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「努力したって、望み通りのものが得られるとは限らない」けれど

小学校5年生の頃。私は習い事のモダンバレエに夢中だった。

「モダンバレエとは何か」と聞かれると、実は全然よくわからない。
自由度が高く、なんでもありなのがモダンバレエだと思っている。

そんなモダンバレエを小学校1年生から習い始めて、5年生になる頃にはほとんど毎日稽古に通うほど、のめり込んでいた。踊ることが楽しくて楽しくて、しかたなかった。

***

そんな小学校5年生のある冬の日。オーディションのお知らせを受け取った。

県内のモダンバレエ教室が集まって行われる、合同発表会の出場者を決めるのだと言う。

これまで、私の教室では、その発表会には希望者全員が出られていた。
が、この度は、挑戦的な試みとして、”全国コンクール出場経験者+オーディションに合格した者”だけで作品を作り、最高峰のダンスを披露するのだという。


全国コンクールに出たことのなかった私は、このオーディションへの参加をいち早く名乗り出て、「絶対合格してやる!」と意気込んでいた。

当時、コンクールに出てみたかった。けれど、家の金銭的事情で出ることが難しかった。
私の通っていたバレエ教室は、週5回通っても月謝9000円と、バレエ教室界隈では破格の安さだった。が、コンクールにでるとなると話は別。出場料金も、特別レッスン料金もかかる上に、先生へ保護者が交代で差し入れをしたりお弁当を作ったりしないといけない。
”習い事”ではたびたび聞く話とはいえ、我が家には負担が大きすぎる。子供ながらにそう判断し、「コンクール?そんなの興味ないよ!」と強がっていた。


そんな背景と、生来の負けず嫌い精神と、単純なダンスへの愛でもって、オーディションに向けてバレエ漬けの日々を過ごした。

学校から帰ったらすぐに稽古場へ直行。
遠くの稽古場にも、昔懐かしの回数券を握り締め、友達と電車で通っていた。

ガタンゴトンと電車に揺られ、始まるのはお菓子交換。(あのとき周りにいた方々、騒いでごめんなさい!)
「はなちゃん、何がいい?」
友達の巾着の袋からは、いろいろな種類のお菓子が出てくる。
あめ玉、グミ、チョコレート、クッキー。よりどりみどりのお菓子たちに、目を輝かせる。

一方、私の巾着袋にあるお菓子は、2種類くらいなもの。
それでも怪訝な顔一つ見せずに、嬉々としてお菓子を選んでくれた友達を見て、じんわり暖かな気持ちになったことを覚えている。(ちなみに、彼女はいまでも私の親友の一人だ)

一緒に行く友達がいないと、危ないからと母親が車で送り迎えをしてくれた。稽古場へ向かう車内で、母親が握ってくれたおにぎりを食べ、稽古が終わるまでの小腹を満たした。

そんな母親の支えもあり、私は一心不乱に稽古に励んだ。
家に帰ってきてからも、柔軟と筋トレをし、振り付けを確認し、朝から晩まで躍り狂っていた。

ダンサーになろうなんて思っていたわけじゃない。将来のことなんてぼんやりで、ただ目の前のことに一生懸命だった。目の前の、大好きなバレエに一生懸命で、自分なりに究めようとしていた。
そんな当時の私には、あのオーディションに受かって、コンクールに出た子たちと同じ舞台に立つことは、”夢”と同じくらい、大きくて輝かしい香りをまとっていた。

