見出し画像

#3 消えないベットの手形

父は何となく痩せている気がした。疲れているのだろうか。それとも、一人少し先に渡米していたため、自分で料理が出来ず、痩せこけてしまったのか。考えるに、両方当てはまっているのではないだろうか。更に、日本では会社の同僚や後輩または先輩などと飲み歩き、またお客さんとの接待などで外食を頻繁にしていた。日本にいた時は、推測するにビール腹になっていたのだ。


私の鼻は普段上手く機能しない。私は臭いに鈍感だった。しかし、煙草の臭いにはなぜか敏感だった。もしかしたら、私が幼かったと時に父が、私に煙草の煙をよく吹きかけていたためだろうか。そのせいか、私は煙草の臭いが苦手だった。私は幼い頃から煙草が嫌いで、父に手紙を書いて渡したという。

パパ
たばこやめて。やめたらだいすきだよ。

このような手紙を父に渡したという。私はこの手紙のことを覚えていない。父はこの手紙を財布に入れて、禁煙に励んだらしい。しかし、私の鼻は敏感に、犬が餌の臭いに反応するように、煙草の臭いを嗅ぎ分けた。父は、一旦禁煙していたのに、アメリカに来て、また吸い始めていた。「仕事が大変でつい・・・」と言い訳を言っていた。煙草を吸うと仲間が増えるとも言っていた。それは正論かもしれない。室内では喫煙できない場所が多く、皆外に出て吸う。外で同じ場所で吸えば、たわいのない会話が始まり、仲良くなったりするものだ。私は正直言って、父が煙草を吸おうが構わない。父の人生だから、勝手にしてくれて構わない。父自身が選択するべきだと思う。だが、私はただ臭いが苦手な故、父が吸っていると逃げ、私の前では吸うなと頼み、時には懇願し、口論になった。父は私が面倒だと煙たがった。

 
これから、住むアパートに到着した。中に入るとどうやって数か月ここで暮らしていたのか想像が出来ないような状況だった。男一人暮らしとはこういうことなのだろうか。いや、男性一人暮らしでもきちんと整った、部屋で生活している人を私は知っていた。やはり、私の父個人的なものだろうか。それにしても、酷かった。荷物は床にちらかっていて、どこに足をつけて歩けばよいか分からなかった。多分、赤ちゃん用の小さいプラスチック製の白い簡素な机が置いてあった。赤ちゃんがコップや食器を倒さないように、この机の表面は食器の形に凹んでいた。父は床に座って、この小さな机を使って食事をしていたらしい。涎掛けは見当たらなかったので安心した。

奥に進むと、一つ小さく、とてもシンプルな白いベッドが部屋の端っこに置いてあった。父はどのような家具を買ってよいか分からなかったと言う。父は私の趣味でない家具を買うと私からのブーインブを予測していたため、この赤ちゃん用の机、ベッド、アメ車以外ほとんど物を購入していなかったらしい。父はあのアメ車を買うことさえ躊躇したらしいが、レンタカーの料金が高く、父の財布に優しくなかったため中古車を購入したそうだ。

このベッドを購入した理由はノミだった。父がベッドを買う前は、床で寝ていたそうだが、この部屋にはノミがいるそうだ。それもそのはず、アメリカ人の多くは室内を土足のまま歩き回る。しかも、この部屋は絨毯が床に釘で固定され、敷き詰められている。生粋の日本育ちの父は、床で寝た。しかし、アメリカで床の上で寝るのは賢くないのかもしれない。父は郷に入っては郷に従えという教えを身に染みて理解しただろう。それ故、父はベッドの購入を決意した。父はとりあえず、このベッドを私に使わせるために、小さいが、質は良いものを選んでくれたそうだ。確かに、寝心地はいいベッドだった。ふわふわして、体にちゃんとフィットした。良質なベッドだったため、小さかったが重かった。私はこのベッドの側面に手形が付いていることに気が付いた。父に聞くと、運送会社の人がベッドを運んでくれた時に、汚い手で運んだため、手形が付いてしまった。私はこの手形が気に食わず、落とそうと、洗ってみたが、落ちなかった。

とりあえず、もう少し人間らしい生活を送るために、近くにあった総合ディスカウントチェーン店で、何でも割と安く手に入るお店に駆け込み、あらゆる物を購入し、人間が暮らす最低限の生活環境を整えた。この店は大きかった。ショッピングカートも日本の平均的な大きさから比べると2倍以上あるような大きさだった。ポテトチップスやら、冷凍食品、アイスクリーム、紙おむつ、化粧品、ゲーム機器などあらゆる商品が売られていた。商品ひとつひとつ大きかった。皆、躊躇せず、次から次へと商品をカートに放り込んでいた。私も真似して、商品を手に取り、放り込んでみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?