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「悔しくない」の正体

「あー…!!!悔しいっ…!!!!!」

久しぶりに感じた感情だった。


私は良くも悪くも、「悔しさ」をあまり感じることがない。

実はこどもの頃から、「悔しさ」に対して鈍感だったかもしれない。


勝ち負けが伴う勝負やゲームでも、
勝ったら嬉しいし、負けたらちょっと残念な気持ちにはなる。

それでも、テレビゲームの勝負に負けて泣き出す子や、
試合に負けて悔しくて叫んでいる子を見ると、

「それだけ勝ちたかったんだね」「本気だったんだよね」と
理解こそするものの、心からの共感は抱けなかったのだ。


私自身、学生時代はテニス部に所属していたので、
試合することもあったし、代表選手として大会に出場したこともある。

ただ、泣くほど悔しがる仲間がいる中で、
申し訳ないほどに「悔しさ」はあまりわかなかったのだ。


そもそも、勝負には、勝者と敗者が生まれる。
それはどんな勝負であっても、生まれることが最初から分かっている。

「相手が勝者になったということは、自分が敗者になる」
「自分が勝者になったということは、相手が敗者になる」

とてもドライに聞こえるかもしれないが、
勝者になったとて、敗者になったとて、私の価値は変わらないのだ。


もちろん、
「全国制覇」「日本一の」「世界チャンピオン」「グランプリ」
などの文面を見たら、「すごい!!!!」と感じるし、
それだけの実力を兼ね備えていたり、努力を積み重ねてきたことがうかがえるので、その人物や団体や企業等に尊敬の念を抱く。



そして、涙するほどの悔しさを感じる場合には、
「〇〇になりたい」という目標や情熱があることが伝わってくるし、
「負けたくない!!!」という自分に対する期待感や向上心も感じられる。

それほどの強い想いを抱いていたからこそ、
「勝てなかった」「〇〇になれなかった」ということへの悔しさがわくのだろう。
私はそういう熱い想いを持っている人が大好きでもあるし、愛しいと感じる。


それでも、自分事に置き換えると、悔しさがわかないのだ。

極論、「勝っても負けてもどっちでもいい」のが本音なのかもしれない。

それだけ、「どうしても勝ちたい!!」とか「この称号を手に入れたい!!」という欲求がわくものと出逢えなかったのかもしれない。


あ…。

今書いてて思ったけれど、

「私が勝つということは、誰かが負けるということ」でもある。

この事実が好ましくないのもあるかもしれない。

自分のせいで相手が負ける。相手は悲しんだり悔しがったりする。

自分が勝った喜びに浸るよりも、相手が負けた悲しさのが感じやすいのかもしれない。

誰かが悲しんでる中で、嬉しいという感情がわかないのだ。

勝った嬉しさと同じか、もしくはその嬉しさに増して、負けた相手の悔しさを感じ取っている可能性がある。


あれあれ…???


この記事のはじめに、
「悔しさ」をあまり感じることがない、鈍感だったかも、
と書いたけれど、記事を書き進めるうちに気付いたことがある。

自分が負けた悔しさよりも、勝った相手の嬉しさを感じ取っている可能性があるのだ。
だから、悔しさにあまり意識が向かないのかもしれない。

そして、自分が勝った喜びよりも、相手が負けた悲しさを受け取るから、悔しさに対して、あえて鈍感でいたのかもしれない。


想いを綴るというのは、やっぱり面白いなぁ。

ふと湧いてきた感情から、こうして意外な気付きが得られたりするんだもん。

まだまだ言語化能力も、キレイにまとめる力も低いけれど、
こういう時間が楽しくて、大好きなんだ。


ともすると、冒頭の、

「あー…!!!悔しいっ…!!!!!」

と、久しぶりに感じたこの想いは、なんだったんだろう。

悔しさのあまりに、段ボールにパンチしたくなったこの衝動はなんなんだろう。

しかも、今回の悔しさは、相手がいないのだ。

自分に対する、どうしようもない悔しさ。
もどかしさ、苛立ち、不甲斐なさ。

いろんな想いが入り混じった、この「悔しさ」を、
今夜はコーヒーとともに、味わいながら過ごしてみよう。



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