努力は、実った。
オーディションの結果発表の日、合格者として私の名前が呼ばれた。

合格を受けて、より一層、バレエ漬けの日々に。
嬉しくて、楽しくて。「努力はちゃんと実るんだ」と確信し、さらなる努力を!なんて思っていたのだった。

それなのに。
本番当日の客席には、華々しい舞台をただただ見つめる私の姿があった。

合格発表後、しばらくして、いきなり暗雲が立ち込めたのだった。

「ちょっといい?」と先生に呼ばれ、告げられたのは合格の取り消し

理由は、身長の高さだった。


当時、私の身長は、平均的な子達よりも頭ひとつ高かった。
クラスで背の順で並んだら、後ろから二番目か三番目。

そんな平均より背の高い人間が、集団の中で踊るとどうなるか。

当然、目立つ。
作品の調和を、乱す。

そういった理由で、一度は受かったオーディションを、落とされた。


私の努力が足りなかったわけじゃない。
努力は実り、認められ、合格をいただいた。

でも、努力とは何の関係もない、自分ではどうしようもない”身長”で、落とされた。


***


「努力すれば必ず夢は叶う」

そう信じていたかった。

だってまだ小学生だ。「”大人”になったら、いろいろな”大人の事情”で、そう綺麗に物事がいかないのだろう」それくらいわかっていた。

母親の離婚もみてきた。一緒に暮らしていた、大好きな叔父が病気になって、苦しむ姿もみてきた。不仲な祖母と母親の耳をふさぎたくなるような喧嘩も、たくさんみてきた。

”大人”になると、うまくいくことも、よくわからない事情でうまくいかなくなったりする。それはわかっていた。

でも、私はまだ小学生だ。言うまでもなく子供だ。
だから、まだ綺麗事にあふれた、ピカピカに綺麗な世界をみていたかった。
厳しい現実なんてみたくなかった。そんなものをみるのは、もう少し先だと思っていた。


バレエ教室の先生の言い分は、わかる。作品への思いもわかる。
だから、先生を責めたりはできなかった。合格取り消しを告げる先生の顔も、苦しそうに歪んでいたから。


でもさ、早いよ。
まだ世界を綺麗なままでみていたかった。

落ちた悲しみと悔しさと、みんなよりも少し早くふりかかった「綺麗じゃない世界」のかけらに、ただただ泣くことしかできなかった。

私が出ることができなかった作品は、この教室始まって以来の最高傑作と称され、内外の人間からあふれんばかりの喝采を浴びた。

終了後、皆が口々に参加者を称え、その肩を叩く中、私はぽつんと立っていた。
誰も私の肩を叩く者はいなかった。

「行こう」母に促され、私は会場を後にした。

***

あれから15年もの時が経った。
現在の私の身長はというと、158センチ女性身長のド平均だ。

皮肉なことに、小学校の頃にぐんぐん伸びた身長は、中学校に入って成長がピタリと止まった。
蓋を開けてみれば、あの作品に出た子たちと変わらないか、むしろ低い背の高さとなった。

みんなと同じ成長スピードだったら、私もあの舞台に出れたのに。

世の中には、頑張ったってどうしようもないことが必ずある。
どれだけ頑張ったって、努力が実らないことも、たくさんある。大人の世界でも、子供の世界でも。


ーーじゃあ、努力なんてやめちゃう?




はなから頑張らなければ、悔しい思いもしない。
何かに挑まなければ、嬉し涙も悔し涙も、何にも流さずに済む。
自分の中で、言い訳じみた”可能性”を持ち続けることができる。傷つかないで済む。自分の心を守ることができる。


ーー本当に、それでいいのだろうか。

子供だった私の答えは、だった。その答えは大人になった私でも、変わらない。



私の座右の銘は、「やらぬ後悔よりやる後悔」
これはあの舞台の悔しさの末に、子供ながらに結論づけた、自分の人生へのあり方だ。

「人生に挑戦し続けろ」「成長し続ける自分であれ」ーーそんな安易なことを言いたいんじゃない。


「真に望むものがあったとき、それに対してどう行動するか」

自分が望んでいることなら、のんびりと穏やかな暮らしでもいい。ありのままで過ごすことでもいい。ブラックな会社を辞めることや、合わないなと思った場所を去ることでもいい。


