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カオス理論と弁証法 (2008-01-15) by もち太郎

※昔々の記事になります。記事の内容と現在の状況は異なりますのでご了承ください。

僕の考え方は?と聞かれれば

カオス理論と唯物弁証法と答えるだろう。

やっぱりマルクスはすごかった、のは間違いない。

社民党の馬鹿とか日本共産党の馬鹿はマルクスから何も学んでないし

端的に言えば彼らこそがドグマティスト=教条主義そのものでしかない。

レーニンもスターリンもトロツキーも毛沢東も周恩来も

ある意味では自分こそはマルクス・エンゲルスの正統的な

後継者であるとあたかも主張したがるのもこのようなドグマ

の継承なのではないだろうか?マルクスのすごさは何か?

それは過去の学問を歴史的体系的に捉え一つの世界観・歴史観を確立し

そこから未来はどうあるべきか(特に経済的に)を説いてしまったことにあろう。

私の哲学の原点=人は未知(端的に言えば明日何が分かるか分からない)が怖い。と言う点にある。

だから人間の歴史の始めの方には頻繁にシャーマニズム・アニミズムの普及を見ることができる。

見えないものを見せるこれが祈祷師の主たる役目である。

マルクスはずいぶん進んだ歴史の中で進展してきた科学を統合しこれからの世界の方向性を指し示した。

その理論は大変理論的で説得力があるために19世紀の祈祷師であり、神であり、預言者になった。

神と書いたのはこういう意味だ。

「マルクスを体系的に論破しようとしても不可能に等しい」だから批判するのではなく「教義として受け止めてしまおう」

まあ、こんな感じでだ。マルキスト集団が時として限りなく宗教集団と似て見えるのはこういうところに起因していると思う。

マルクスを批判する輩の論点には次のようなものがある。

曰く「彼のとおりに歴史は動かなかった」

それは階級闘争に終止符を打つべくまずは社会主義革命を起こせということとそれはドイツで起こる

と言う点であろう。論理的に予測してもそうは動かないのが歴史である。

マルクスは間違ったのではなく、マルクスとは違う手法が経済学からは出てきて現在の時点で見れば

ケインズの近代経済学が勝利した観がある。

ケインズにしても本人がそれを意識していたかは別としてマルクスの言った理論にそむいてはいないよね。

ただ方法論としては社会主義革命とは全く違う方法でそれをやってのけたんだと思う。

マルクスから学べるのはやはり唯物論であるし、=それは経済が下部構造にあるってことだし

ドグマ=教条は駄目でその時々にあわせた考え方をしなければいけないってことだし

つまり一番マルクスの教えに背いたのはマルキストだったってことだよ。

これって本当に  歴史のアイロニーだと思いません?

自由を謳ったキリスト教が「人は全的な自由には耐えられない。 だから教義を作って人を縛るのだ」

といったドストエフスキーの有名な小説の中の小説=カラマーゾフの兄弟の中の「大審問官」

と匹敵するアイロニー、いやだからこそ今も起きているアイロニーなんだと心から思う。

本当に世界中の人が歴史とは何か?人は何に向かって生きるのかということを真摯に考え

学習し、答えはみんな違っても良いんだがそれを議論し動いていかなければ環境問題なんぞ

片付くはずがないし、南北問題もおんなじ理由で片付くはずがない。

普遍的な法則で言えばやはりマルクスは正しいのだから

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