あいみょんと反骨心と太陽の塔
2022年11月5日。
去年の今頃、僕は甲子園にいた。
「あいみょん 弾き語りライブ2022 サーチライト」
西宮市出身のあいみょんの凱旋ライブ。
滅多にアーティストのライブを行わない阪神甲子園球場でのライブは、武道館やドームツアー、スタジアムツアーなどとはまた違った高揚感があった。
あれから1年近くが経ち、あの日のライブ音源がストリーミング配信されるようになった。
いわゆるサブスク解禁というやつだ。
そのあいみょんの甲子園ライブで、あいみょんが号泣しながら歌っていた曲がある。
tower of the sun
という曲だ。
音楽で生きていくためにもがいていた時期を思い出し、彼女は泣いていた。
この歌詞のように、地元の友達や先生には夢を笑われたという辛い過去があったそう。
CDを出した時にも「お前なんかにもCD出せるんやな」と言われ悔しかったと語っていた。
今回なぜあいみょんのこの話をしたかというと、
スポーツ選手や芸能人、アーティストの体験談としてよく聞く
「夢を笑われた記憶からくる反骨心」というものについて考えてみようと思ったからだ。
正直僕にはこうした体験談が無い。
今までぶち上げてきた大層な夢はざっと覚えているだけでも以下の通り。
・サッカー選手になってW杯で優勝する
・歩いて世界一周
・旅芸人として歌って旅して生きていく
・ノーベル平和賞を獲る
・学校を作る
だいぶ恥ずかしいものもある。
けれど、僕はこれらを笑われて悔しかった経験というものが無い。
僕が敬愛するイチローさんや、前述のあいみょん然り、夢の大きさに関しては僕と変わらないはずだ(ごめんなさい)。
では何故笑われたりバカにされたりという経験が無いのか。
単純に僕の周りには良い人しかいないということもあるだろう。
けれど、多くの夢を叶えた人と僕の大きな違いは、
実行力と継続性だ。
僕が公言するだけに留まっているのに対し、
彼ら彼女らは、実行し継続している。
実行と継続なくして「笑われる」「バカにされる」といった経験はついてこない。
逆に考えると「笑われる」「バカにされる」という体験をするということは、
「もしも到達した時には大きな称賛や達成感が待っている」という証かもしれない。
「笑われる」「バカにされる」は突拍子もない夢や実現困難な夢に挑んでいる証なのだ。
けっして僕は世間的な成功者になりたいわけではないが、彼ら彼女らとのこの差は決定的なものだ。
言うだけだったら誰でもできる。
でも、かろうじて自己擁護できるとすれば、
言うこともとても恥ずかしいし気力が要るということだ。
言うことは大きなはじめの一歩だし、それすら踏み出せない人は多い。
けれど、僕は2歩目を踏み出すことがなかなかできない。
それは何故だろうか。
僕にはまだわからない。
うつ病というこの長いトンネルから抜け出すことができれば、
その正解、とまでは言わないにしてもヒントくらいは見つかるかもしれない。
どうすればこの重い2歩目、3歩目を踏み出せるか。
この思考テーマに出会っただけでも、
1.01歩目くらいの進歩と思いたい。
小野トロ
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