助」も演じていらした。元気いっぱいのピヨ助だが、どこか哀愁漂う雰囲気があって面白かった。表情豊かで溌剌としていて、とても素敵な俳優さんだと思った。

Aokidさんと「指人間」で対決(?)していた長沼航さんも表情豊かで、ものすごく「普通の人」っぽい雰囲気の演技もあり、そのシラフ加減というか、全体の流れとのギャップに思わず笑わせられる瞬間があった。特に、OL役?を何回か演じていた深澤しほさんとの「ねえ、だから、ちょっと」「あー、はい、ええ、ですね」といった言葉だけで行われる掛け合いは、同じ言葉を何度も何度も違った言い方で発することでコミュニケーションが成立しているようだった。確かにそれだけでも感情は交通するかもしれないと思わせる様はすごかった。
また、深澤さんの演じる女性が同じ話を何度もループしてしまうちょっと笑っちゃうけど怖いシーンや、マイク1つで体感数分間早口で喋り続けるリズムキープ力は半端なかった。もうラッパーじゃん、って思った。

そしてなんと言っても最高の演奏をしてくれた東郷清丸さん。本公演のフライヤーを見たとき、僕が唯一知っていた固有名詞。知っていたというか、4年前の『Scramble Fes』で観て以来、ずっと好きなSSWだ。先月も『パンと音楽とアンティーク』でみたばかり。どんな役なんだろうと思ってたら、基本的にトラックの上で演奏をしていた。だけど大縄跳びもしてた。最後の締めが「サマタイム」だったのも良かった。

他にも色々あるが大雑把に以上のことをまとめると、僕が心を動かされる要素は「身体の運動」と「(不完全なかたちであっても)言語を介して他者に何かが伝わること」に集約されるような気がしている。これらはどちらも、当たり前のようでいてそれ自体が既に奇跡のようなものだと思う。

また、これは昨年の年間ベストアルバム記事Hiatus Kaiyote『Mood Valiant』Rural Internet『escape room』をともに1位に選出した理由と重なる。たった半年ちょっと前に書いた記事だが、今読み返すとちょっと恥ずかしいし、流石にこうは書かないなと思う点もある。しかし、前者における「ネイ・パームの身体からこの歌が発せられているという事実」、後者における「サウンドからだけでも伝わる怒り」という点は端的に自分の関心領域を示している。今回の観劇を通してグッときたのもこれに関連するものだ。

観劇を終え、物販で舞台の台本を買った。文字だけ見ても映像が喚起される。

ほんとうにこんな感じだった

清丸さんとは3年くらい前に一度遭遇してお話ししたことがあるのだけど、終演後にまたお話しできたので嬉しかった。制作の河野さんという方ともお話しして、全体を通して「身体性も含めて音楽(特にラップミュージック)みたいだ」と感じたことをお伝えした。ていうか演出家の額田さんって、東京塩麹の人だったんだ...と気付いたのは帰りの電車の中でのことだ。あまりに怠惰で、本当に何も調べずに、誘われるがままに行ってしまっていた。

その日の夜、いつも通り眠れないままに朝4時を迎えた。それまでの時間はずっとTwitterのスペース機能を使ってお喋りをしていた。会話の過程で、「第四の壁」という言葉を教わった。

4時半になるとケンドリック・ラマーのパリでのライブの生配信が始まった。特に観ようとは思っていなかったが、僕にとってはライブのアーカイブほど見る気のしないものはない。それでタブレットを起動した。

2月の「Super Bowl Half Time Show」から一貫して感じることだが、ケンドリックの動きの制御具合は半端じゃない。ラッパーが身振り手振りをしながらライムしていくのは言葉を繰り出すために有効であるのは学術的にも示されているが、彼は特に即興的に動いているようには見えない。9月に公開された卑語乱発の問題作「We Cry Together」での振る舞いも驚異的だ(テイラー・ペイジもすごい)。

今回観たライブ映像でも、滝のように汗をかきながら激しい運動も混じえているが、それらは理性的で制御されているように見えるし、「Father Time」では座ったまま微動だにしない。どうしてそんなことが出来るんだ。

パリでのキュートなケンドリック
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複数のペルソナを行き来しながらラップをするケンドリックを見ていて、確かにこれは「演劇」みたいだな、とも思った。冒頭「United In Grief」では人形に喋らせているし、「LUST.」では最後のフックは音源を流して本人は寝転がっちゃってるし。これは『SUPERHUMAN2022』を観たときにも思ったことだが、日本語ラップのシーンでも演劇的な要素をもっと入れた表現(後々軽く調べてみると、そういう試みは既にいくつか試されているようだ)が出てくると結構面白そうだなんてことを思った。

ヌトミックの話に戻るが、観劇後はその場で同じくお手伝いをしていた大学の後輩と劇の感想やK-POPの話をしながら芝公園を後にした。

1人になった千代田線の車内でヌトミックについて諸々調べてみると、例えばDos Monosの荘子itが参加していたり、額田さんが東京塩麹の人だったり、何で今まで知らなかったんだろう?これ絶対僕が観た方がいいやつじゃん!となった。調べてから行けばもっと楽しかったかな。でも何も知らずに観たから良かった気もする。

この文章も本来は帰りの電車内ですぐ書き終えて、3日目の公演が始まる前までに投稿しようと思っていたのだが、結局ダラダラと時間が経ってしまった。全然書く時間はあったのだが、それにしても怠惰だ。しかし初めて観た舞台がヌトミックだったのも、早朝配信のケンドリックのライブが観れたのも、怠惰な上に生活リズムが完全に狂っていたおかげである。それならこれで良かったのかもしれない。そう都合よく考えることにした。

2022.10.27


【補足】

・当日の夜はとても冷え込んだ。寒暖差が激し過ぎるあまり上野では桜が咲いたらしい。

・ケンドリック・ラマーの2022年最新作。日本語盤解説あり。

・そういえばDos MonosのTaiTanが演劇とラップの話をしていたな、と思い出した。Dos Monosが「日本語ラップ」のシーンど真ん中という感じは良い意味で全くしないが、ますます目が離せない存在だと再確認。

・後で読みたい論文
「ラップ」をする身体をめぐる価値観の多様化と分散

・コロナに感染してしまったため直前に降板となってしまった佐藤滋さんによるブログ。全員いる状態での劇も観たいですね。

・この日記は、つやちゃんによる直近2本のnoteからの影響がでかいです。こういうのも書いてみようと思ったきっかけのひとつです。

・良

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