劣ってるところより、適性をおしえて。
子ども時代は“劣っている部分が理由で嫌な思いをする”ことがとても多いと思う。
自分の子ども時代を思い出しても、いま仕事で子どもたちを取り巻く状況を見ていても、個人の得手不得手がこんなにも目立つ場はほかにない。
例えば、勉強ができない子が、周りと比べられて恥ずかしい思いをする場面をよく見る。
できないからやる気がなくなるのも、もっと楽しそうなことに目が向くのも仕方がないことだと思う。
でも、大人になると義務としてやるべきことが確かにある。免許更新とか、確定申告とか。苦手でも嫌でもやらないと下手すると罪になる。その練習には必要なのかもしれない。難しい。
勉強ができないと家で怒られることも増える。
まずは、やる気がないと捉えられて、なんでやらないのと言われるだろう。
子どものやる気と苦手は深く繋がっていることが多い。やる気次第なのか、能力の問題かを見分けるのはとても難しい。
してはいけないことの範囲はとても曖昧だ。人や自分に危害を加えることは叱らないといけない。じゃあ手を抜くことは?誤魔化すことは?できればしない方がいいけれど、時と場合による。
勉強以外にも、運動も比べられる。
運動ができないと、周りの子どもはとても残酷だ。
勝ち負けが大事な年齢の頃は、「おまえのせいで負けた」と責められる。
鬼ごっこでは、狙われてすぐ捕まるし、捕まえられないのに追いかけ続けるのは辛いものだ。
比べられる悔しさや、怒られたくない気持ちは、大人になってもずっと残ってる。
だから、虚勢を張って、他人と比べて劣等感を隠してしまうのかもしれない。
子どもも、大人も、自分の得意なところを知る機会がもっとあればいいのにと思う。
就活生になっていきなり、適性を知ろう、ストレングスファインダーを活用しようと言われ始める。
自我や自己認識が確立する前の、もっと幼いころから活用できないものだろうか。
得意なこととは、好きなことではなくて、他の人よりも苦がなくできることと聞いたことがある。
特技は成長の過程で得ていくものかもしれない。でも、他の人よりも苦がなくできることなら、小さな頃からあるのではないかと思う。
すぐ見つけられなくても、種をたくさん蒔いて、大事に育てて上げられたらいいのに。
仕事を選ぶにしても、自分の適性や、凸凹を知っていないと、何が合うか、何を避けた方がいいか、分からないだろう。
知っていても、妥協はある。
それでも、他の人よりも苦がなくできることなら、少しは余力を残して働ける。
生活は仕事だけではないし、すべての体力気力を使い切ってしまうと、辛い。
比べられがちで適性はわかりにくい仕組みはすぐには変わらないかもしれない。
知らないものを自分で知るのは大変だ。
だけど、自分で選べる範囲だけでも、自分に優しく整えられたら、もう少ししんどくなくなるかもしれない。
知らないことは選べないから、自分にも得意なことがあることを知ろう。
他の人よりも苦がなくできることを知ろう。虚勢を張るのも、おびえるのも、とても疲れるから。
大人になったから、子どもの頃よりは選べるはず。
すぐにはできなくても、目指したいなと思う。
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