見出し画像

僕らはもっと情報リテラシーを考えないといけない。

その昔、オーストリアの宰相メッテルニヒは「会議は踊れど、されど進まず」なんて言葉を言ったけど、今の日本は「人は踊れど、コロナは収まらず」みたいなことになっている。

僕らは自分たちは賢いんだと、自分で自分を誤解している。と思う。もしくはあのひとは賢いと思われる人の話を鵜呑みしがちだ。

10年ぐらいまでは牧歌的だったSNSは殺伐とし、全く取捨選択されない流言飛語が飛び交い、そして無くならないはずのモノがなくなり、そこに乗っかる悪知恵の働くものをいとも簡単に創出する。残念すぎる、実に残念すぎる。

マスクを付けていればダイジョウブだと思っている人がいる。マスクの付け方から間違っている。マスクをしているだけでタバコ臭がえげつないサラリーマンがいる。そもそも間違えている。

いちばん厄介なのは、この状況に乗じて自分を売り込む医師だ。肩書に弱い人は「医師」だけで信じる。マスコミも分かりやすいから重宝するんだろうけど、そもそも出演依頼するまでに取捨選択出来ないのだろうか。ヤバいやつは本当にヤバい。

だから本当に思う。若い子たちには何らかの方法で義務教育までに情報リテラシーをしっかりと分かるような仕組みを構築しないと、世界は卑怯な大人たちに搾取されるだけだ。何十年周期かですごいデジタルネイティブ出たーみたいなものを見ている気がするけど、毎回毎回絶妙に搾取されていくのを見ると、本当に滑稽な喜劇をリアルにやっているようにしか見えない。

いろんなSNSで周期的に繰り返されるおバカな炎上の類もそのようなことの繰り返しでしかない。

体系的に学ぶには自主的に調べるしかない状況で、それこそほぼ受動的にしか学ぶことがない義務教育期にどうして学ぶことが出来ようか。いや学ぶことは出来ないに違いない。

ともすれば、やっぱり体系的に学べる仕組みを構築するしかないけど、今の教育システムのなかでは絶対に無理だ。まずハンコの使い方をIT教育の初歩で習わされてしまうかも知れない。

プログラミングなんかを学ぶ前に、利用規約のような意味合いでの情報リテラシーを学ばないと、何のためにプログラミングをするのかさえ希薄としか言えない気がする。

既にキャパオーバーに近い業務を抱えている今の先生たちが、それを懇切丁寧に教えられるとは思わない。だから然るべき私塾みたいなものから見識をもった人と緩やかな連携でそれらを構築するのが良いんだろうと思う。

よくあるコンプライアンス研修のように過去にあった実例も踏まえて学びつつ、今度どんどん新しいものが出るたびにアップデートされるような仕組みで、ある意味今を生きる人は必ず知っている嗜みのようにならないといけない。

少しでもそういうものが、皆に浸透していれば、もうオイルショックって何年前なんだということを、2020年にやるような国にはならないと切に思う。

デマが出ても、何出してるん、アホちゃう。ぐらいなことを皆が鼻で笑いまくれるような国になってほしい。

もっと考えられる人を考える時期に来ている。そもそも僕自身もそんなに何かを考えて動けているか、といえば受け身であることのほうが多い。

いろんなことをどんどん判断出来るように以前よりなったのは、自分が決めないといけないシチュエーションがなぜか多くあったからだった。今でも自分のことは恐ろしく優柔不断かつ、かなりの人見知りだと認識している。

ただ、これは場数をそれなりに踏む機会があったから出来た。でも情報リテラシーはしっかり確立しないと、一発レッドカードで人生を退場する危険性すらはらんでいる。

僕らが幸運だったのは、ちょうどインターネットの発達をそれなりに間近で見ながら自分たちも成長出来たことが非常に大きかった。突然SNSがどーんと何の文脈もなくある人たち、出てきた人たちにとっては、それは素晴らしい発信のツールになる一方で、諸刃の剣として機能し、結果的に破滅を生む結果になりうるものになった。

メールが書けないのがどうこうとか、そんなことよりもまず生活の一部になってしまっている情報リテラシーをそれなりにしっかり持つことが本当に求められている。どうすればそれを若いうちに体系的に学べる方策があるのか、ちょうどリモートワークだなんだとなっている今だからこそ、議論や方法論が出てきてほしいなと考えた。もし出てきているなら僕の勉強不足だから、まずは自分からアップデートしないといけない。

最後にそんななかで、こんな授業をする小学校は素敵だと思う事例。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?