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【知るシリーズ②】知って、知ってもらって癒される。

ウクライナ情勢や3.11についての報道が多かった今月。
「知ってほしい」という言葉をたくさん耳にした。
起きたことを知らなければ、どんな行動も起こせない。
知らなければ、考えることもない。
だからこそ、最初の入り口として、「知ってほしい」という言葉が使われるのだろう。

知っていると、未来が変わっていくのはもちろんだけど、過去も新しくなる。
新しく知った知識や情報に過去の出来事当てはめると「こうだったのかもしれない」と新しく塗り替えられる。
自分でできなくても、周りからの反応で新しく塗り替えられることもある。

起きてしまった出来事は変えられない。
でも、知ることや知ってもらうことで癒される側面が少なからずある。

わたし自身、知ったことであとから心がすっと軽くなったことがあった。
小さい頃、母は私が悲しんでいると必ず笑った。母に悲しいことがあっても、笑った。
作り笑顔なんてものでなく、普通にクスクス、アハハと声を出して笑っていた。
全く理解できなかった。悲しいはずの時に笑い転げる母は全く知らない人のように見えた。
母を眺めながら、手のひらにじっとりと汗をかいていたのを覚えている。
あるとき、笑うことを責める私に母は言った。
「悲しいと笑っちゃうんやもん、仕方ないやん」。
笑い転げる母が悲しいと言ったことに余計に混乱した。

大人になってから、“失笑恐怖症”という病気があることを知った。
一種の対人恐怖症で、ストレスや緊張が原因だそうだ。
映画のジョーカーの主人公は、失笑恐怖症ではないかと言われている。
この病気を知って、合点がいった。
疎遠になったのに今更、こういう病気なんじゃない?と言うと、巻き込まれそうなので、母には言わない。言ったとしても、母は「医者に殺される!」と信じているタイプなので、病院には行かないだろう。

でも、悲しい気持ちはあるのに笑い転げるのは、病気の可能性もあると知って、胸のつかえがとれた気がした。

もう終わっていることも、考え方の中では新しくできる。
優しい考え方を知り、過去の悲しいできごとにも当てはめて、心が晴れることも、きっとある。

世の中には悲しい出来事がたくさんある。
わたしが経験したことのないものも、きっとたくさんある。
悲しい出来事は無くならないけど、終わった後に解釈して、定義づけていくことはできる。
悲しいこともある世界に生きる人間にとって、癒されていけることは大きな救いになるはずだ。
知ることで、癒されていくのを期待して、今日も本を読み、ググっている。

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