メジャーデビューの話を断り、フリーランスシンガーを選んだあの日
一年前芸能事務所のオーディションを受けた。
「CD出してみる?」
去年の今頃私は、とある芸能事務所のオーディション会場、当時は名前もわからなかった音楽機材に囲まれながら、面接官からそんなことを言われた。
「それはどういう意味ですか?」
意味はわかっていたけど、確証が欲しくて、聞き返してみた。
「うちでメジャーデビューしてみないってことだよ。レーベルの希望が通ればだけどね。」
「やります、ぜひお願いします。」
まさか、自分がメジャーデビューできるなんてと、考えるよりも先に脊髄反射的に返事をした。全国に出す「オムニバスの懐メロ特集」に私の声を使ってくれるというのだ。よくあるアイドルがオーディションに合格して、「オリジナル曲のシングル」発表なんて華やかなものではなかった。だけど当時は本当に嬉しかったのだ。自分の声に需要があったと思えた、承認欲求に支配されていた当時のわたしにとってメジャーデビューという言葉自体、どんなに甘い蜜だっただろうか。
レーベルへの確認の為、正式な事務所への所属、CDについての連絡は1週間後と言われ、そこそこに説明を受け会場を後にした。
シンガーとして活動すると決めて、まだ1ヶ月も立っていないころ、正直焦っていた。これからどうすればいいのか途方にくれていた。紹介で2回ほどイベントで歌わせていただいたけど、それから先、どうやってつないでいけばいいのか。そもそも、シンガーってどうやって仕事をさがしていくのだろうとか。
自分の中の音楽業界の当たり前は、事務所に所属してそこから仕事をもらい、テレビに出たりCDを出すこと。だったら私も、オーディションを受けて事務所に入ればいいのだと飛び込んだ結果、あれよあれよとトントン拍子にことが決まって、嬉しい反面正直、拍子抜けだった。
これできっと、きっとあの人も喜んでくれる。私にシンガーとして活動することサポートしてくださっていた方に、本日のオーディションの結果をと、意気揚々と連絡をすると
「芸能事務所と契約するということは、もう一緒に活動できなくなるということですね。」
そう、ラインに投げられたひとこと、にまたいつもの冗談かと思いながら指をスマホに滑らせ、返信を返す。
けれど、思惑に反し、話題はどんどん不穏になる。
「事務所という存在は、アーティストを囲い、イベント会社やレーベルから仕事の紹介を受けアーティストを派遣するようなものです。」
「事務所と契約するということは、その事務所から仕事をもらい受けるということです。そうすれば、事務所外で活動することも容易ではなくなるでしょう。なぜなら、事務所が収益を出すにはアーティストを囲い、いつでも呼び出せる必要があるからです。アーティストを奴隷のように扱う芸能界構図を変えたくて、アーティストが幸せになれるよの中を作りたくて努力してきました。しかし、やはりまだ、業界の癒着は強い。仕事をもらうのは私個人の力ではまだまだ時間がかかる。」
「ずっと歌を歌うことが夢だったのでしょう。事務所に入ったらCDも出せる、いろんなチャンスが巡ってくる。」
「あなたが幸せになればと尽力した私でしたが、事務所を引き合いに出されては何も言うことはできません。」
「あなたは事務所に所属したほうが幸せになれる。」
そう畳みかけられる。私は何も言うことができない。喜んでくれると思ったのに、なんでそんな悲しいことをいうの。
そんなこと言わないで下さいよ。私の幸せをあなたが決めないで下さいよ。
言葉を噛みしめ、潤んだ眼を強くこすった。
メジャーデビューを断った。
後日、私は正式にCDのキャストとして通った。正式に事務所に招かれたのだ。事務所の一室に通され、事務所の方と面談の席を設けられる。自分の答えは決まっていた。
「せっかくのお話ですが、事務所所属も含めお断りさせていただきます。」
「どうしてそう思ったんだろう。もしよかったら理由を聞かせてくれないかな。」
相手の張り付いた笑顔が直視できなかった。
汗を手ににじませ、言葉を紡いだ。
「フリーランスでやっていこうと思ったからです。一緒に音楽やっていく、プロデューサーがいるんです。その人と一緒にやっていくためです。」
「うわー、それやばいやつなんじゃない?君きっと洗脳されてるんだよ。たまにいるんだよ、そうやって実績もないのに自称プロデューサーってやつ、それに引っかかった田舎者のアーティストが。」
