見出し画像

はっぴぃもぉる 007

僕は呆然とその場に立ち尽くしていた。
待ちに待った運動会が、当日の雨で中止になった小学生のように。
実際に僕にはそんな思い出は無いが、僕はもうまさに体操服を着て鉢巻きをしているような心持ちだった。

しかし、その一方で、どこか浮ついた気持ちにもなっていた。
誰かとちょっとした口論をしたのはいつぶりだろうか。
しかも公衆の面前で。
口喧嘩が、こんなにも楽しいものだとは。
とにかく何でもいいから若くて可愛い女の子と話したいだけなんじゃ無いかと想うかもしれないが、それは断じて違う。
落ち込みはしたが、楽しくもあった。
要約するならばそんなところだ。
そんな一日だった。

あんな別れ方、話の切られ方をすると、話の続きが気になってしまう。
初めて会った時には全く興味を持たなかったあの黒子の話が、である。
次に会った時には続きが聞けるのだろうか。
そもそも次はいつ会えるのだろうか。
今回の反省を生かして、次に会うまでの間は、あまり期待をせずに、浮き足立たずに過ごすことにしよう。

と思っていたのだが、それから彼女は一週間も姿を現さなかった。
出会った二回とも「バイト」と言っていたが、いったい何のバイトをしているのだろうか。
そのバイトが、一週間無かったのだろうか。
それとも僕があの踏切を通る時間帯のシフトでは働いていなかったのだろうか。そのどちらかもしれないし、どちらでも無いかもしれない。

そこで初めて、僕は己が胸を躍らせている対象についての情報をほとんど持たないことに気づいた。
今となっては、本当にそんな人物が存在したのかさえもわからない。
証拠なんてものは何ひとつとして残っていないから何とでも言える。
僕がこの目で見て話したと言う記憶。
これだけが僕の持つ彼女についての根拠の全てだった。
僕はそれほど自分の目や耳に全幅の信頼を置いているわけでは無い。
もちろん一切信頼していないわけでも無いが。

本当に彼女は存在するのだろうか。
あの踏切で僕と彼女が話していたのを目撃し、かつ覚えている人がいて初めて、彼女は存在していると言える。
最も、そんなことはもうどうだってよかった。
少なくとも僕の頭の中には彼女は存在しているし、目の前にはまた平凡な日常が待機しているだけだ。

夜、帰宅後に銀の蓋を指で押し開け、金色の液体を胃袋に流し込み、眠りにつく日々が再会するだけだ。
その方がきっと、心の凪も安定して続くだろう。
今日はプリン体ゼロのやつにしようか。

はっぴぃもぉる 008へ続く

はっぴぃもぉる 006

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?