見出し画像

家族と向き合う(上):”新しい家族を作る”ことしか、考えてこなかった

「一緒に暮らそうか」

少し前、恋人と、そんな話になった。
日々の暮らしにかかるお金の計算も、引越しにまつわる費用も調べあげ、お互いの収入と貯金とにらめっこした結果、意外とお互いのいまの生活水準を保ったまま、二人で暮らしていけそうだとわかった。

貯金もガッポリできそうだし、彼と私の得意な家事が見事に分かれているために、家事負担は今より減りそう。希望する家賃水準で、そこそこいいお家もわりとある。

いいこと尽くめ、なんだけれど、ひとつ大きな壁があった。
私と、私の母との関係だ。大学の頃から関係が悪化して、大学院に入る頃に耐えきれなくなって、家出同然のような形で学生寮に入った。それからろくに連絡を取っていない。

「そろそろいい機会なんじゃないかな」

続けて、彼はこう言った。

「はなにも、帰れる場所、帰るべき場所が必要だと思う。その帰れる場所は、はなの育ったおうちであるべきなんじゃないかな」

”おうち”が欲しかった。安心してゆったり過ごせる、帰ってきてもいいのだと思えるおうちが、欲しかった。

いまの家族、母・祖父母・伯父を心底憎んでいるわけじゃない。楽しいこともあった。
けれど特に母は、あの頃の私の生活に確かに害を与えてはいた。

積み重なった違和感と不信感から、私は母のことを諦めていた。
そうして、”新しい家族”、自分で選ぶことのできる相手とつくる家族と、そのおうちに期待をよせるようになっていた。

新しく家族をつくることしか、頭になかった。
新しく家族ができるまで、自分には家族はないと思っていたし、『大事な人が待つ、帰る場所』というものはないと思っていた。

「俺ね、押入れの奥に、何かあったとしても実家に帰れるように、新幹線代の3万円とっておいてるんだ」

彼が言った。言葉が出なかった。

「でも、はなには、こういう気持ちや行動がよくわからないんでしょう?」

うん、とうなずいて、言葉をつなげる。

「そういう人がいるんだろうなってことは、わかってる。知ってる。ドラマ的な、典型的な世界……でも、まさかこんな身近にいるとは、あなたもだとは、思わなかった」

ちょっと、ショックだった。
彼も家族と、いろいろあったはずだ。決してドラマ的な、典型的ないい家族関係ではなかった。それを乗り越えて、かなり穏やかな、いい家族関係になっていることは知っている。
でも、(過去に)わだかまりがあってもなお、”頼っていい存在”、”帰っていい場所”と思えていることが、理解できなかった。

私の実家はここから電車で1時間ほど。千円もあれば余裕で帰れる。
でも私の部屋のどこにも、帰るための千円はない。そもそもそんな発想が、彼に言われるまでまるでなかった。

「じゃあはなはさ、働けなくなったらどうするの?」

「なんでもいいから、職を見つける。どうにもだめだ、となったら研究職じゃなくても、なんでもいいから、見つける」

「それでも見つからなかったり、身体を悪くして働けなくなったら?」

そう、それが、怖いのだ。
そうなってしまったら、もうおしまいだ。体を悪くすることが怖いから、保険に入っているけれど、そんな十分な保証はない。いろいろな制度に頼って生きていくことはできるのかもしれないけれど、「そうなってしまったら、おしまい」の不安はぬぐえない。

ひとたびこの不安に目を向けると、怖くて怖くて、何にもできなくなってしまう。だから、みないように、目の前のことに集中し続けるしかない。

「女だから、大丈夫でしょ」なんて言われることもあるけれど、こちらも正直、その意味がよくわからない。
まだ一緒に暮らしていない状態で、彼が持っているお金は、貯金は、彼が頑張って貯めたものだ。修士時代に、延々とスパゲッティ生活を続けて(一番お金がかからないらしい)貯めたお金だ。二人で貯めたお金じゃない。

