見出し画像

”ケジメ”という言葉からみる社会と、言葉の移ろいについて

「今日さ、李さんに『ケジメって何?』って聞かれたよ」

と、学校からの帰り道、恋人が話し出した。
李さんとは、後輩で、中国人留学生の女の子。もちろん仮名だ。

「ああ、あのニュース見たのね」

今朝からお茶の間を賑わせている、有名芸能人結婚のニュース。
”男としてのケジメ”と結婚を決意したとのコメントを見て、留学生の彼女は、ケジメってなんだ?と疑問に思ったらしかった。

「俺さ、一生懸命考えて、『”責任をとること”かなあ』と答えたんだけどさ、
 『どうして男が責任をとらなきゃいけないの?』って笑われちゃったんだよ」

「え、中国って”ケジメ”みたいな単語というか概念、ないの?」

「そうみたい。どう伝えればよかったんだろうなあ」

うーん、と二人して唸って、”ケジメ”、特に”男としてのケジメで結婚する”の意味について考える。

”何かの節目に、何かに向き合う”とか? ”物事への姿勢を見直す、心をただす”みたいな」

「俺は”男気”みたいなことだと思うんだけどなあ」

「なんとなくそれもわかるけど、”男気”ってなんだ」

「いやー、だって”男のケジメ”とは言うけど、”女のケジメ”って言わないじゃん」

確かに、と思う。けれど、しっくりこない。

「俺の言った”責任をとる”はまちがってる?」

「いや、間違いではない気がするけど…… 『なんで男が責任とって結婚を決意するんだ』っていう疑問をどうしたらいいのかと思って」

”5年も付き合ったから、きちんと結婚します”的なことじゃないの?言い方悪いけど、遊びで捨てずにきちんと責任とって結婚します、みたいな」

「うーん。言わんとしていることはわかるけれど、なんというかもやもやする」

結局、”ケジメとは何か”の答えは全く出ないまま、曲がり角で手を振って別れた。

***

はて、あのもやもやは何だったのだろうと、一人部屋で思い返す。
”ケジメ”の意味が見つからないことのもやもやだけではない気がする。もっとこう、男女の捉え方のような。

「”5年も付き合ったから、きちんと結婚します”的なことじゃないの?言い方悪いけど、遊びで捨てずにきちんと責任とって結婚します、みたいな」
「どうして男が責任をとらなきゃいけないの?」

ああ、そうか、と気づく。

”男気”は、文字通り男らしくてカッコいいけれど、幾分、”女のことを主体的な存在として見ていない”のだ。
女は守ってあげる存在、という前提があるような気がするのだ。

”5年も付き合ったから、結婚します”は、女側が言うセリフとは思えない。気にしすぎかもしれないけど、結婚というものにまつわる主従関係みたいなものが見えるような、気がする。

矛盾するかもしれないけれど、私の恋人がいまの女を主体性のない存在として思っているわけではない。(そして彼は、こうした論点に気づかずに無責任に発言するような人間では、決してない)

思っているわけじゃないけれど、蔓延している世の中の空気というものを感じて、前提にして、彼は話している。

とはいえ、いまの世の中には、「”男女”というものの見方が変化しつつありますよ」という、新しい空気もある。

だから、ちょっともやもやしたのだと思った。”時代錯誤”と言い切れるかどうかはまだ危うい、少し古い価値観が世の中の一般だという認識で彼は話していて、私はそれはもう一般的ではないという前提でいたのだから。

***

話を”ケジメ”に戻そう。”男としてのケジメで結婚を決意する”の意味だ。

恋人のいう、”ケジメ=男気”論、ないしは”ケジメ=責任”論は、なんだか少し、古めの男女象が見え隠れしているような気がする。(だから、私は、かの芸能人の”ケジメ”は、男気とかじゃなく、やっぱり”何かの節目に、何かに向き合う”の意味だと思うのだ。)

ここにきてようやく、辞書をひいてみることにした。

けじめ 大辞林 第三版
① あるものと他のものとの相違。区別。差別。 「善悪の-」
② 道徳や社会的規範に従って言動に表す区別。言動における節度。 「公私の-」 「師弟の-」
③ 次第に移り変わってゆく物事の、前とあとのちがい。 「うちつぎて、世の中のまつりごとなど、殊にかはる-もなかりけり/源氏 若菜下」
④ 隔て。しきり。 「こなたかなた御几帳ばかりを-にて/源氏 若菜下

コトバンク「けじめ(ケジメ)とは」より
けじめをつける【けじめを付ける】 大辞林 第三版
① 区別をはっきりさせる。
② 過失や非難に対して、明白なかたちで責任をとる。 「きちんと-・けておくことが重要だ」

コトバンク「けじめを付ける(けじめをつける)とは」より

”ケジメ”単品での意味では、正直、②以外あまりぴんとこなかった。①もわからなくはないけど、うーん、といった感じ。(私の教養がないせいかもしれない)

”ケジメをつける”の方では、こちらも②の方がしっくりきた。そして、恋人のいう、”ケジメ=責任”論は、一般的に正しかったことがわかる。

私が抱いた、”何かの節目に、何かに向き合う”のような意味合いは、少なくとも辞書にはないらしい。強いて言えば、”けじめ”の「③次第に移り変わってゆく物事の、前とあとのちがい」が近いのかな。”けじめを付ける”の二つの意味も、関連づけられる気はする。

”ケジメ”の一般的な意味については、なにはともあれ理解できた。が、”男のケジメとして結婚する”の方は、これら辞書の意味をそのまま当てはめてみても、なんだかしっくりこないような……

「時代によって言葉は変化していくの。正しい言葉なんてその時々で違って、それが面白いんだよ」

そういえば、言語学の研究をしている友人が言っていた。

ははーあ、こういうことか。

言葉はその形も意味も、当たり前に変化していく。その時々の”社会”やその”空気”を反映して、少しずつ、変わっていく。

”ケジメ”という言葉も、”男気”という言葉も、変わっていくかもしれない。
現にちょっと、変わっている気がする。

***

ちょっとした、”ケジメ”の質問から、思考は流れ、ふんわりとした社会的な問題と、言語学的な問題にたどり着いた。

私がつらつらと長文で記してもうまくまとめられなかった、言葉への違和感や言葉そのものの移ろいを、きっと彼女たち言語学者なら、種明かししてくれるのだろう。

また、社会学者というものは、きっとこういう”社会”やその”空気”をうまく切り取って、説明してくれるのだろう。彼らもやっぱり私がつらつら書いたものよりもわかりやすく、本質をとらえて、議論してくれるのだろう。

言語学や社会学をやっている友人に意見を聞いてみたく思う。

と同時に。私も分野は違えど同じ大学院生。私の分野から言えることはなんだろうか、と、思考をめぐらせてみるのだった。


この記事が参加している募集

もしも、サポートしたいと思っていただけたなら。「サポートする」のボタンを押す指を引っ込めて、一番大切な人や、身の回りでしんどそうにしている人の顔を思い浮かべてください。 そして、私へのサポートのお金の分、その人たちに些細なプレゼントをしてあげてください。