当たり前を変えてしあわせに
当たり前。
「しあわせになりたい」が当たり前。
どれも当たり前「だった」。
そう、すっかり当たり前の中身が変わり、ここにあげたものすべてが「当たり前だった」になった。
エアコンをつけてもらい、家事はなるべく共同作業にし、ちょっとしたことによろこびやしあわせを感じている。
これがいまは新しい当たり前になった。
当たり前がちがうだけでこんなにもよろこびが拡大するとは。
家事をmochicco任せにしてしなかった夫が、レールごと外れてしまったカーテンレールを言わなくても直してくれていた。
いつもならスルーされて出てくるのは不満だったからこどもの前でそんなこと言いたくないからと、なるべく口にしないようにしていたのに、180度変わり、ほめる言葉しか出てこない☻
これは明らかにこどもへの影響が変わってくるはず。
というのも、mochiccoがこどもの頃、母が自分の母親のことを悪く言ったり、mochiccoの父親である夫のことを悪く言っていて、本当にかなしい気持ちにしかならなくて残念だった経験をしてきたから。
だから、言うまいと頑張っていたけど、10年以上家事を任せっきりにされてたのでさすがに言葉にしないことは限界で、ここ最近は言葉にしていた。
女性の社会進出があったのだから、おなじように男性の家事進出がないことはおかしいのだ、よくよく考えてみれば。
エアコンがなかったから、寒かったらエアコンをつけて、必要なくなったら電源を切る。
たったそれだけの当たり前のことができることがとてつもなく自由でうれしくて、しあわせだと感じられる。
そして、「しあわせになりたい」と願えば「○○たい」の状態が叶っていると知り、しあわせになろうとするのをやめた。
しあわせになりたい をしたいわけじゃないから。
これはあまりにもトンチ的な話で初めは感覚的にはわかったけど、あたまではわけがわからなかった量子の話。
こんな話を小2くらいから求めていた。
学校の学びよりも知りたかったことは大学レベルの学びだった。
それをわかりやすく学べたのは神さまとのおしゃべり のおかげ☻
ここまで来るのにいろいろありましたが、とてもしあわせだと思えるいまをありがとう。
豊かな毎日をありがとう◎
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