その望みが心からのものであったなら。
その実現に不可欠な事柄から逃げてはいけない。


待ち受けているかもしれない悲劇を恐れてはいけない。傷つくことを恐れてはいけない。勇気を持って、その事柄に挑まなければならない。

自分の望みから逃げた末の心の安定は、まやかしだ。いつか必ず後悔として、自分の心をむしばみにくる。

だったら、「やらぬ後悔よりやる後悔」だ。


想像もつかないような理不尽さや、どうしようもないことが待ち受けていたって、私は負けない。あの舞台のときのように大泣きをして、悲しみにくれるかもしれないけれど、そんなものは一時的なものだ。
誰も私のことなんて気にも留めないかもしれない。肩を叩いて労ってくれる人はいないかもしれない。それでも、私は、必ずまた立ち上がる。

「それが”私”だ」と、あの小学5年生の冬に決めた。
自分の人生に綺麗な理想をひっさげて、綺麗とはいえないかもしれない世界と闘うことを、決めた。

***

その後、高校受験のためバレエから遠ざかった。受験を終え、久しぶりに稽古場へ行き、踊った。

毎日のように踊っていた頃とは打って変わって、体はかたくなっていた。足も全然上がらない。

すると、不思議なことが起きた。
いつも必ずバテる後半部でも、力がどんどん湧いてくる。毎日稽古していた時だってしんどかったのに、全然しんどくない。体は軽く、存分に音楽にのって体を動かすことができる。楽しくて気持ち良くて、「これが生きるということか」と、思った。

「はな、いいぞ!」先生の声が聞こえる。
無我夢中になって、踊った。曲が終わっても、息こそ上がっていたが、疲れなどなかった。

やり切ったのだ。
私は、大好きだったモダンバレエを、やり切った。もう思い残すことはない。

母親に無理を言って、高校は行きたい私立高校に進学することになっていた。
母親はそれでもバレエを続けていいよと言っていたけれど、これは母に対する配慮ではなく、心から「もういいんだ」と伝えた。

いまでも思い出す、あのときの不思議な感覚。無限に力の湧いてくる、あの感覚。
あの感覚は、きっとバレエの神様からの贈り物。あれを体験できただけで、私のバレエ人生はもう、満足。
酸いも甘いも、笑顔も涙も、たくさんの思い出を胸に、また新たな道を歩もう。

紆余曲折を経て、私はいま、経済学を学ぶ大学院生として、博士課程に在籍している。

この道も、バレエと同じように、努力しても望み通りの結果となるかは、全くわからない。頑張った先で結果が出ないことも、結果が出ても他の人に先を越されてしまい、徒労に終わることもある。
頑張って結果を出して発表しても、「なんの意味があるの」と叩かれたり、真っ当な論理でもって否定されることもある。落ち込んで、泣いて泣いて、もうやめてしまおうかと思う夜は、いくらだってある。

でも、負けない。これは私の望んだ道だから、傷つくことを恐れない。
「やらぬ後悔よりやる後悔」だ。

あの発表会後、立ち尽くす私に気を留める人はいなかった。
けれど、幸いなことに、どうやらいまの私にはいろいろな人がついてくれているらしい。友達も恋人も指導教官も、他の先生方だって、たくさんの励ましと気遣いを見せてくれる。note上でも、優しい優しい方々がたくさん、見守ってくれている。

じゃあ、やっぱり、負けてらんない。しぶとい私の生き様を、この世界に見せてやろうじゃないか。


そんな勝ち気なことを思いながら、私は今日も明日も、研究室へ向かうのだった。


この記事は、うたたネさん主導のアンソロジーとして、「子供の頃の夢が破れた日」というテーマのもとで書いたものです。
アンソロジーとは、同じテーマで別の人たちが書くというものらしいです(お声をかけていただいて初めて知った言葉)。
他の方々の記事は、下記のマガジンより見ることができますので、是非是非ご覧になってください。
最後に、お声をかけていただき、記事を書く機会をあたえてくれたきしもとさん&長い長い記事を最後までお読みくださった皆様、ありがとうございました!


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