【アラサーOL】多分私以外の全人類ジム通ってる【限界オタク】
こんばんは◎
日々生きるので精一杯!寝ても覚めても疲れが取れない!眼精疲労とお友達!もち湖ねるです。
今回はアイドル風に挨拶してみました。
これが限界OLの実状です。
ところで最近この「限界○○」って良く聞きますよね。
いったいこの”限界”とはどこから来た言葉なのでしょうか??
素朴な疑問です。
オタク界隈に腰を据えて十数年経ちますが、いつ頃ネット上に出てきた言葉かどうかいまいち分からず…。
いちオタクとして情けねぇです。
なのでちょっと調べてみたところ、「限界○○」はもともと「限界オタク」として限定的に使われていた言葉のようですね。言わずもがなネット用語です。
「「推し」に対する愛情が限界に達してしまった時に、痛々しい言動をとる自分自身を客観的に見て自虐する言葉」として少しネガティブな使い方をされていたようですが、最近になってポジティブな意味として使われることが増えたようです。
まあ今の十代の子たちにとっては「オタクであること」はステータスの1つのようなので、本来の意味や使い方と逸れポジティブに使われるのも納得です。
そしてさらに良く聞くのが「限界OL」や「限界学生」。
もはやなんのこっちゃ??ですよね。
きっとみんななんとなくで使っているんだろうなと思います。
自分の状況がギリギリであることを分かりやすく表現できるという点では、すごく便利な言葉です。
が、「いやあんたは全然限界じゃないだろ!」と思うような人が使いだしているので一周回ってもはや分かりやすくもないです。
自虐ネタを余力のある人間が使うことほど寒いことはありません。
Instagramを見てもYouTubeを見ても、「限界○○」を見かける日々。
きっとみんな余裕がないんだなあと感じます。(私含め)
ここで言う余裕がないみんなとは、その投稿を見ている人たちです。
自分と同じような状況にいる人を見て安心したり背中を押してもらったり、もっと頑張らなきゃと奮い立たせてくれるような何かが欲しいんですね。
(実際限界○○として投稿している人の何割が本当に限界かは置いておいて。)
私は社畜ではないですが、我ながら「限界」を生きているな~と、周りを見渡し、自分を見返り、ため息をつく毎日です。
はーーー帰ったらまず何しようかなーーー。
まだ一週間が始まったばかりなんて信じられない。
こうやって毎月毎週毎日、週末を待ちわびて一生を過ごしていくのかなーーーーー。
とぼんやり考えながら帰路についていると、会社の最寄駅の近くにある広めの空きテナントが工事中。
おぉ、ようやく何か入るんだ。
何が出来るのかな~牛丼屋?ミスド?モスバーガーとか?たこ焼き屋なんてのもいいな~。
なんて食欲に全振りした希望をつらつらとあげていたのですが、数週間後出来たのはジム。
そう。今流行りの(?)ジム。
私の数週間分の食欲を返せ。(知らんがな)
ちなみに私、この経験をするのは三度目です。
工事の始まった空きテナントの未来へ思いを馳せ、打ち破れるという経験。
なんだかここ数年あっちにもこっちにもジムが出来ている気がするんですが実際のところどうなんでしょう?
そんなにみんなジムに通っているんですか?
私が思っているより日本人は運動が好きなんですか?(私が運動嫌いなだけ)
もち湖の考えが正しければ、あと数年後には1人1ジム使えるくらい増えますねこれは。
そして今現在私以外の全人類どこかしらのジムに通っていると思います。
完全に乗り遅れていますし、乗りこなせる気も全くしません。
なぜなら私は筋金入りの運動音痴だからです。
バスケをさせればボールとともに転がり、バレーボールをさせれば顔面トスが十八番のテクニック。
マラソン大会は地獄のカリキュラム。
ゴールするころには血反吐を吐くのが関の山。
そのうえ心配性なもんで、恐らくジムに行く準備に手間取り結果大荷物。
ジムについてからも周りが気になりうまいこと機材を使えず持て余す未来が見えます。はっきりと。
ただ!憧れが無いわけではないので…!
周りを気にも留めないほどの心の図太さとお財布に余裕が生まれたら、いつか、いつか通ってみてもいいかもしれない。(何目線?)
あともう少し数が増えて(今以上に増えたらもはや一家に一台状態に)、私のようなゴリゴリのオタクが行っても指を指されず、女性専用ルームが充実しだしたら行ってみようかな…。
推しのためなら大阪までひとり飛んでいくことは出来るのに、こういうことには消極的で言い訳いっぱい!
昔懐かしい、古き良き限界オタクな(ド偏見)もち湖でした。
ではまた!
もち湖ねる
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