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オリンピック選手たちは何故ボイコットしないのか

今日はスーパームーンでしたね。
日本では3年ぶりに見れるということでした。

今回は4年ぶりのスポーツの祭典について考えていきます。

4年に一度のスポーツの祭典、東京オリンピックですね。

僕はスポーツが大好きです。
サッカーが1番大好きですが、本当に色んなスポーツを見ます。

ですから、アスリートの皆さんが置かれている状況や心境も
少しは推測できる人間であることを踏まえた上で
僕の考えを聞いてくれたら幸いです。

選手たちはなぜボイコットしないのか?
そして「するべきではないのか」というのが僕の考えです。

緊急事態宣言の中、それでもなお感染拡大が続く中、
医療崩壊が進む中、飲食店の閉業などが相次ぐ中、

オリンピックは、世間的には「やるべきではない」というムードだと思います。
ほとんどの人が「え、本当にこのままやるの?」という気持ちではないでしょうか。

それでも僕たちのような一般人が決められることではない。
だから事態の進捗を見守るしかない。

大体はこのような状況かと思います。

しかし、選手たちは違いますよね。

オリンピックの代表候補選手たちが、インタビューや記者会見などで
オリンピックの開催是非について意見を求められているシーンを最近頻繁に見かけます。

その中で選手たちが発する言葉の多くは
自分たちが決められることではないので
決定に従います
というもので、
勇気を出して発言している人でもせいぜい
やるべきではないと個人的には思います
と述べるに留まっています。

本当に「自分たちが決められることではない」のでしょうか?
大会は選手ありきです。

オリンピックの登場人物は、
主に①大会の開催側(IOC、JOC、政府)②選手観客の3者だと思います。
このうち③の観客の僕たちがほぼ無力なのは周知の通りですし、
無観客でも現行の多くのスポーツは無観客や入場制限で行われていますよね。
つまり観客は必ずしも必要では無い。

ですが、①と②はどちらも大会開催には欠かせないピースで、
どちらが欠けても開催は不可能ですよね。

ということは、「自分たちが決められることではない」なんてことは無いのではないでしょうか。

ボイコットすれば開催は不可能なんですから。

「自分たちが決められることでは無いから」これははっきり言ってボイコットしない理由にはならない。

国の対応がまずいだけなんだから、選手を巻き込むのは可哀想。
国が悪いんだから。
このように言う人も多いでしょう。

それは確かにそうです。
ですが、このコロナ禍において散々露呈し続けてきた政府の無能さに対して、
なぜオリンピックに関しては
まあ開幕ギリギリになったり国際世論的にまずいことになったらこの政府でも流石に手を打つだろう
なんて悠長に期待できるんですか?

国やIOC、JOCの対応がまずいんだから、
選手たちを競技だけに集中させてあげられないなんて可哀想だ。
それは大いにわかります。
しかし、そんなこと言ってられる状況ですか?

僕にはわからないんです。
無能な政府の決定を待って、何もしないということが。

なので、なぜこの状況下で選手たちはボイコットしないのか。
その理由を考えてみました。

単純にやりたいから
4年間の努力だけではなく、選手生涯をかけた大会だから、上の決定ではなく自分から出場の権利を手放すことはしたくない。これはもちろんそうでしょう。
お金
オリンピックの競技はアマチュアスポーツが多いです。
そしてオリンピックの賞金は他のプロスポーツと比べてとても低い額です。
ですがオリンピックに出て活躍することで得られる経済面のメリットは大きいでしょう。
名誉
オリンピアンになることは言わずもがな一生の名誉です。
今後の選手生命の障壁になる
自分からボイコットすれば各競技の協会や連盟から目をつけられる、或いは他の「参加したい」と思っている選手にとって迷惑だからと思い、声を上げられない。これも考えられる理由と思います。
周囲のため
今まで応援してくれた人たちや家族、大切な人たちのため。今のタイミングでないとその活躍を見せてあげられない人もいるでしょう。

ここまで5つ挙げましたが、正直僕は、この5つは、
人命を犠牲にしてまで、医療崩壊している現状を無視してまで、オリンピックを開催する理由にはなり得ないと思います。

上にあげた5つのように、オリンピックに出たい気持ちはわかります。
僕だってこれまで何度もアスリートの皆さんの活躍に勇気をもらい、生きる力をもらってきました。

しかし、現在、「正直スポーツどころじゃない」人はたくさんいると思います。
もちろん「オリンピックが開催されて選手たちの活躍が見れたら元気になれる」という人もいるでしょう。
ですが、流石に少ないのでは、と思うのです。

もともとスポーツに興味のない人はむしろ気持ちが萎えてしまうかもしれません。

政府がオリンピックをやりたいのは、お金や利権、政府内の空気感などが絡んでのことでしょう。

アスリートファースト」ではないことはもはや明らかです。

ならば、アスリートたちが自ら判断するべきでは無いでしょうか。
先ほどあげた5つの「参加する」理由と、
医療従事者の現状と、開催した時に起こりうることを、
しっかり天秤にかけた上で、
選手たちは声を上げるべきではないでしょうか。

今まで散々スポーツに生きる力をもらってきた僕ですが、
どうしてもそれが、人命に勝るものとは思えません。

もちろん「オリンピックやったところでそこまでリスクは無いよ」という意見もあるかもしれませんが、
医療崩壊が進む中で行うことの意味まで含めて考えてほしいと思います。

今回は少し感情的な文章になってしまいすいません。

しかし、今の状況を見て、ある話を思い出し、記事にせずにはいられなかったのです。

山本七平さんの「空気の研究」という有名な論考があります。

その中に、

「それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである」

という「空気」の定義があるとともに、

「戦艦大和の出撃などは“空気”決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて“空気”決定なのである。だが公害問題への対処、日中国交回復時の現象などを見ていくと、“空気”決定は、これからもわれわれを拘束しつづけ、全く同じ運命にわれわれを追い込むかもしれぬ」

と続きます。
第二次大戦における戦争犯罪を裁いた東京裁判においても、
「あの時のあの空気では仕方なかった」
「個人的には反対であった」
という証言が多くなされたと言います。

今も何も変わってませんよね。

「個人的には開催反対なんですけどね」
という意見は、行動を起こさなければ何の意味もない、
ということに早く気づくべきだと思います。

選手が大会開催の是非にまで口を出すべきではないという「空気
選手間に流れる声を上げづらい「空気
これらの存在は僕には確かめようがありません。
なければ良いなあ、と思うしかありません。


僕は、人命に勝るものはない、と思います。
政府の対応に期待する余地ももう無いと思います。
だったら選手たちが声を上げるべきじゃないか。

これが僕の意見です。

皆さんはどう思いますか?

小野トロ

以前書いた記事のリンクを集めたものがこちらです。

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