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心配と覚悟

人が「心配」と言う情緒に肯定的なのが不思議だ。

いや、物事のリスクを考えてそれに対して少し思いを馳せてしまうとか、時に思いを馳せることは別に構わない。

私だってビビりだしいろんなことを心配して生きている。

しかし、「心配」をするのがエライなどとは考えていない。

むしろ、無駄な心配をして喚いたり思い悩んだりすることにエネルギーを使わずに、今必要なことに集中して淡々と過ごしていくべきだろう。

もちろん、心配の感情を常に全て押し込んで感情を殺せと言うわけではない。ただ、心配をしなければ!!!!とか、こういうことに対して心配している僕・私、偉い!!みたいな情緒が結構世間ではある気がする。

私はやばい状況でも人から見るとだいぶヘラヘラして過ごしているように見えるようで、なんで焦らないの?みたいなことを何度も聞かれて生きてきた。

しかし、皆そんなに今まで生きるのがイージーだったのだろうか。
心配する程度のゴミみたいな精神のキメ方で乗り切れるような問題にしかぶつかってこなかったのだろうか。

心配を心に抱えて喚いているようでは解決できない難易度の問題に直面することだってあるんじゃないのか?

その点が非常に不思議である。

一朝一夕ではどうにもならない問題を私が抱えていた時、家族には散々喚かれた。

喚かれた結果、焦ってしまってより問題の溝は深くなり、解決からどんどんと遠のいて行ってしまった。

やはり焦ってはいけないのである。心配という情緒はその時の私には一切役に立たなかったし私を地に落とす枷にしかならなかった。

なので、やはり私は心配性というか普通にビビリではあるのだが、それと同時に必要な時にはどっしり構えて落ち着いて明るく生きていこうとも思ってる。

別に普通に生きられなくたって良いのだ。

あらゆる分野で完全に平均的な能力を発揮して生きている人の方が希少だろう。

どうしようもないことや、周りとは違う行程でも乗り越えなければならないことはある。

人とちょいと違うなんてことでいちいち怯えていてはならない。
世間を本当によく見ていれば、多少普通の道から外れることなんてそんなに異常というか稀なことではないということはわかると思うのだが。

色々な先天的条件を背負って生まれてくる人たちはいるし、一時的な自力ではどうしようもないことに巻き込まれる人だって沢山いるだろう。

皆真面目に生きすぎだと思う。

何度もくどくどと書いているが別に私もビビリだ。だが、覚悟を決めなきゃいけないことがあることだって知っている。

世間と違ったって良い。落ち着いて、淡々と、自分に必要なことをやっていきたいと思う。

少なくともそれが私の生きる道でありたい。


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