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問いをたてることの難しさ ーー知りたいことはあるけれど

私を含む、大学院生や研究者は「何か新しいことを見つける」がお仕事だ。

これが、難しい。
もっと言えば「新しいことを見つける前の”問いの設定”」からして、とっても難しい。

ーーなんて言うと、「えっ、知りたいこと・研究したいことがあるから大学院に行ってるんじゃないの!?」なんて思う人もいるかもしれない。

そうなんです。知りたいことはあるのです。だから大学院にいるのです。
でも、知りたいことはあっても、きちんとした問いをたてることは、とっても難しいのです。

大学院生・研究者の間での言葉を使えば、「リサーチ・クエスチョン(研究を通じて明らかにしたい問い)」をたてることがとっても難しいのです。


以下、そんな、研究の第一歩である”リサーチ・クエスチョン”をたてる難しさについて、記したい。リサーチ・クエスチョンって何、からはじまって、どんな難しさがあるのかを記そうと思う。

これから大学院に行こうと思う人や、私のように研究者をめざす人はもちろん、そうじゃない人にも「大学院生や研究者ってこんなことしてるのね」なんて思ってもらえたら、嬉しい。

研究への取り組み方は、多種多様で、分野によっても人によっても違うので、広く共通する内容ではないかもしれない。以下で記すのは、あくまで私(経済学・博士課程)が直面している難しさについてです。

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「知りたいこと」はあくまで”テーマ”

「大学院生/研究者です」と言うと、次にくる質問は「なんの研究をしてるんですか」でほぼほぼ決まり。その、研究内容に対しての返答は、個人的経験から大きく分けて3つある。

1. 〇〇学など、学問の分類を答える
 →「経済学です」から、もう少し細かい「マクロ経済学です」といったものまで
2. 研究テーマや興味のあることを答える
 →「日本の所得格差をテーマにしています」「アメリカの金融政策について研究しています」など
3. いま取り組んでいる研究のリサーチ・クエスチョンを答える

相手によってこの3つの回答を使い分けているけれど、だいたいは1か2を答えて終わりのことが多い。3は同じ分野の人と話すときとか、研究の相談をするときとかくらいなものだ。

上で言った「大学院で知りたいこと」に該当するのは、だいたいは2の「研究テーマや興味のあること」。
それは、文字通り”テーマ”を言っているに過ぎない。

この「xxについて研究しています」の言葉でもって、「ああ、xxについての本を読んだり調べたりして、『xxについて』という本や論文を書いているんだな」と思う人がいるかもしれない。(特に文系に対してはそう思う人が多いかもしれない)

そういう人もいるかもしれないし、xxについて熟知した末に『xxについて』という本を書くことがあるかもしれない。
でも、私の周りの大学院生・研究者が行っているのは、そのイメージとはちょっと違う(と思う)。

なぜなら、”研究”は、先ほどの回答の3にあった”リサーチ・クエスチョン”というものを立てることが必要不可欠だという認識のもとで動いているから。”テーマ”を決めただけでは、話が大き過ぎて、研究の手をつけられないから。

リサーチ・クエスチョンってなんだ?

「xxについて知りたい!」と思ってそれを研究にしようと思ったら、それに関する、ある特定の問いを立てる必要がある。この”特定の問い”は、「リサーチ・クエスチョン」と呼ばれる

”特定の”という言葉がついているのは、「広すぎる問いはダメですよ」ということの現れだ。
きちんと確実に答えられる、範囲がしっかり限定された問いをたてて、論理に基づいてそれを明かしていく。
問いが漠然としていたり、あまりにも大きすぎると、何をどうしたいのかが全く分からなくなってしまう。
英単語ひとつで表すなら、specific(明確な)問いをたてよう、ということだ。

本屋さんに並んでいる本は、教科書としての側面があったりして、特定の問いである”リサーチ・クエスチョン”を見つけにくいかもしれない。
わかりやすいのは、学術論文。学術論文には(多くの場合)、この論文が答える問い、つまりリサーチ・クエスチョンが書かれている。

具体例として、Duggan and Levitt (2002) の論文のイントロダクションにある一文をあげたい。

In this paper we look for corruption among Japan's elite sumo wrestlers.
[訳] この論文では、日本の大相撲界に談合(八百長)が存在するか確かめる。

[出典] Mark Duggan and Steven D. Levitt (2002) "Winning Isn't Everything: Corruption in Sumo Wrestling", The American Economic Review, Vol. 92, No. 5 (Dec., 2002), pp. 1594-1605 (上記引用文はp1594 第四段落はじめ)

この論文は、上記の「日本の相撲に八百長があるのか」というリサーチ・クエスチョンをたて、データを使ってその問いに答えている。(ちなみに結果は、八百長が存在するというものだった)

このように、YesかNoで答えられるくらい、specificな(範囲が限定されて明確な)問いをリサーチ・クエスチョンという。

リサーチ・クエスチョンをたてる難しさ

この、研究の問いであるリサーチ・クエスチョンをたてることは、難しい。
なんでも疑問に思うことを挙げればいいという話ではないからだ。

リサーチ・クエスチョンをたてる際、いの一番に大事なのは、新規性

その問いは、新しいものでないといけない。自分が抱いた疑問に他の人が答えてしまっていたら、その他の人の答えが不十分である理由を明らかにし、正当な批判をしなければダメ。
他の人の回答にぐうの音もでないと、”自分の研究”はスタートできない。新規性がちょっともないものは、悲しいけど研究にならないのだ。

この新規性さえあれば、学術研究としてスタートを切ることはできる。
でも、研究者として生きていくため/広い学術界で少しでも名を知らしめるためには、さらに気をつけなきゃいけないことがたくさんでてくる。

そのたくさんの気をつけなきゃいけないことをまとめて一言で言ってしまえば、「その問いに、研究に、価値があるか」という点だろう。その問いをたてて答えられたとして、何の価値があるのか、ということだ。

・これまでの常識を覆すような新しさがあるか
・学術界だけじゃなく、社会的や政策的にも重要なことか
・応用が効くか

上にあげた例はあくまでも一例で、基礎研究・応用研究によっても、分野によっても重視されるポイントは違う。各々、自分の信念や描くキャリアなども考えながら、自分の問いや研究の価値を考えていかないといけない。

研究者として食べていくためには、時には他人の評価を気にしたり、問いに対して確実に答えられそうか(確実に業績となりそうか)なんてものも気にしないといけない。

こうしたいろいろを考え、先生方をはじめとするいろんな方々からのツッコミにも耐えうる問いをたてることは難しい。
またしても英単語ひとつで表すなら、reasonable(価値のある、考えるに値する)な問いを見つけることが難しいのだ。

まとめ:明確で考えるに値する問いをたてることの難しさ

ルー大柴的なカタカナまじり表現を許してまとめると、specific(明確)でreasonable(考えるに値するような)な問いをたてるのが、本当に難しい。

大学院に来て、「”研究”をしよう・研究者になろう」とすると、上記の難しさに直面する人もいるのだろう。人によっては学部の卒業論文で問いをたてる難しさにふれたひともいるかもしれない。何なら私は、修士課程を終え、博士課程の2年目になってもこの難しさの真っ只中にいる。

「そんな難しさを前に、どうしたらいい?」は明日の記事に

まだまだ問いをたてる難しさは克服しきれないでいるけれど、修士2年間+博士2年間の試行錯誤の末に、「こうしたらいいのかも」と思うことはある。そのお話は、長くなってしまったのでまた明日。


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