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家族と向き合う(中):”普通”に縛られていた母

家族と向き合う(上):”新しい家族を作る”ことしか、考えてこなかった」の続きです。


2年ぶりに聞く母の声からは、一生懸命なカラ元気さが漏れていた。

「どうしたの、何かあった?」

家出同然状態の我が子に対して、どんな声を出していいのかわからないのだろう。
それは私の方も同じだった。

「何もないけど、そろそろ向き合わないとかなって」

ベッドに腰かけて、耳にあてたスマホをかたく握りながら、どこからどう話をしたらいいのか、考えていた。

母は、2年前とは打って変わって、研究者という職業や大学院という場所に対して、好意的な反応をしていた。
「頭でっかちの、人の気持ちなんてわからない人が行くところ」から、「日本の未来を担う人が揃う場所」へ、「税金の無駄遣い」から「社会を陰で支えること」へ、がらりと母の見方が変わりすぎていて、拍子抜けしてしまった。

話しているうちに気まずさも少し和らぎ、”一生懸命なカラ元気さ”も随分なくなった。
そうして、気づいた。母の声が随分と明るいことに。
発言も丸くて、穏やかだ。話がちゃんと通じる。自分の思いこみに頑なになって、相手の発言の趣旨を丸める、なんてありし日の姿はかけらもない。

「お母さん。なんか、変わったね」

「変わったって?」

「なんかこうーー」

”理不尽じゃなくなった”とはさすがに言いにくくて、言い淀む。

「優しくなった?」

母の言葉に、「うん」とうなずく。母の笑い声が聞こえた。

「そうね、ひとりになって、いっぱい考えたの」

母は続ける。

「ごめんね、はな。ひどいことしちゃったね」

「一生懸命だったの、『はなを正さなきゃ!』って」

「”はーちゃん”は、小さい頃からちょっと変わってて。よく”不思議な子”って言われててね」

いつの間にか、幼い頃の呼び名になっている。
しかし、”不思議”だなんて、心外。大学院では”唯一まともな人”って言われてるんだけど。

「そりゃあ大学院の人たちが凄すぎるんでしょ。はーちゃんはちょっと変わってて、でも、そんなところが可愛くってね」

はーちゃんといて、ほんと毎日、楽しかったの。
そう続ける母の声は本当に明るくて、ああ、いま言ってることは嘘じゃないんだな、とわかった。

「なんとなく、”この子、普通に就職はしないんじゃないか”って思ったこともあってね。まあでも、いつか”普通”になるって思ってた」

普通に企業に就職して、普通に働いて、普通に結婚してーー
母のいう”普通”っていうのは、たぶん、”みんなと同じように”、だ。典型的な、代表的な、一般的な人生を歩むこと。

でも、そうはならなかった。

「『大学院行って、研究者になる』って聞いたとき、『いつか普通になると思ってたのに、なんで普通にならないの』って思って。なんとかして普通にしないとって焦っちゃったんだ」

世間体を気にしすぎな母の姿が浮かぶ。
こうまで言われても、そこまでして”普通にならなきゃいけない”と思う理由がわからない私。そりゃあ、噛み合わなかったわけだ。

「少し変わってるはーちゃんが好きで、”好きにさせよう”って思ってきたのに、最後の最後で失敗しちゃった」

ずっと、大学生になるまで衝突が少なかったのは、母の望む”普通”の範囲からそこまで離れてなかったからだと思っていた。

それもあるかもしれないけど、でも、”好きにさせよう”と、私の意思を尊重しようと母が思ってくれていたから、衝突しなかったのかもしれない。

初めて知る、母の気遣い。
「ごめんね」の母の声に、「ううん」と返した。

「でもね、子育て、楽しかったよ。ほんとに。最後の最後でやらかしちゃって、もうはなに愛想尽かされちゃっただろうなって思ったけど、ほんとに、子育て楽しかった」

ああ、母は、もう”母”としての役割をおろせているんだな。その証拠なのだろうか、母の一人称は”おかーさん”から”私”に変わっていた。
肩の荷が下りたような気分なのかな。重かった荷をおろせる、と思えたから、”ゆとり”ができて、穏やかになったのかもしれない。

母にしたい話があった。

「ゼミの先輩がね、いろんな人からもらったダメ出しを全部修正してゼミで発表したんだけど、先生がかえって怒ったの。『なんで全部人の意見を取り入れるんだ』って」

「直したのに?」

「うん。先生は、『なんでもかんでも受け入れるのは、自分の意見を持ってないのと一緒』って思ってるんだ。どんなすごい人、偉い人に言われたことだって、自分の思うこととちがかったら直さなくていいし、『それは違う』って反論しなきゃいけないんだ」

「そうなの」

「もっとも、その先輩のすごいところは、全部直せちゃうってところなんだけどね。普通は全部は直せない。そこは先生も評価してらしたんだけどね」

少し笑うと、母も少し笑った。「すごい人たちがいるのねえ」と。

「あのね、お母さん」

ちょっとだけ息を吸って言う。

「ここの人たちは、自分の価値観や意見ってものをしっかり持ってる。自分の芯を持って生きてるし、だからこそ、相手の芯も尊重するんだ。尊重することと、賛成することはまた別で、『俺はそうは思わない』って相手の論を否定することはあっても、相手そのものを否定することはないんだ」

母は黙っている。

「自分の論をしっかり言い合って、その上で仲がよくて。先生同士だって、さっきまであんなにバチバチ議論して言い合ってたのに、見たら仲良く酒飲んでニコニコ笑って酔っ払ってる、なんてことしょっちゅうでさ」

「そうなの」と母が言う。

「うん。みんな、かっこいいんだ。先生方、みんな見た目はただのおっさんだけど、かっこいい。私はこの人たちが好きで、ここに来れてよかったって思ってる」

「うん、うん」と母が言い、静かに続けた。

「昔は私も、そういう人に憧れてたし、そうなりたいって思ってたなって思い出した。自分の世界を持ってる人。でもいつの間にか、”普通でいなきゃ”になっちゃって」

「うん」今度は私がうなずく。

「”普通であるべき”にとらわれちゃった。でも、最近やめたの。もういいやって。私は私の好きなことしようって。そうしたら、楽になった。友達と美術館行ったり、楽しいことするようにしたら、優しくなっていった気がする」

自分で言うのもあれだけどね、と母が笑う。

よかった、と安堵する私がいる。

世間体を気にし、いつも卑屈だった人が、穏やかに楽しく日々を過ごせるようになっている。その様は、子供としてだけじゃなく、同じ人間として、嬉しい。

と同時に、やっぱり母も一人の人間だったんだなあ、と思う。

人間生きてれば、いろんなことあるよね。
憧れのようになれないことも、うまくいかないことも、流されちゃうこともあるよね。
一度きり(一人っ子だし)の子育て、最初から完璧になんてできないよね。
空回りしちゃうこともあるよね。

2年前までのことを許せるか、と聞かれると、難しい。
あの人生一番の苦しみを思い出すと、いまでも苦しくなる。

あの理不尽さを忘れられず、いまでも母のことは信用し切れていない。

それでも、「子育て、ほんとに楽しかった」と笑う母のことは、まったく憎めない。


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