あ、これやばいやつだ。まくしたてられると思った。
「君のためを思っていってるんだよ、結局この業界、どれだけコネがあるかそれだけだよ。見てごらん、テレビCMとか、番組の出演依頼とか、これって全部、ちゃんとその情報を持っている芸能事務所を介してでしかアーティストは仕事をもらえないんだ。年齢的にもギリギリだと思うよ、こんなチャンスそうそうない。」
最初のにこやかな顔が消え、仕事の案件が書かれたPC画面をみせられる。
私はその圧に完全に委縮してしまって、ただ一言「ごめんなさい」とうつむくことしかできなかった。
「あー、もうこれダメだわ、この時間無駄だわ。実家にもどったら?きれいな空気吸ってさ、家族に会ったら洗脳も解けるでしょ。まだ若いんだし、夢とかも全部忘れたほうがいい。歌手なんて夢わすれな。」
頭の中が真っ白になる。
「帰っていいよ、名刺も返して。」
そこから私はどうやって、家に帰ったかあいまいだ。ただ悔しくて悔しくて、たまらなかった。私が貶されたことよりも、私のために一生懸命動いてくれていた、人のことを悪く言われるのは我慢ならなかった。何も知らないくせに、とも言い返せなかった自分も悔しくて。
泣きじゃくりながら、スマホをタップして電話を掛ける。
「あれ、断ってしまったのですね。せっかくの申し出だったのに。」
「それもあなたの選択ですから。いいと思います。じゃあ、また一緒に仕事ができますね、引き続きよろしくお願いします。では。」
何ともなかったかのような声のトーンに、安心と、肩の荷が下り、大変だったんだよと、話をする気もうせてしまった。
そしてあれから1年後思うこと
あの日から、フリーランスとしてシンガーの活動を始めてもうすぐ1年になる。
今思えば、事務所の方には迷惑をかけてしまったと少し心がキリリと痛む、わたしのために関係者各位に連携を取ってくれてようやくもらった案件を不意にしたのだ。これは辛くあたられても仕方がないと思ったりする。それもまた、わたしが経験を重ねたから想いを馳せられるようになったと当時の自分と違う側面も感じるようになった。
私が、あの時、私が事務所を断ったのは「幸せになれる」と言い切られたのが単純にむかついたからだ。五月蠅い。私が幸せになれるかどうかなんて、わたしが決めるんだから。どっちを選んでも地獄だったとしても、自分が選んだ地獄なら悔いはないだろう。と、地面を蹴った。
こうして、へっぽこシンガーと自称敏腕プロデューサーは再結集した。
今思えば、確かに怪しいと思われても仕方がない組み合わせかもしれない。
その人とは、今はすこし離れてはいるけど、離れてから気づく恩を最近じわじわと感じるのだ。の人のおかげで、私はたくさんの縁に恵まれた。そのご縁によって、私はシンガーとして活動ができているのだ。当初、2か月に一本の仕事は、月4本になった。
活動をすればするほど、人のために歌いたいと思えるようになった。メジャーデビューでカバー曲を歌うよう言われたとき、オリジナル曲なんて夢のまた夢だったのに今は自分の曲を披露することが出来るようになった。
そうしてブログを書いていると思う。私はなんやかんやで、ずっとやりたいと思っていた、夢をこの1年でかなえることが出来た。だから、もしかしたら今「人生で一番幸せ」かもしれない。だからか、自分が今まで抱いた感情や、動いた経験、もちろん先述のエピソードも、不思議なことに愛おしく感じるのだ。
歩んでいない道の景色はわからない。だから今私がいる景色の話だけしかできない。テレビとか、全国にCDを出す気持ちとかもできるのならば、うらやましいに決まっている。でも、結局隣の芝は入ってみなければずっと青く見えるものだ。だから、もしも別の道を選んだ私に出会えたとしたら、「大丈夫、心配しないで。道がなくたってみんなで作って、結構何とかなってる。いろんな人とかかわりあいながら、人の幸せを考えて、仕事をするのはとてもたのしいよ。」
とちょっと意地悪っぽく言ってやろうと思う。
もうすぐ活動を始めて1周年になるので出しておこうと思った。
自分の備忘録。
関わってくださるすべての皆さんに感謝をしながら、
ここまで読んでくださってありがとうございます。
2020年5月16日 結城アンナ
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