じぶんのご機嫌、大事にしてますか?

あなたが機嫌がいいと、世界は機嫌がいい

最近『あなたが機嫌がいいと、世界は機嫌がいい』という記事を読んだ。

この記事では、不機嫌についてと不機嫌にならない生き方が書かれていた。いくら説明するよりも、実際に読む方がいいので読んでもらえたらと思う。

タイトルにひかれて読み、不機嫌という視点にハッとした。
元気でいたい。元気でいなきゃと思ってきたけど、ご機嫌を大事にしてきただろうか。
元気でいようとしたけれど、元気という響きに何だかしっくりこなかった。
パリピみたいにめちゃくちゃ元気になりたいわけじゃない。
ただ、落ち込まないでいたい。怒らずにいたい。
じぶんがご機嫌でいる。
これこそが、なりたいものかも。ストンとふにおちた。

自他境界線とご機嫌についての仮説

自他境界線という概念がある。
これは、あなたとわたしは別の人間ですという線引きのことだ。
バウンダリーという言葉でも表され、主に性教育で用いられることが多い。
相手の同意なしに相手に侵襲してはならないし、させなくてよいという考え方だ。

周りのひとが怒っているとか、家族のテンションが低いとかのシチュエーションが苦手すぎるのに悩んでいた時、この概念に出会った。

周りの他人を頼まれてもいないのにケアしようとしてしまう意識がかかわっているとわかってから、あなたとわたしは別の人間ですと線引きを心掛けていた。
でも、ただ線引きして終わっていたと気がついた。

「あなたとわたしは別の人間だから、わたしはあなたの機嫌を取る必要はないし、とれなくて責められることはない」
つまるところ「あなたとわたしは別の人間だから、あなたの不機嫌は受け取りません」という姿勢はなんのためか。
この記事を読んで、自他境界線を引くのはじぶんがご機嫌でいるためではないかという仮説ができた。

目から鱗だった。
記事の筆者、田中泰延氏はいとも簡単に自他境界線をしっかりと引いている。
ここまでしっかりと引けるかは別として、現時点で不機嫌な人間は、じぶんのご機嫌のために自他境界線を引くといいのかもしれない。

じぶんのご機嫌にリソースをさいてきたか?

じぶんのご機嫌に、どれくらいのリソース(時間、手間、労力、お金など)をさいてきただろうか。
十分だったとはそう思える人はきっと、もうご機嫌でいられているのかもしれない。
今から10年後に十分だったと言えるようになりたい。

わたしはというと、じぶんのご機嫌にさいてきたリソースが少ないと確信している。
成人して時間、手間、労力、お金などを、自由に使えるようになった。
それなのに、ご機嫌のために使った覚えがほとんどない。
自由に使ったけれど、それがじぶんのご機嫌のためだったかというと、答えはNoになる。
自分の調子を回復させるために睡眠をとる時
「こんなに燃費の悪い自分はいやだ」
「もっと短い時間で復活できたらいいのに」と
心のどこかで思っていた。ほかの人と比べていた。

悲しいことがあるとコンビニでスイーツを買う。
でも、心のどこかで「これ食べてちゃんと回復しなきゃ」「ひきずらないようにしたい」と、マイナスをへらすために行動していた。
時には、「悲しいことがあったからとはいえ、無駄遣いだよな…」と罪悪感を抱く日もあった。

ずっと、マイナスを避けるために、じぶんに何かを与えてきたのだ。

ただ、視点が変わるだけ。やっていることは同じだ。
それでも
「悲しいことがあったからお菓子買お。打たれ弱いから、無駄遣いだよな…」と思うのと
「悲しくても乗り切ったから、えらい。おやつでご機嫌になってもらおう」と思うのとでは、心の後味が大きく違うのだ。

世界は、あなたが見たように見えている

アドラー心理学では、「人は事実をありのままに客観的に把握することは不可能」とされている。
夫との生活で、この考えの正当性を痛いほど味わった。二人だけの空間で同じように生活しているのに、捉えがまったくちがう。
私と夫では、掛けている色眼鏡の色がちがうのだ。

「世界は、あなたが見たように見えている」とどこかで読んだ。
冒頭の記事タイトル『あなたが機嫌がいいと、世界は機嫌がいい』の意味するところは、まさにこのことだと解釈している。
じぶんがご機嫌でいれば、世界はご機嫌に見えるのだ。

自他境界線が引けないから、これまで他人の不機嫌をたくさん受け取ってきた。
苦しめられてきたからこそ、不機嫌をまき散らす人になりたくはない。
不機嫌な人が近くにいるだけで、頭痛がして胃が痛くなって、わけのわからない涙まででてくる人もいるんだから。

『人間の最大の罪は、不機嫌である』

ゲーテ

不機嫌は伝染するらしい。

不機嫌の悪い効能はまだある。
不機嫌は、伝染するそうだ。
うまく自他境界線も引けないのに、周りが不機嫌のなか、ひとりだけご機嫌でいるのは到底無理に思える。
私がイライラする→夫がイライラする→そのイライラに辛くなるという、最悪のループに何度もハマってきた。
まず、周りに不機嫌を移さないようにしないと、わたしのご機嫌までの道のりは遠そうだ。
鶏が先か、卵が先か。
わからないけど、できるところからのご機嫌が先なのは分かる。

世の中は、不機嫌の種だらけ。
雨の日には低気圧で頭が痛い。晴れの日は花粉が飛んでくしゃみが止まらない。悲しいことはなくならないし、過去も消えない。
世界がこんな風に見える日のも、きっとわたしの機嫌が悪いせいだ。
じぶんの機嫌を取ろうとしていないから、機嫌が悪いのは当然ともいえる。

じぶんのご機嫌をよくする大人

今までだってずっと、自分の調子を保とうとしてきた。
やっていくことは同じ。
でも、今日からは、じぶんのご機嫌を良くするために行動してみよう。
誰かが言っていた。
「不機嫌で人を動かすのは、赤ん坊。ご機嫌で人を動かすのが、おとなである」。
大人になろう。

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