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映画『ともしび』を見た。

老年の夫婦には会話がなく暮らしている。

突然夫が容疑をかけられて出頭する。

孫に対してのことで実の子から訴えられていたのだった。

その夫に対して詳しく話を聞くまでもなく

孫の母親が訪ねてきても真摯に対応することもなく

やり過ごしてしまっている。

・・・

日常的にも自分の意見を言うこともなく

押し殺して生きてきた。

それが生きる方法だと思ってきた。

しかし

それは自分の人生を生きていることにはならないことも

分かってはいるのだ。

・・・

愛情を他から与えられると思っていると

上手く受け取ることができない時には

深く傷ついてしまう。

たとえそれがわが子でも。

孫の誕生日のために手製のケーキを持参して訪ねたけれども

家に入ることも断られてしまう。

夫のことがあったからであり

考えてみれば分かるはずなのに

何故そんな行動をするのか。

深く傷つき

公園のトイレで嗚咽する。

・・・

演技の講座に通い

市民プールのようなところへ行き

盲目の子どもがいる家に家政婦としても働いている。

生きがいは十分にあるではないか。

・・・

打ち上げられた息絶えたクジラを見に行く。

寄り添うものがなくなったという自分と共鳴するというのか。

・・・

何度も

何度も

着替える

洗う

片づける

シャワーを浴びる

などのシーンがある。

何を落とそうとしているのか。

何を洗い流そうとしているのか。

・・・

最後

演技の講座でのシーン。

みんなの前で演技しようとするのだが

上手く言うことができない。

外の空気を吸うためと言って

その場から立ち去り

多くの階段を下りて

地下鉄に乗ろうとするところで

この映画は終わる。

・・・

人の思うように生きることをやめて

自分の人生を生きてゆくと決意したと思いたい。

そのためには

自分と向き合い

他人と向き合うことが必要となる。


自分の気持ちを隠し言わないことが

人のためになることではない。

自分の意見を持ち伝えていくことが

自分というものを確立していくことになる。


自分の存在意義は

自分で確立し

自分で自覚していくしかない。

・・・

今の現状において

十分に恵まれていることに気がつき

自身の人生を自信をもって

歩んでほしいと思った。


それを

自分自身にも言い聞かせている。


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