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映画『来る』何度も見た。

人間の利己的な弱さに付け込んで  「来る」

表面には表れない憎しみや嫉妬に付け込んで  「来る」


家族であっても、うまく愛情を表すことができないこと。

家族であっても、自分のことばかりで頭がいっぱいで

その他の家族や子どものことなんて考えられないこと。


自分がいっぱいいっぱいの時に

弱い立場の女性や子どもに感情をぶつけてしまう

甘えと弱さ。


そんな人を引き込もうと  「来る」


弱く

自分が自分として生きることができなかった人たちの怨念が

塊となって

強い引き込む力を持つ。


その設定は

『シンゴジラ』と似通ったところがある。


その強い怨念の塊に対して

除霊師たちは敬意を払って

正面から立ち向かう。


必要だったのは

人間として敬意を払うということ。

片手間にすることなく

正面から立ち向かうということ。


そのことが

生きているうちに

誠実になされていたならば

怨念となることなど

なかったに違いない。


誰しもが

何かを抱えて生きていると言える。

まさに

この映画の人物たちは、そうなのだ。


除霊師のように

命を懸けてまで

立ち向かうことで

成仏ができるということなのだろうか。


しかし

ほんとうに多くの犠牲者を出した。


外面がいいばかりの夫

子どもの時から満たされていなかった妻

そんな両親のもとに生まれて自分を守るために

怨念とともにいた子ども


自分にも多くが当てはまり

重苦しい気持ちとなる。


その中で

毅然として

揺ぎ無く

自分の役割を果たそうとする

松たか子の除霊師が逞しく

美しく思えた。

・・・

強いことは

美しい。

・・・


そして


除霊が終了した後

生き残った子どもの千紗が

オムライスのポップな可愛らしい夢を

見ていたことに救われる。


子ども時代には

なるべく心配させることなく

子どもらしく生活ができることが

最優先していくことができるように

子どもを育てる両親をも含めて

支援してゆくことが

重要だと

思っています。


怨念を作らせないような世の中であってほしいのです。



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