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8時間目 電子機器「ラジオ」

本当か嘘かわからない伝説のような話がある。
都市伝説のような、興味本位の娯楽話や怪談物語ではなく、そう信じられているが、確かな証拠がないもの。たとえばジャマイカ発祥の「スカ」ミュージックは、当時アメリカで流行していた「ジャズ」を真似したジャマイカ人が、どうしても真似しきれず、自分たちの体を流れるリズムに合わせてしまい「スカ」のリズムが生まれたというもの。

スカバンドからはよく聞くこの話は、証拠らしい証拠がないという。「証拠らしい証拠がない」というのもまた確たる事実があっての話ではない。Wikipedia先生は諸説ある発祥の一つとしてページに挙げている。証拠はない。

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それと同じような話に「プレスリーとラジオ」がある。何の本か、何の記事か忘れてしまったが、「工業が文化を作る」という文章の一部分だったと記憶している。

メンフィスの貧しい地域で多感な時代を過ごしたプレスリーは、ラジオから流れる黒人音楽に親しみ、ロックンロールという音楽を生み出した。それまで、白人が歌うカントリーと黒人が歌うブルースは明確な区別があり、交わることはなかったが、ラジオの登場で、その垣根がなくなった。ラジオから流れてくるブルースに触れる機会が増え、それぞれが融合しロックンロールという新しいジャンルを確立した。その功績がプレスリーとラジオにある。

大体こんな話だった。

私はこの話を思い出すたびに、なんだか明るい気持ちになる。ロックンロールの登場はビートルズを生み出し、新しいムーブメントとして若者文化を盛り上げ、ベトナム反戦活動やライブエイドにつながっていく。その端緒に小さなラジオが静かに置かれている。そして後ろには寡黙な技術者と小さな電球が見える。科学技術や工業技術がもつ明るい合理性と未来への信頼に胸が暖かくなるのだ。

ここで確認したいのは、科学技術や工業技術が新しい文明を作りだし、社会を変えていった事例とは全く種類の異なる話だということだ。

文明と文化の違いを簡単に言うと、文明はそれに対する理解がなくても恩恵を受けられるもののことである。例えば電球・携帯電話・自動車・インフラ。言葉もそれを作った人への理解も何もいらない。手にした時から誰でも平等に「便利」を享受することができる。それが文明のすがすがしいまでの公平さだ。

しかし、文化は違う。文化を享受するにはその共同体への理解と知識がなくてはいけない。文化の異なる国へ行った時の不自由さはすぐに想像できるだろう。

先ほどのラジオの話は、技術が文化を作った、もっと言えば、断絶している二つの文化を融合させ、新しい文化を作ったというところが自由で明るくて希望があって、私は好きなのだ。

「みんなが学んでいる電子技術や工業技術はこんなにすごいんだよ。」と電気科の生徒に言ってやりたい。でも、いつもこの話はしそびれる。2000年代に生まれた子たちにはプレスリーもラジオも、遠い話に違いないのだ。

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