これまでに貯まっている彼のお金は、彼自身のために使って欲しい。私だって、いまある私の貯金は自分で使う。二人のためのお金は、二人で貯めるもの。ーーこの考えも、ちょっと普通じゃないらしい。

「俺さ、前に『はなに足りないのは”死ぬ気”だけ』って言ったことあるでしょ」

死ぬ気、つまりは、掛けに果敢に挑むということ。
うまくいくかもわからない、先が見えない研究に対して、不安を振り切って身を投げて、没頭すること。この姿勢がはなにはない、と以前言われたことがある。

「俺は、死んでもいいって思って研究してきたけど、それができたのは、生死を気にせずに過ごせる場所があったからなんだな。俺のやってることの価値を認めて、応援してくれてる家族がいる。本当に死ぬことはない、最後の居場所がある。だから没頭できた。でも、はなにその場所はない。死んでもいいって思って振り切ったら、本当に死んじゃうかもしれない」

俺は恵まれていたんだなあ、と遠くをみていた彼が、ふと視線をこちらに戻す。

「生死を気にしないといけない状態で、いい研究ができるわけないよ、はな」

「いい研究者ってのは、リスクを取ってるんだって、誰かが言ってた。俺もそう思う。いのちや生活が保障されていないのに、この時代にリスクなんて取れるわけないよ」

「はなは臆病なんだし」と穏やかに笑いかけてくれる彼に、そうだね、と言う。
このままうなずいてやり過ごそうか迷って、やっぱりちゃんと思ったことを伝えることにした。正直に言っていい?と口を開く。

「甘いなって思う」

「俺のこと?」

「うん。どれだけ想像しても、”あの人たち”がそういう風に、失敗しても居場所を提供してくれるとは思えなくて、”甘え”や”自己責任”の言葉で片付けられそうな気がして」

「うん」

「『失敗しても、帰ったら守ってくれる』そんなおうちは理想だし、そんなおうちを自分の子供には作ってあげたい。そう思ってるんだけど、いま実際にその考えを持ってる人を見てみたら、『激甘だな』って思っちゃった。ごめん、そういうことじゃないんだろうね」

嫌で嫌で仕方なかったはずの”あの人たち”の考えが、確かに根付いている。
そのことが嫌で悲しくて、でもやっぱり『失敗しても、帰ったら守ってくれる』が理解できなくて。

そのくせ、自分の子供にどんなおうちを与えたいかと聞かれたら、彼の言うようなおうちであって。

与えられたことのない種類の愛しみの感情を、人は持てるのだろうか。

「やっぱりね、俺は、一度お母さんと向き合った方がいいと思う。一度でいいから、”いまの家族”と向き合ってみて」

俯く私の頬を彼の両手が挟んで、持ち上げる。真っ直ぐな彼の目が、こちらを見つめている。

「いまの家族が、おうちが、本当にどうしたって”帰る場所”になれないのか、そういう発想が一切かけているのか、確かめて。それでもし、本当にダメなら、俺と一緒に新しいおうち作ろう」

うん、とうなずく。ぽたり、と涙が落ちる。

彼は私の頬を挟んでいた手を離して、今度は私の背中にそっとまわす。
「あ、まあ、ダメじゃなくても、一緒に住むし、家族にもなるんやけどな」
なんて取ってつけたように言って、そのまま私の肩に顔をうずめるように伏せた。あ、さてはこいつ、照れているな。

「わかったよ、がんばってみるよ」

と言い、私もそっと彼の背中に手をまわして力を入れた。


***

前編・後編でおさまると思ったら、おさまりが悪かったので、3部作にしました。それに伴い、記事のタイトル部分で”前編”としていたものを”上”に書き換えました。

(中)はこちら。


もしも、サポートしたいと思っていただけたなら。「サポートする」のボタンを押す指を引っ込めて、一番大切な人や、身の回りでしんどそうにしている人の顔を思い浮かべてください。 そして、私へのサポートのお金の分、その人たちに些細なプレゼントをしてあげてください。