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お金が嫌いな人っているの?って話(訳:「わたし」がnoteをはじめる理由)

「わたし(もか)」は主にライターとして活動している、なんの変哲もない、強いて言えばちょっとだけ海外経験があるだけのアラサー女子だ。

あとは複数のブログを運営している。それだけ。

そんなわたしがなぜnoteを書くことにいたったのか。それは先日twitterにも呟いたのだが、ブログとnote、なにがどう違うのか、気になったらからという至極シンプルなものである。

そんなことを言えば「ggrks(死語?)」と鼻で嗤われそうなものだが、わたしはあくまで「経験して」「身をもって」その違いを知りたかった。

もちろんそれだけではない。今回は、その理由含め、少し「わたし語り」をさせていただこうと思う。

わたしは「わたし」自身を売る

まず、今の時代、誰でも気軽に参入できるようになったメディア業界ではライターが飽和している。上を見ればキリがないし、かといって最底辺かと問われればそれも違うと思う。

ありがたいことに、わたしには少なからず「取材記者」をしていたという強味もある。こんなわたしでも、仕事依頼をしてくれる方たちには感謝しかない。

ただ、ライターが飽和しはじめた昨今、経験や知識、得意分野だけで売っていくのは難しくなってきたと思うのだ。

もともと記者なんてやっていなくても、文章作成や構成、日本語の使い方が得意な人ならたくさんいる。得意分野が被っていることなんてザラにあるだろう。

だから、わたしは「わたし」自身を、「わたし自身」の物語を商品価値にしたい。こんなわたしだから、こんな道を歩んできたわたしだから一緒に仕事をしたいと言ってもらいたいのだ。

「諦めたらそこで試合終了だよ」

次に、わたしには慢性的な原因不明のめまいがある。昔から立ちくらみ体質ではあったものの、それが慢性化してしまったのは1年以上も前のことだ。

常にふわふわ。毎日ふわふわ。徒歩で出かけるなんてとんでもない。最近では車椅子移動も増え、なんならもう少ししたら検査入院が待っている。

こんなふうに言うと、「もともと虚弱体質だったんじゃない?」と思われるかもしれないが、まったくそんなことはない。

海外で10年暮らし、時にひとりバックパッカー旅に出て、営業や取材記者であちこち飛び回る、むしろアクティブな女子だった。

それが今ではこの有様。外に出るのが生きがいでもあったわたしにとって、これはとてつもなくつらいことだった。

でも、だからといって「働けなくなりました。まる。」で終わらせるわけにはいかない。ありがたいことに家族からの理解はあり、実家暮らしなので家賃はいらない。

加えて、今までハードモードで突っ走ってきたことも知っているので、今すぐに働く必要はないのではないかとすら言ってくれる。感謝。

だからといって「ハイ、そーですか」と言えないのには、訳がある。

まず、海外で働いていたから日本に戻ってきた今失業保険なんてないし、めまいの原因を解明するためにも、通院するためにもそれなりの資金がいるのだ。そこまで親に頼るわけにはいかない。

「諦めたらそこで試合終了だよ」

安西先生の言葉が思い浮かぶ。そうだ。わたしは諦められない。諦められたらどんなに楽だろう。こうしている今もめまいで苦しんでいる。立つ、座る、歩く。そんな日常的なことがとんでもなくつらい。

でも、わたしはまた海外にも行きたいし、旅行だってたくさんしたいし、なにより"生きるため"でなく、楽しく仕事がしたい。ほかにも理由はあるが、それは別途記事にしようと思う。

わたしはまだ諦めない。たとえ1時間に打てる文字数が少なくなっても、収入がほぼなくなっても、どんなに悲しくなっても諦めたくないだけの理由があるのだ。

結局はお金だよね?

こう書いておきながら、わたしは節約家タイプでもなければ浪費家タイプでもない。必要なものにはお金を払うし、必要ないと思えば買わないというスタイルで生きてきた。

でも、残念ながら"生きるため"にはお金が必要だ。

Twitter界隈でよく見るトップブロガーの人たちのように月収うん百万!というほど稼ぎたいとは思っていないし、有料コンサル云々にも少々懐疑的な質である。

何度も言うが、それにしたって"生きるため"にはお金がいる。働かざる者食うべからず、だ。

今のところ、初noteを執筆するにあたって有料化する方向では考えていない。が。この「わたし」からなにかひとつでも感じることがあったなら、少しでも誰かサポート(投げ銭)してくれないかなあ、とオブラートのように薄い期待があることも確かである。だって人間だもの(byもかを)。

100円でも200円でも、そんなことがあればきっとわたしは踊り狂って喜ぶだろう。結局のところ、めまい治療の話にしろライターの話にしろ、本記事を読んだ誰かがそこにいた、いてくれたということなのだから。

この場所で生きていく

したいことも、できないことも、かと思えばできるようになったこともたくさんある今日。わたしは今を精いっぱい生きていくことにした。

文句を言うなら、そう、できることを全部やったあとだ。それはきっと、まだまだ先の話。

ブログやTwitterからnoteに飛んできてくれた人はきっと、文体の違いや口調に驚いたことだろう。でも、こんな書き方もできるんやで!

柔らかい口調のわたしも「わたし」、ちょっとお堅めでも「わたし」。赤裸々に綴っていく「わたし物語」は、はじまったばかりだ。

noteを通して、そんな「わたし」をもっと知ってほしいと願う。

それでは、また。

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