家族と向き合う(下):私は私の道を

家族と向き合う(上):”新しい家族を作る”ことしか、考えてこなかった
家族と向き合う(中):"普通"に縛られていた母」の続きです。

「年明けにでも、恋人と一緒に住もうかって話が出てるんだ。だから今度、紹介するね」

そう母に言ったときの私は、能天気だった。

”普通の”親子関係に近づけたと思っていた。恋人とのことも、「いい人ができてよかった」なんて笑って嬉しがってくれて、順調にいくものだと思っていた。

だから、私の言葉を受けて少し曇った母の顔を、あまり気にとめなかった。というより、気にとめたくなかった。

一緒に暮らすための挨拶ではなく、まずはお付き合いの挨拶ということで設けたビデオ通話の機会。画面越しの彼氏と母の対面は、順調そうに見えた。和やかに会話は進み、母からも笑顔が見えた。

ふぅ、と話がひと段落ついた。私はすっかり胸を撫で下ろして、そしてとても嬉しかった。やっぱり母は変わってくれたのだと。普通の親子のようになれるのだと。

「はなをこれから先、よろしくお願いします」
そんな言葉が出そうな雰囲気に思った、次の瞬間。母の態度がかくりと急変した。

「で、はなはいつ帰ってくるの?」

最初は、単にいつ顔を見せにこっちへ来るのか、と聞いていると思った。
でも、ちょっと話がおかしい。どんどん話がややこしく、わけがわからなくなっていく。

「はなの今後とか、心配になっちゃって。いつ帰ってくるのかなって。帰ってくるなら準備しなきゃ、ね?ね?」

国会ののらりくらりの答弁よりも、話の筋やつながりが見えない。
まるで、何か自分の本心を隠しつつ、それでもほんとはそれを察してほしくて、話をこねくり回しているかのよう。

何を言っているのかやっとわかったのは、母の口からこの言葉が飛び出してきたときだった。

「あなたがいつ帰ってきてもいいように、アパートの契約二人暮らしのままにしてるのよ」

すでに母の顔にさっきまでの朗らかな表情はなく、瞳は深く暗い、執着の色をみせていた。

「あれは、あかんな」

なんとか通話を終えたあと、彼が息と共に言葉を吐き出す。

ずっと、「言うて、お母さんも親だから。親心からの気持ちだってあるんだよ」と説き続けてくれてきた彼。今回の一連の、”向き合う”も、彼が後押ししてくれたからだった。

だけど、私の母は、違ったようだ。
画面越しでもひしひし伝わってくる、執着。
ずっと私が言っていた「奈落の底から、足を引っ張って引き摺り込もうとしてくる感じがする」というのを、彼もそのまま感じてしまった。

「ごめん、正直な気持ち言うと、あんな親いるんだって衝撃受けた……ショックだ。ちっとも子離れできてないというか、子供の自立を喜んでない、むしろ邪魔している……」

「和やかに話している時も、所々、『なんでこんなこと言うんだろう』『なんでこんな顔するんだろう』って疑問持つところが多かったんだ。でも、”子離れできてない”ってすると、全ての辻褄が合う。なんというか、子供の足を引っ張ろうとしているというか、こちらに引き摺り込もうとしているというか……」

当の私は、「ああ、私が抱いていた感情は、やっぱりおかしくなかったんだ」と自分の正当性が確保されて嬉しい反面、「私の被害妄想であって欲しかった」という悲しみも、あった。複雑な気持ちだ。

そして、「ああ、もう、”普通”は得られない」「もうこの親がいたら、私はどこにもいけない」そんな感情が、ずしんと心にのしかかった。
そんな負の感情は、恋人にも共通で。二人で、じわじわと効く毒をすわされたような心地だった。

そんな境地から救ってくれたのは、彼のお母さんだった。

「はなちゃん、人は変わらんのよ」

画面越しに、優しい笑顔で、語りかけてくれた。

「人は変わらんから、もう二人の好きにしていいのよ。方向性だけ示して、粛々と実行したらええん。二人が幸せだったらそれでええんやから。二人は二人のことを考えてたらええの」

「どうしようもなくなったら、うちへおいで。お父さんも私も、応援するから」

別の電話で話した彼のお父さんは、「駆け落ちでもしたらええ!」なんて豪快に笑っていた。

このとき、初めて「私らの幸せを、本当に心の底から喜んでくれる人たちがいる」ということを知った。
自分の親との違いをまざまざと見せつけられた心地がして、わあわあ、子供のように泣いた。

一方、彼は、晴れやかな顔をしていた。
そうして、私の肩を取って、言った。

「さあ、はな、お引越しだ!はなのおうちを一緒につくろう」

そうして、バタバタとお引っ越しが始まった。本当は年明けくらいの予定だったが、ひやかしのつもりだった不動産屋さんで良い物件を見つけ、思いのほか早いお引っ越しとなった。

それが、いまから2ヶ月ほど前のこと。

いまは、彼と住み始めてかれこれ2ヶ月が経つ。引っ越しはなかなか面倒だったし、その後にもいろんなことがあったし、二人で分担すれば余裕と思っていた家事もなかなか大変だったりする。

でも、やっぱり彼との生活は楽しい。幸せだ。

お酒を飲んでニッコニコ上機嫌な彼や、穏やかな彼の寝顔を見ると、安らぐ。
一緒に洗濯物を干しながら歌を歌ったり、お笑い番組を見て笑い転げたり、ときに夜中まで研究の話をしたり。こんな何気ない幸せな日々を送れていることが、本当に嬉しい。

いまでもまだ、母とのことは悩んでいる。1ヶ月ほど前から、彼と一緒に母のことを相談しにカウンセリングに通い始めた。まだまだ、母とのことの折り合いをつけることは難しい。

それでも、いまの私には、ただいま、と帰れる・帰りたい家がある。いまの私には、確かに家族がいる。

いつだって隣にいてくれる彼だけじゃなく、彼のご両親も、まだ会ったことないのに「はなちゃんへ」と温かい手紙をくれる彼のおばさん・おばあちゃんも、彼のお姉さんだって。
みんな、私らが仲良く笑って幸せでいると、ものすごく嬉しく幸せに思ってくれる、私らの家族だ。

大晦日の今日、お酒が大好きな彼はここぞとばかりに呑んでいる。
紅白を見ながら、大好物のカニやホヤをつまみに呑む彼の赤い横顔は、とっても嬉しそうで。

この人と一緒なら、どんなことがあっても、なんだかんだで乗り越えて笑って生きていける。そんな気がした。

「家族と向き合う」のシリーズは、これでおしまいです。(中)を書いていたときは、もっと違う、母との穏やかなハッピーエンドを描いていました。というか、それが書けるな、と思ったから書き始めたものでした。でも、(中)を書いた後にこんな感じになり、どう書くかなあなんて思いながらドタバタとしている間に時が過ぎ……
母に対しては、いろんな感情があります。カウンセリングで少しずつ整理していて、ゆくゆくは、きちんと折り合いをつけたいなと思っている、今日この頃です。


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